4-2


「ねえ。何してんの?」

「……」

「ねぇ」


 一度目に話しかけられた時、意識は半分以上夢の中にあった。というか話しかけられた言葉も夢の登場人物の発言に変換されていた。夢専用の人物だったからもうほとんど覚えてないんだけど。

 でも、二度目に声を掛けられた時、言葉と同時に机を軽く蹴られたから、これは夢じゃないんだって確信した。


「あ、えと、おは、ばん、ご、ごきげんよう」


 意味不明な挨拶をして目を開けて声のした方を向くと、そこには益子さんが立っていた。この間みたいに鞄を片手で持って肩にかけて、もう片方の手はポケットに突っ込んで。私の返答にもなってない妙な挨拶を聞いた彼女は「変なの」と鼻で笑った。そして机の上に投げ出されていた私の腕を掴んで、性急に言った。


「まぁいいや。ちょっと急いでんの。友達のフリしてくれない?」

「え?」

「私のこと好きじゃない越前さんには悪いんだけど、さ」


 寝ぼけていた頭が、彼女の言葉の意味を回収すると、私は慌てて立ち上がった。やっぱり聞かれてたとか、色々思うところはあったけど。それを知っていても尚私に話しかけてくれたことにほっとした。


「あの、あんなタイミングばっかりで本当に悪いと思うけど、この間のも誤解だから」

「別に言い訳しなくていいよ。どーせまた途中でダルくなるんでしょ?」

「……そう、かも」

「じゃあそれでいい。とりあえず来て」


 益子さんは自分が好かれていない事なんてどうでもいいと言い切って、私の手を引いた。事情も分からず彼女に付いていく。この間と、立場がまるで逆だ。先導する彼女の足は昇降口に向かった。ぐいぐいと引かれていた手はいつの間にか離されていた。


 下駄箱のところまで歩いていくと、パンツスーツを身に纏った綺麗な女性が居た。初めて会うけど、彼女が何者か、私にはすぐにピンときた。益子さんのお母さんだ。ピシッとスーツを着こなして、腰に手を当てて、私達、というか恐らくは益子さんを待っている。頭の後ろでまとめられた黒髪と、アイシャドウが印象的な化粧。こんなにばっちり化粧をしているのに、全然チャラチャラして見えない。キャリアウーマンって感じですごくカッコいい。

 益子さんは教室では決して見せない、ヘラヘラとした表情を浮かべて言った。


「お待たせ」

「いいわよ。時間通りだから。そちらは?」

こうっていうんだよ。クラスの友達」


 益子さんは私を下の名前で呼んで、しれっと友達として紹介した。驚きつつも、頭の片隅では、本当はかおるって読むって知らなさそうだなんて考える。


「あら、そうなの」

「いいって言ったんだけど、どうしても見送りたいって言うからさ」


 話についていけない。どうしても見送りたいなんて絶対言ってないし、っていうか叩き起こして連れて来られたんだけど。でも、それを今言うのは流石にKY過ぎる。私は初めましてなんて愛想笑いをして、適当に話を合わせることにした。


「香ちゃんは、お家はどこ? 良ければ乗せてくから」

「い、いや、私。鞄とか、置いてきちゃったし。えっと、ただお会いしたかっただけっていうか」


 なんで友達の母親に会いたがってるんだろう。自分で発した言葉に心の中でツッコミつつ、とりあえずは遠慮してみせることにした。


「気にしないで。待ってるわ」

「え、えーと……」


 キツい印象とは裏腹に、益子さんのお母さんはすごくいい人だった。益子さんに似た涼しげな目元で緩く微笑む。どうしようと思って横を見ると、益子さんは少し眉間に皺を寄せて私を見ていた。来るなってことだろうか、何か理由を付けてでも断るべきだろうか。逡巡していると、根負けしたように、彼女は言った。


「……はぁ。取りに行ってくれば?」

「わ、分かった」


 いや、分かんないけど。なんでほとんど話したことのないクラスメートの友達としてその子のお母さんに送ってってもらわなきゃいけないんだろうなんて、この状況を奇妙に思いながら教室へと駆けていく。


 誰もいない夕暮れの教室。きっと私達がこの教室を出た時も同じ光景が広がっていただろうに、全然気付かなかった。目が覚めたつもりでいたけど、やっぱりどこか寝ぼけていたんだろうな、なんて考えながら手早く荷物をまとめて昇降口へと急いだ。


「お待たせしました」

「急がなくて良かったのに」

「行こっか」


 そうして三人で学校を出ると、来客用の駐車場に停めてある白い外車のセダンに乗り込んだ。私の家はいつも国産のファミリーカーなので、こんなに高級な車に乗ったのは親戚のおじさんと出掛けたとき以来だ。

 緊張しながら後部座席に乗り込むと、益子さんは隣ではなく助手席に座った。おそらくはあそこが彼女の定位置なんだろう。緩慢な動きで車が動き出す。学校の敷地を出る辺りで、益子さんのお母さんに道を訊かれた。


「どの辺かしら?」

「あ、えーっと、囲炉裏いろり町の方です。国道沿いのコンビニ辺りまでお願いしていいですか?」

「あぁ。あの辺なのね」

「ナビ、設定しなくて平気ですか?」

「えぇ。この辺は客先が多くてよく走るから」


 そう言って益子さんのお母さんはウィンカーを出して、毎日通ってるみたいに迷いなく車を走らせた。客先、か。どんな仕事をしてる人なんだろう。車から見ると、いつも歩いている道が全然違って見える。私が窓の外を眺めていると、益子さんが独り言のように呟いた。


「あの喫茶店は遠いな」

「……あぁ。うん。あそこは私と、信楽の中間地点だから」

「しがらき?」

「あ、カフェに一緒にいた子」

「あぁ。あの人か。どういう関係?」

「幼馴染だよ」

「そっか」


 過去に二度会ったことのある人物に対する反応としては随分と淡白だと思ったけど、すぐに益子さんのことが好きなわけじゃないという発言を聞かれてしまったことを思い出して口ごもった。次に声を発したのは彼女のお母さんだった。


「友達の幼馴染のことも知らないの?」

「無理もないですよ。たまにしか会わないですし。あっちは大学生だし」

「あぁ、歳が違うのね」


 合点がいったように頷くと、彼女はハンドルを切った。運転しなれている、私のお母さんの運転とは雲泥の差だ。


 結局一度も道に迷わなかった車はほどなくしてコンビニの前に到着した。私は益子さんのお母さんにお礼を言って、それから彼女と素っ気ない挨拶を交わした。


「じゃあまた明日」

「うん、それじゃ」


 コンビニでアイスを買って家に帰ると、すぐに自室に向かった。今日はお刺身だよ、なんて言う母に「うんー」なんて返事をしてドアを閉める。鞄を適当なところに落とすようにして置いて、袋からアイスを取り出して机の前の椅子に座る。

 そうしてやっと落ち着く場所に辿り着いた私は、「いや意味わからーーーん」と消え入るように言った。アイスが溶けて手を汚したのは、多分言うまでもないことだ。


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