5-1
翌朝、私は学校に到着するとクラスメート達と挨拶を交わして、ついでとばかりに益子さんにも挨拶した。朝に私が彼女に話し掛けるのは、これが初めてだ。
「おはよ」
「……? あぁ、おはよ」
「え、それだけ?」
「ごめん、他に何を言えばいいの?」
益子さんは反応しただけ有難いと思え、とでも言わんばかりの態度で私を見た。鞄を机の横に引っ掛けると、益子さんへと振り向く。
「昨日のこと」
「昨日……? あぁ。っていうか車に乗って来ないでよ、マジでビビった。フリさえしてくれりゃいいんだって言ったじゃん」
「いや、意味分かんないし」
私の身にもなってみろって言うんだ。気まずさを感じていたクラスメートに振り回されて、訳分かんないまま車で送られて。何か事情があるに決まってるんだけど、益子さんはそれを私に告げようとしない。
むすっとしていると、遅刻ギリギリで教室に滑り込んできた有田がおはよーなんて言いながら抱き着いてきた。あとついでに胸を触られた。大きくて触り心地がいいらしいけど、有田にも同じのが付いてるでしょって言って手を払いのけた。
「ついてないぞ」
「もっと気にしなよ」
確かに、有田の胸には膨らみがない。家に忘れてきちゃったのかな。
***
昼休み、私は有田と他愛もない話をしながら昼食を食べた。なんでも、ドラマーが少なくて、三つも四つもバンドを掛け持ちさせているから全然曲を覚えてこないらしい。吹奏楽部から借りてこようにも、コンクールがあるからと断られてしまったのだとか。
有田の部活の愚痴に「じゃあ有田がドラムを始めて、その子の掛け持ちを減らしてあげたら?」なんてめちゃくちゃなアドバイスをすると、彼女は「その発想は無かった!」なんて嬉しそうに笑った。いや、やるんかい。だけど、有田のこの物怖じしないポジティブで単純な性格が、私は結構好きだ。
そうして半分くらいの時間を過ごしてから、私はある決意を胸に立ち上がった。目指したのは益子さんの席だ。彼女は机に突っ伏して寝ていた。イヤホンをしている。何を聴いているのかは分からないけど、益子さんも音楽と聴くという、考えてみれば当たり前のことがなんだか新鮮に思えた。
「ねぇ。ちょっといい?」
「……何?」
後ろで有田が楽しそうに成り行きを見守っている気配を感じたけど、今は無視。っていうかあいつはしばらく無視でいいかな。私は益子さんを引っ張って、この間と同じ場所へと連れて行った。
「はぁー……何? ことあるごとにここに呼び出すのやめてよ」
「もうはっきり聞くけど、益子さんってなんでクラスメートのこと遠ざけてるの?」
「……てっきり昨日のこと聞かれるのかと思ってた」
「それも知りたいけど。色々考えると、この疑問に辿り着くんだよ」
だってそうだ。益子さんは友達として、昨日自分の母親に私を会わせた。本当の友達がいればそんなことしなくてもいいのに。だけど、彼女は学校で友達を作ろうとしないから、あんなことが起こった。母に友達を紹介するに至った理由も気になるけど、そんなものは二の次だ。実際に起こった出来事を理由にすれば、私と信楽、そして他の女子達が感じているであろうこの疑問に触れることができる気がした。
だけど、返ってきたのは、存外素直で、取り付く島もない言葉だった。
「……言いたくない」
「言いたくないじゃないでしょ。私だって昨日、車で送ってもらうなんて厚かましいことしたくなかったよ? でもどんな感じで接したらいいのか分かんなかったから乗ったの。こっちに気を遣わせておいて、何も告げる気がないって、それちょっとふざけすぎじゃない?」
「……なんでそんなキレてんの?」
知らないよ、そんなの。だから考えてみる。すると、答えは言葉と同時に、すぐに出てきた。
「益子さんに振り回される自分に腹が立ったし、私を振り回しておいてケロっとしてる益子さんにも腹が立ってるのかな」
「ウケる」
益子さんはそう言うと、ニヤニヤしながら私を見た。こっちは結構真剣なのに。なんで笑ってるんだ、この人。何かを言いたいけど、これ以上伝えるべきことはない気がした。益子さんはくるりと踵を返すと、スタスタと歩き出してしまった。
「ちょっと! まだ話は終わって」
「こーばい。私、昼まだだったから」
お昼食べてなかったの、知らなかった。ちょっと申し訳なく思いながら、付いていこうか迷ったけど、待ってることにした。なんとなく、そのまま戻って来ないなんてことは、無い気がしたから。これで戻って来なかったら本当に怒るけど。
彼女は五分くらいで戻ってきてくれた。手にはアンパンとリンゴジュースがあった。私も結構人のこと言えないけど、その食べ合わせはどうかと思う。じっと手元を見ていると、これしか残ってなかったんだよ、と言い訳された。やっぱり変な組み合わせだって思ってたんだ。
彼女が戻って来るのとほぼ同時に、別の女子達がそそくさと近寄ってきた。きっと私達に用事があるわけではないだろう。用があるのは、この誰にも聞かれずに話せる空間だ。
何があったのかは分からないけど、一人が泣いて、二人はその子の両脇を固めるようにくっついて背中を撫でたり、顔を覗き込んだりしている。靴の色から、二年生だということがすぐ分かった。彼女達が気を遣って別の場所に移動を始める前に、私は益子さんに声を掛けて、非常階段の鍵のつまみを回して勝手に開けた。
「いいの?」
「鍵じゃなくてつまみになってるってことは必要に応じて開けていいんでしょ。行こ」
「そうかもしれないけど、それって非常時の話じゃない?」
「いいから」
そうして外に出ると、踊り場は思っていたよりも狭かった。二人で並んで階段の下の段に座ると、パンの包みを開けて食事を始めた益子さんに向いて話し始めた。
「さっきの話だけど、益子さんがみんなと仲良くしようとしないのってなんで?」
「すっご。そんな単刀直入に普通は訊かないよ」
「そうかな」
「そうだって。うーん……みんなは越前が知らないことを知っているから、かな」
益子さんはそう意味ありげに言うと、リンゴジュースでアンパンを流し込む。私が知らないことってなんだろう。それは、益子さんの女の子と付き合っていたという過去と関係があるんだろうか。
真剣に考え込んでいると、彼女は一言「遠慮」とだけ言った。
「ムカつく……」
間違っても益子さんに遠慮を知らないなんて言われたくない。私は糾弾するような視線を益子さんに向けた。
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