11
信楽と益子と三人で会ってから数日が経った。土日を挟んだから、まだ二回しか益子とは学校で会ってないんだけど、あの翌日から、お昼はどちらからともなく連れ立って一緒に食べるようになっていた。少しだけ進歩したと思う、私も、益子も。
私のお弁当箱に入っている卵焼きの味が気になるなんて言うから、一つ分けてあげた。それを頬張りながら、益子は言った。ちょっと行儀が悪いけど、なんとなく重要そうな話だったから黙っておいた。
「休みの日、サキから電話があったんだよね」
「サキって誰?」
「あぁ。元カノ」
「へ、へー……」
名前すらたった今知ったばかりだというのに、顔も知らない彼女は私の心を激しく揺さぶった。私は平静を装って食事を続けることしかできなかった。
「笠間から話を聞いて、それで、なんとなく声が聴きたくなったんだってさ」
「笠間さんから? なんの話?」
あの日、笠間さんがあの駅に居た理由って、サキさんなんじゃないのかな、なんて考えて益子の言葉を催促する。そして、予想外の返答に私は声をひっくり返して驚くこととなった。
「香の話」
「へ!?」
「私の家に来た日、笠間に会ってたんだね。知らなかったから混乱したよ」
「あぁ……」
そういえば、言ってなかったかも。だって、私にとっては結構どうでもいいことだったし。というか、最近の私は益子以外の全てがどうでもいい。だから勉強も手につかないし、宿題だって当然のように忘れる。有田にまで心配される始末だ。
「ずっとぼっち決め込んでたくせに、最近仲良くしてる人がいるらしいですね、とか。そんな感じで。もしそうならとっとと幸せなれとか。酷い言われようだったよ」
益子は笑っているけど、私は笑えなかった。一緒に笑えたら少しは楽になれたのかもしれないけど、そんな余裕はこれっぽっちもない。ペットボトルのお茶を少し口に含むと、声と勇気を振り絞った。
「まだサキさんのこと、好きなの?」
「まさか。サキのことは過去だよ。サキにとっても、それは同じだと思う。ただの、無視できないような、特別な思い出。そんだけ」
益子は空を見上げた。雲がゆっくりと流れる青空を。何を思っているのかは、私には分からない。ただ、きっとサキさんのことを考えてるんだろうな、とは思う。
「嘘をつくにしても失礼なことを言ったと思ってる。昔の私は、今の私以上に他人の気持ちに鈍感で、自分のことで手一杯だった」
懺悔するような声だった。何かに縋りたくて、だけどそれすらも罪だと思っているから、なんとか自分だけで痛みを抱えて立っていようって意思を感じるような。きっと今の私には、彼女と同じような声は出せない。
「したって言ったじゃん」
「……何の話?」
「セックス」
突然飛び込んだ単語に驚いたけど、私は益子の話に耳を傾けることに集中した。今は彼女の言葉を、一言だって聞き漏らしたくなかったから。
「そのとき思ったんだよね。多分、私じゃサキの欲しいものはあげられないって」
そう思ってしまうことが、どれだけ辛いことか。今の私には少しだけ理解できる。それは中学三年生が抱えるには、あまりにも重すぎるものだ。
「当時は、そのことに気付いてしまったつもりでいたんだけどさ。だけど違った。多分、私が勝手にそう思っただけ。感じる必要のない負い目から、不安と違和感を勘違いして、それで」
「もういいよ、益子」
今にも泣きだしそうな益子の言葉を遮る。これ以上言わなくていい、いや、言わせちゃ駄目だと思った。私が傍にいるんだから。
「……だっさい先輩だよ」
「ほんとにね」
あえて彼女の言葉を肯定すると、益子は小さく笑った。
今なら言える。違う、今だから言える。
そんな気がしたから、私はなんてことないって顔をして口を開く。
「あのさ。私が信楽のこと好きって。あれ、誤解だよ」
それを聞いた益子は、耐えきれなくなった様子で、大きな口を開けて笑った。
「気付いてた」
心の何処かじゃ分かり切っていた益子の返事を聞いて、私も笑う。
「知ってた」
一階、非常階段で。私達の笑い声はしばらく響き続けていた。
***
数日後の放課後。もう定位置と言っても過言ではないってくらい座り慣れた席に着いて、私達は信楽を見上げていた。
「遅かったね、信楽」
「私は時間通りだよ。っていうか、補助輪を外すの遅れた人に言われたくないかな」
「ふふ」
私と信楽は、私達にだけ分かる会話で笑い合った。補助輪という言葉に疑問符を浮かべている蓮美の顔がなんだか面白くて、また笑った。
A面 fin.
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