B面

1-1

 大学生活にもようやく慣れてきた春の終わり、私は所属しているサークル、少女文学研究会を早めに抜け出して、幼馴染の香ちゃんに会っていた。


「信楽はサークル入ったんだっけ」

「そうそう。あ、でも、集まって話すだけのゆるいサークルだよ。表向きは文系サークルってことになってるけど」


 少女文学研究会っていうのは、分かりやすく言うと百合系の小説や漫画を読み漁ってはどの作品が当たりだったかを教え合う結構ヤバめのサークルなんだけど、当然可愛い香ちゃんに実態は知らせていない。彼女の中でくらい、ただの文学少女がそのまま成長したような人でありたかったから。

 っていうか普通にドン引きされると思う。幼馴染である彼女に軽蔑の視線を向けられたら、私だってそれなりに傷付く。


「そうなんだ。昔から本好きだもんね、信楽は」

「うん、せっかくのキャンパスライフで何もしないのもなんだしね」

「そうだよね。あーあ、私も早く大学生になりたいな……」


 私も、早く大学生になって美しさにさらに磨きがかかる香ちゃんを見たいと思う。

 久々に会う香ちゃんは今日も美少女だった。窓から差す光に照らされた髪は、それだけでふわふわ柔らかくて触り心地がいいことが分かる。昔はショートカットだったけど、中学に上がるくらいからはずっと髪を伸ばしている。どんな魔法を掛けたらそんな風になるんだって問いたくなるような完璧な髪だ。当然のように天使の輪が出来ている。真っ直ぐで、柔らかくて、だけど芯があって、香ちゃん本人のような素敵な黒髪。

 だけど、本人は魔法どころか、手間すら掛けてないなんて言うんだからこの世は本当に不公平だと思う。ただ制服を着ているだけなのに美少女爆誕というオーラを放っていて、自分の気分が落ち込んでいるときなんかは直視できそうにないくらい。


 そんな美少女が今日はどこか物憂げだ。どうしたんだろう、もしかして可愛過ぎてやっかまれちゃったのかな。名前と住所を教えてくれれば私が消しておくけど。いきなりそんな物騒なことを言われても驚かれるだろうから、私は控えめに「なんかあった?」とだけ告げた。


「三年になってから、あんまり見たくないもの見ちゃってさ」

「どうしたの? 香ちゃんのクラスで何かあった?」


 名前と住所を……違う、こんなこと言ったらヤバい人だって思われる。いや、実際私は百合好きの、見る人が見ればヤバい人だからそれはいいんだけど、香ちゃんにヤバい人だってバレるのは良くない。

 優し気な彼女の姉ですという顔をして、できる限り彼女が話しやすい空気を作ることに徹した。ぽつりぽつりと香ちゃんが語ってくれた内容は、かなり難しい問題だった。


「新しいクラスに益子さんって子がいるんだけどさ。誰とも喋らないし、お昼も一人で食べてて。いや、それはいいんだけど、クラスのリーダー格っぽい子が、益子さんに話しかけては「感じ悪ー」とか言って笑ってるの。あの子達も悪いと思うんだけど、益子さんも、無視しなければいいのに。なんか、そういうのでちょっとピリピリしててさ。多分、席が近いから、私が気にしすぎてるんだと思うけど」


 消せばいいじゃん。百合に挟まる男を頭の中で滅するときのような気持ちになってしまったけど、それじゃだめだ。きっと何の解決にもならない。

 私は彼女の心に寄り添う言葉を探して確かめるようにゆっくりと口にした。


「きっと、みんなその益子さんって子と友達になりたいんだよ」

「絶対違うよ。本人は嫌がってるのに。きっかけはそうだったとしても、今は悪意しか感じない」


 即座に否定してくる香ちゃん、いい。好き。強い。彼女はこう言うけど、私には自分が今言ったことがまるで見当違いだとは思えなかった。そういう人っているから。

 仲良くなる方法を知らないというか、自分が相手に興味を持っていることをどうしても認めたくない人っていうか。きっと香ちゃんは優しい天使だからそういう気持ちになる人のことが分からないんだろうけど。


