5-2


「……マジで大した理由じゃないっていうか、端から見たら大した理由じゃないんだよ。だから軽視されそうで、言いたくない」

「どうでもいいことの為に二年以上同じ態度を貫く馬鹿はいないでしょ。他人から見てどうでもいいなんて事こそどうでもいい。私は益子さんが何を尊重して、何を嫌って、どうして自分があんな巻き込まれた方をしたのかが知りたい」


 長々と、そして淀み無く吐き出された言葉は、恥ずかしいけど私の本心だった。彼女は茶化すことなく、まるで真剣さが伝染したみたいな顔をした。


 沈黙が流れる。だけど、初めて話をした時のような気まずさはなかった。非常階段から見える駐輪場を眺めていると、益子さんはのんびりとした様子で口を開く。


「うん。じゃあ、これまでの二年分、背負ってもらおうかな」

「これまでも。これからもね」


 私は彼女の言葉にそう付け足す。益子さんは目を見開いてこちらを見ていた。意味が伝わっていないのかもしれないので、念のため補足しておく。


「あと一年くらいあるじゃん、高校生活」

「あぁ、そういうことね。告られたのかと思ってビビった」

「はは。ポジティブだね」

「それなりにね」


 告るなんて、あるわけないのに。私は、彼女にちょっと興味があるだけだ。この感情が恋なら、きっとみんな益子さんに恋してる。


「……中学の時、一通り体験したんだよね」

「何を?」

「人付き合いっていうか。普通のこと。多分。大体、おおむね普通」

「……うん」


 年下の女子と付き合っていたということが頭を過ったけど、それを踏まえて考えても、彼女の言うことに嘘があるとは思えなかった。友達が居て、恋人ができて、うん。それって、よくある話だ。恋人が居ても居なくても、相手が異性でも同性でも、それはこのご時世、普通のことに分類して何ら問題ないと、私は思う。


「で。中三の冬のある日、ふと気付いたんだ。一人でいるって楽だなって」

「あぁー……そういうことも、まぁあるよね」


 自分を気にかけてくれる人もひっくるめて、全部ウザったく感じちゃうことは、きっと誰にでもある。そう感じたことがない人がいてもおかしくないけど。

 私だって、高校受験で参ってる時は信楽と距離を置いたこともあるし。母親と口喧嘩したことだってある。だけど、益子さんの発言はそこからがかなり突飛だった。


「だから、逆高校デビュー」

「……マジで?」

「うん。マジ」


 何この人。とんでもなく変人なんだけど。人を遠ざけていたことに大きな理由が無かったのは別にいい。だけど、その為にあそこまで徹底した態度を貫き続けられるものなのか。


「要するに、周りに人が常にいるのが鬱陶しくなっちゃったってこと?」

「うん。だって、みんな面白くないことで笑って、自分が悪いくせに逆ギレして。なんかめんどくさくて」


 私は言葉を失っていた。彼女が変わってるという感想がそうさせたのもあるけど、つまんないことで笑って、逆ギレしてって、私も含まれている気がして。自分が、彼女がうざったいと思っている存在の一部だったことが、少なからずショックだった。なんとか絞り出した言葉は、身も蓋もない間抜けなものだった。


「女子高に来なきゃ良かったんじゃない? ほら、女子ってそういうとこあるじゃん。私も人のこと言えないと思うけど」

「でも、女子高、憧れだったし。それに、別に男子だったらいいってわけでもなかったから」

「そっか」


 益子さんの言うことも理解できる。どうでもいいと思っている人間関係の為に、自分の進路を曲げる気にもならなかったのだろう。


「笠間がこっちに来たのは完全に誤算だったかな。私、電車で通学してんの。かなり離れたところから通ってる」

「じゃあ笠間さんもそうなんだ」

「ううん、あいつは中学卒業してから家が越してるらしい。だから学校の近所」

「あぁー……」


 架木中なんて聞いたことの無いところの出身だったことを思い出す。誰もいない女子高を選んで受験したのに、かつての学友がいたなんて、彼女にとっては災難そのものだったに違いない。


「……なんでクラスの女子達に馬鹿にされてるのほっとくの?」

「質問が多いね。そんなに知りたい? 私のこと」


 益子さんは笑った。たまに見せる、小ばかにしたような笑い方じゃなくて、もっと大人びた笑い方。ドキッとして、そんな風に感じた自分に驚いた。今のは私じゃなくても不意を突かれていたと思う。急に、そんなに素敵な笑みを見せないでほしい。

 動揺した私は、動揺ついでに馬鹿正直に頷いていた。ここまで質問ばかりしておいて、今更興味ないなんていうのも白々しい気がしたから、これで良かったと思う。


「知りたいよ。面白そうだもん、益子さん」

「面白くなんてない。クラスメートのことをつまらないって言ってるけど、それは私がつまらない奴だから、そういう風にしか思えないだけ」


 益子さんはそう言って自嘲する。そしてさらに続けた。


「人にちょっかいかけて笑ってる奴のことはやっぱり馬鹿だとしか思えないけど、原因は私にあるよ。異質だもんね、客観的に見て」

「で、でも」

「いいって」


 益子さんは、ただ慰める為だけに私に嘘をつかせないようにしてくれた。確かに彼女は浮いている、異質だ。みんなが変わり者だと思っている。だけど、いま彼女が私の言葉を遮った優しさはみんなが当たり前のように持っているようなものではない。

 優しいなんて言ったら、きっと彼女は居心地が悪くなるだろう。私は誰にも伝えられない彼女の一面を、歯がゆく感じながらも自分の中だけに留めておくことにした。


「さ、私はたくさん質問に答えたし。今度はそっちの番」

「……何?」

「私のこと好きじゃないって何?」


 いきなりの質問に、顔面を殴られたような衝撃を受ける。あんまり言いたくない。だけど、あんまり言いたくない話をしてくれたのは、益子さんも同じだ。


「その、信楽が、やっぱ言いたくない」

「なんだよ。言いなよ」


 もうどうにでもなれ。私はせめて、彼女と対等であろうとして、事の顛末を極めて簡潔に話すことにした。


「……信楽が、益子さんの話を私がすると、恋バナだって言うから」

「はは、何それ」


 益子さんの薄い唇が弧を描く。あんまり重たく受け止められていないことに安堵して、もう一つだけ彼女に質問しようと口を開いた。


「……あのさ」

「何?」

「……いや、やっぱいい」


 このタイミングで「女の子と付き合ってたホント?」なんて訊いたら、変に誤解させちゃいそうだ。そう気付いて無かったことにしてもらおうとした。私は本当に、もう少し考えてから言葉を発したほうがいいと思う。


「なんだよ、気持ち悪い奴」

「キモくない。聞こうと思ったけど、やっぱいいや。今日はいっぱい質問したし」

「……はは」

「何?」

「自覚ないだろうけど……越前、女口説く才能あるよ」

「何それ」


 それは益子さんじゃん。そう続けたかったけど、変に意識しちゃって言えなかった。

 そうして何の変哲もない昼休み、私達は小さな秘密を共有した。


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