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 どうしていいか分からず、私は何度か香ちゃんに声を掛けた。名前を呼んだり、どうしたの? って言ったり。だけど彼女は上の空というか、それどころじゃねぇんだよ話し掛けんなって感じで全然取り合ってくれない。

 あ、うそうそ、香ちゃんはそんな汚い言葉遣いはしないから、「それどころじゃないよ、信楽。しばらく口を開かないでいてくれるかな」って言う方がきっと近い。リアルな口調で想像したらまだ何も言われてないのに辛くなってきた。

 私が勝手に苦しくなっていると、滅多に鳴らないスマホが震えた。香ちゃんがスマホをいじっているから、もしかしたら香ちゃんかも。これでメールマガジンだったらそこにある砂糖全部コーヒーにブチ込んで甘死あまししよ。


『ねぇ、信楽の後ろの席の人、いつからいたか分かる?』


 送り主はやっぱり香ちゃんで、私の背後の人物に怯えているようだった。後ろに来た人、多分、あの時に入ってきた女の子だ。すごく綺麗で、大人びていて。今思えば、香ちゃんと同じ制服を着ていたかもしれない。

 私はスマホで文字を打ちながら、もしかして香ちゃんに都合が悪い誰かなのかと気付いて震えた。だとしたら、どうしよう。何度かメッセージをやりとりした後、香ちゃんから来た返事は、決定的なものだった。


『……益子さん』

「わお」


 もう、わお、だよ。この上ない、わお、だよ。

 何度か香ちゃんを励ましたけど、このお店、結構静かだし、多分彼女は入ってきてからの会話を聞いていたと思う。イヤホンでもしていれば、まだ大丈夫な可能性もあるけど……はい、してない。

 私は振り返ってすぐに前を向いた。うん、全然イヤホンしてないね。してればよかったのにね。なんでしてないんだろう、JKが一人で喫茶店にいるんだからノート広げるか音楽聴くかしてよ。


 頭の中でめちゃめちゃな言いがかりをつけてみても、香ちゃんの気は晴れない。そんなことは分かっている。だから私は、開き直ってこの状況を楽しめるものになるよう頑張る方向に考えをシフトした。

 いい? 香ちゃんは今、益子さんを死ぬほど意識している。いや当たり前なんだけど。悪口まがいの発言を聞かれてたかもしれないなんて思ったら意識しない方が不自然なんだけど。だけど、とりあえずそういうこと。

 香ちゃんはあくまで、彼女を傷付けていないか、嫌な思いをさせてしまったんじゃないだろうか、という部分を気にしている。これはつまり、二人にはまだ仲良くなれる可能性が残ってるってこと。

 私がたまたま入った喫茶店で「信楽と仲良くなりたい訳じゃない」なんて天使みたいな可愛い美少女に言われたら「分かりました」って言ってその場で爆散するけど。まぁそこについてはあまり考えないようにしよう。


「……香ちゃん。パンケーキ食べなさい」

「は?」


 ごめん、私も自分で「は?」って思ってる。だけど、ここですぐ帰るのも不自然だし、なによりパンケーキを美味しそうに食べる香ちゃんを見たいし。

 もう少し益子さんを意識してわたわたしてる香ちゃんを見てたかったっていうか……ダメな幼馴染でごめんね……でも見たいんだ……どうしようもなく……金欠で人にパンケーキ奢ってる余裕なんて無いくせに、「明日の夕飯もやしにすればいける……!」って思っちゃうくらい見たいんだ……。


 私の脳内フィルターが優秀すぎて、既に益子さんを意識してどぎまぎしている香ちゃんが恋する乙女に見える。私は自分の妄想が九割補完した映像を見て呟いた。


「……ううん。若いっていいね」

「急になんなの。っていうか、一つしか違わないじゃん」

「大学生と高校生じゃ、今をときめくときめき加減が全然違うんだよ」

「それってつまり、高校生の時の信楽も時代をときめいてたってことになるけど」

「うるさい」


 私の人生にときめく瞬間なんてないんだからやめようね。自分のことはいいの、いじけてるとかじゃなくて。女二人が視界に入ったら妄想を始めるような、こんなヤバい陰湿根暗女のことを気に掛ける人、冷静に考えているわけないし。

 私は百合カップルを眺めていられればそれでいいの。高校時代に寝たふりを極めてしまった私のことはほっとこうね。


 傷心の私を見つめながら、香ちゃんは急にパンケーキを注文した理由を尋ねてきた。益子さんのことを見る香ちゃんを見て居たいなんて言ったら気持ち悪過ぎて通報されると思ったから、私は笑顔で誤魔化す。