「香ちゃんは益子さんとは仲がいいの?」

「えーと……一回も、喋ったことないかも」

「……そうなんだ。気になるんだね、益子さんのこと」


 ダメ。だめよ、冴子。興奮しちゃ駄目。これ香ちゃんから益子さんに矢印が向いてない? とか思っちゃ駄目。まだ確定ではないから。いや確定とかじゃなくてリアルの知人でそういう妄想はしちゃ駄目。落ち着いて私。


 私は自分の心を落ち着けるために、香ちゃんの過去を振り返った。負けん気の強かった香ちゃん。私を庇って悪意に立ち向かってくれた香ちゃん。年下で、幼い頃からすごく可愛い子だったけど、香ちゃんは当時の私のヒーローだった。懐かしいな。


 私を守ってくれた香ちゃんに報いたくて、彼女の言葉に耳を傾ける。私に話すことで少しでも気が楽になってくれてたら、それだけで幸せだ。


「……学校でこんな話、できる人いないからさ」

「……香ちゃんって友達いない系?」

「いるもん! それは信楽でしょ!」

「普通に傷付くからやめて」


 おいそれ以上はやめろ。

 相手が香ちゃんだろうがナチュラルに傷付く。


 だけど、私の言い方も良くなかった。香ちゃんほどの美少女に友達がいないなんて、絶対に有り得ないんだから。友達がいない私みたいな人種と一緒にされて、きっと彼女も晴天の霹靂だったと思う。そこはすごく申し訳なく思ってる。


「……益子さん、確かに浮いてはいるからさ」

「あぁ。他の友達に伝えたら変に思われるかもって?」

「うん。もちろん、みんなが意地悪なわけじゃないよ。ただ、私の仲のいい子は」

「あぁ、もしかして有田? たまに話に出てくるよね」

「そうそう」


 有田、覚えてる。去年、香ちゃんの学校の文化祭に行った時に、ステージに立っていた。ボーイッシュですごく可愛い子だ。だけど、その場に居た女子達の視線はそんな彼女には向けられていなかった。

 あれは相手が悪かったというか……ギターを弾いていた子が抜群にイケメン女子だったのだ。可愛いという要素を見つけることができないくらいのイケメンで、笠間さんというらしい。ステージに黄色い声援を送っていた女子達がしきりに名前を呼んでいたので、覚えてしまった。私がそんなことを覚えているなんて、多分香ちゃんは気持ち悪がるだろうから黙ってるけど。


 あの日、私は香ちゃんと同じ高校に進学しなかったことを心から悔いた。だって、高校受験をしたときの私は、まだ百合の素晴らしさに目覚めていなかったから。

 自分のそれに気付くのを遅れたことを、あれほど悔いたことは無い。漫画で読むような王子様がすぐそこのステージで凛々しく演奏する姿を見て、私は心で血涙を流した。

 あ、でも、私は香ちゃんが笠間さんと仲良くしていないことを残念に思ったりはしていない。むしろ、有田という共通の友人がいながら、ミーハーな趣味に走らない彼女をとても誇らしく思う。見た目が天使だとメンタルまでエンジェルになるんだなって。


「有田なんかはおせっかいだから、私が益子さんと話せる機会を作ろうとするよ」

「あー。なんか世話焼きのおばちゃんっぽいとこあるもんね、話聞いてると」

「私は別に、益子さんと仲良くなりたいワケじゃないっていうかさ」

「んー、お年頃ってやつは面倒だね、どうも」

「信楽はそういうのない?」

「気持ちは分からなくもないけど」


 ごめんね、香ちゃん。有田のことをおばちゃんとか言ってるけど、私も百合的な意味で脳内でお見合いさせたがりおばちゃんだから全然人のこと言えない。私と有田の違いと言えば、私が萌えを求めているのに対して、彼女はおそらく百パーセント善意で話す機会を作ってあげようとするところかな。

 香ちゃんから話を聞いて、ステージで見ただけの印象だけど、有田は学年・性別問わず友達が多いタイプに見えるから。そう、つまり私と真逆ってこと。ふふ、辛いね。


 私が自分の駄目さを再認識していると、香ちゃんは急に焦ったような、怖い顔つきになった。なんだろう、私が考えてたことがバレちゃったのかな。ごめんなさい、もう香ちゃんで百合妄想しないから許して。いや、そんな約束できない……私、絶対また益子さんの話を聞かされたら妄想しちゃう……なんて言えばいいんだろう……。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る