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私が益子さんと少しだけ分かり合えた気がする昼休みから数日が経った。そして始まりの場所と言えなくもない喫茶店で、いつものように信楽と向かい合っている。初めて信楽とここで会って、益子さんを見かけて。あれから大して時間は経過していないはずなのに、何年か前のことのようにも思える。
しばらくレポートで忙しくなりそうだとかで大きく息を吐く信楽は今日も可愛らしい恰好で、その悩まし気な表情と服装とのギャップがなんだか可笑しかった。
「そういえば、益子さんと話したよ」
「そうなんだ?」
信楽はレポートのことが未だに頭から抜けないらしく、鈍い反応だけを示して、コーヒーカップを持ち上げた。
派手じゃないけど、その指にはネイルアートが施されていて、カップを持つ手だけを切り取ると何かの作品みたいに見栄えしている。信楽は指が細くて長いから、すごくよく似合っている。だけど、それとこれとは話が別だ。私の話を蔑ろにするなんて酷いと思うな。
「散々いじっといて興味なさそうじゃん」
「興味ないなんてことはないよ。で、どんな話したの?」
「あー、と。なんでいつも一人でいるの、とか」
「つっこみすぎじゃない?」
カップを持ったまま、信楽が硬直する。自分でもかなり勇気を出して聞き出した話題だけど、他人にそんな風に言われると、不躾だったかな、とちょっと不安になった。
「前に信楽と会ったのっていつだっけ? 一か月くらい前?」
「二、三週間くらい前じゃない?」
どれくらい会っていなかったか。その食い違いがそのまま、私達が過ごした時間の密度の違いに思えた。そうだったっけなんて言いながらも、まだそれくらいしか経っていないことに小さく驚く。
「その前にも色々あったんだよ。益子さんのお母さんとも話したし」
「え? ごめん、ちょっと付いてけない」
「車で送ってもらったの」
「はい?」
信楽の頭の中で大量の疑問符が浮かんでいるのが分かる。あの日、いきなり声を掛けられた私もそんな感じだったと思う。だけど、そこが話のメインではないので、悪いけど詳しくは割愛させてもらうとする。
「で、ちょっと話すようになって、それで訊いたの」
「……そっか。で、なんでなの?」
「逆高校デビューだってさ」
「そんな酔狂な真似する人がいるんだ」
信楽の手に持たれたままのコーヒーカップはなかなか地に足を付けないでいる。よく分からないことを連続で聞かされた彼女は、ずっとカップを持ったまま驚きっぱなしだ。
「私も初めは耳を疑ったけどね」
彼女の驚きは、おそらく私が世界中で一番深く理解している。本人に理由を聞かされてもなお、めちゃくちゃだと思ったくらいだ。シチュエーションがシチュエーションなら、余命僅かで別れを経験したくないからとか、大それた理由を考える人がいてもおかしくはないだろう。
彼女はおそらくいくつもの言葉を飲み込んで、ようやくカップを皿の上に置いた。そうして感慨深そうに呟く。
「やっとすっきりできて良かったね」
「え?」
「だって、その辺のことが知りたくて彼女が気になってたんでしょう? だから、良かったねって」
「……それを知る為に彼女に近付いた訳じゃないよ。人聞き悪いよ」
それじゃ、彼女がもう用済みみたいだ。私はこれからも益子さんと話をしたいと思っている、もしかしたら迷惑かもしれないけど。
「あぁごめん。そういう意味じゃなかったんだけど……。ただ、ミステリアスなものってどうしても惹かれちゃうじゃない」
「まぁ。隠してるのかもって思うと、必要以上に気になっちゃうのはあるかも」
「でしょ? でもそういうのを乗り越えて、二人は晴れてお友達になった。だから、もう香ちゃんのそれを恋って冷やかすのはやめないとなーって話」
信楽の話を聞いて、私は一言、なるほどねと相槌を打った。次にグラスを持って、ストローに口を付ける。今日注文したのはガラナ。どんな飲み物だろうと思って好奇心から頼んだんだけど、まさかの炭酸でちょっと困っている。味は嫌いじゃないんだけど、炭酸はあんまり得意じゃない。好奇心は猫をも殺すってことわざの話をしたことを思い出して、私は苦笑いした。
長めの沈黙が流れていることに気付いて、私は顔をあげた。
「え、何?」
「いや、今、絶対怒られると思ってたから、何も言われなくてびっくりしちゃった」
「信楽、変なこと言った?」
「普段の香ちゃんなら「そもそも恋じゃないから。しつこい」って怒ってたよ、多分」
彼女の言う通りだ。そんなの、普段なら絶対に鬱陶しがってた。いや、でも、今のはガラナに気を取られてただけっていうか。そんなつもりはなかったっていうか……多分さ。きっとそう。そうなのかな。自分でも、よく分からない。
「……そうかもね」
「香ちゃん、大丈夫?」
それからすぐ、私の体調が悪そうということで、早めに解散することになってしまった。元気だよって言いたかったけど、自分でもちょっと調子が悪い気がしたので、信楽の提案を受け入れた。ちなみに、会計はまた信楽が持ってくれた。
***
家に帰って、夕食を済ませてお風呂に入る。歯も磨いて翌日の時間割に合わせて教科書も準備した。あとは寝るだけだったけど、なかなか寝付けない。信楽との会話を反芻する。気晴らしに勉強でもしようと思ったけど、絶対に頭に入らないから止めた。
「……なんだよ」
誰に聞かれるわけでもない。そんな状況が私にわざわざこんな独り言を言わせたのかもしれない。声にしたら楽になれるかもしれないと思ったのかもしれない。本当のことは自分にも分からないけど、とにかく私は自分だけに聞こえるように、小さく呟いた。
「あれじゃ、信楽の言ったことを認めてるみたいだ」
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