「ここに長居する為だけにパンケーキ頼んだの?」

「香ちゃん、益子さんを見るとき、幼馴染の私ですら見たことない顔してるよ」


 まぁ悪口に近い噂話をした人がすぐ傍にいましたなんてシチュエーションなかなか無いからね。ある意味当たり前なんだけどね。

 このままだと香ちゃんに押し切られて本心を吐露してしまいそうだと気付いた私は、おトイレに行くことにした。トイレに立った理由は他にもある。私は、益子さんの顔がちゃんと見たい。なんとなく綺麗な子だった気はするけど、あんまり見ていなかったので。


「え、待って」

「私がいない方が、よく見えるんじゃない?」


 妙な捨て台詞を吐いて立ち上がる。益子さんの顔を見るのは、トイレに戻ってきた時だ。私は落ち着いた所作で化粧室を目指した。心では岩のように転がってドアなんかもバキンバキン! って壊して駆け込みたかったんだけど。社会的な立場を失う訳にはいかないから、人としてお手洗いを目指したのだ。


 最近し始めたお化粧をなんとなくで手早く直して早めに戻ると、益子さんと呼ばれたその子は既にお会計の為にレジに立っていた。

 え? もう帰るの? パンケーキを食べながら益子さんについて悩む香ちゃんを見たいが為に、明日の夕飯をもやしオンリーにすることに決めた私がいささか可哀想じゃない?


 しかし、そんなことを本人に伝えることはできない。当然だ、そんなことをやったら絶対に喫茶店出禁になる。だからせめて、私は益子さんのことを観察することにした。

 香ちゃんとは全然違うタイプ、印象のキツさを考えると真逆と言っても過言ではないような美女だ。香ちゃんのクラスメートってことは特別な事情が無ければ私の一個下ということになるんだけど、全然年下に見えない。

 可愛いという言葉よりは断然、美人とか綺麗という言葉がしっくりくる。長い前髪から覗く涼し気な目元、他を寄せ付けない鋭い視線、小さな口元。全体的にクールな印象だ。持ち物を見ても、それは歴然としている。

 高そうな革のバッグや落ち着いたデザインの長財布といった大人びたアイテムも、彼女が持つと全然違和感が無い。むしろ兼ねてより愛用してきたという風格すら感じさせるというか。こんな女子高生、いるのか。それは私の率直な感想だった。


「そこで益子さんとすれ違ったけど、すっごく綺麗な子だね。びっくりした」


 私は香ちゃんの元に戻ると、変に思われない程度に益子さんを見た感想を述べた。香ちゃんと並んで歩いたらさぞかしお似合いだと思うっていうのは黙っておいた。私、偉い。


 本当はいつまでだって香ちゃんとお話をしていたかったんだけど、明日までに終わらせておかなければいけない課題がある。期限は長めに設けられていたんだけど、私が【ホリ見て】という百合小説を読み返し始めてしまったせいで時間が今日の正午くらいまで泥棒されてしまったので全然終わっていない。名残惜しさを感じながらも、私は伝票を手に取って微笑んだ。


「また進展あったら教えてよ」

「何の?」

「香ちゃんの恋の」

「うっさいわ!」


 顔を赤らめて可愛く怒る香ちゃんを見ると、一パーセントも無いであろうその可能性に縋りたくなってしまうんだけど、そんなことは口にしない。ふふふと柔らかく微笑んでお茶を濁していると、背後の異変に気付いた。


「益子さんが居た席のとこ。忘れものかな?」

「……ホントだ」


 店員さんの手には、これまた大人びた印象の控えめなポーチが握られていた。ちょっと困った顔で周囲を見渡している。だけど、彼女はもう随分前に店を出てしまった。レジで接客をした彼女なら、それも分かっているだろう。


「ポーチ、かな? この子、同じ学校なんで、明日渡しておきましょうか?」

「へ!? いや、ここの人と顔見知りだったみたいだし。わざわざ私が出しゃばらなくても」

「お客さんの忘れ物預かるってお店側は気遣うもんだよ。いいじゃん、それくらい」

「で、でも」


 優し気な印象を特に意識して言った言葉だけど、心の中の私の眼は血走っていたと思う。ここで、一パーセントも無い可能性を一パーセントくらいには載せておきたい。いや、普通に迷惑だって分かってるよ。大丈夫、だけど、きっと香ちゃんも誤解を解く機会は欲しかっただろうし、おせっかいだとは思うけど、悪いことはしていないと思う。

 そうして店員さんからポーチを預かることに成功すると、なんと香ちゃんはパフェを注文した。まだ食べるの? 私、明後日も明々後日ももやしだね。いいよ、香ちゃんがそれで幸せなら。


 帰るのが少し遅くなってしまったその日。私は睡眠時間を削って、ギリギリで課題を終わらせる羽目になった。



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