8-5
ぎゅっと自分の手首を掴んで、彼女もまた、話しにくいことを一生懸命私に伝えようとしてくれてるんだって分かる。
「越前、そんなことで負い目を感じたり、しなくていいんだよ」
罪悪感に押し潰されそうだと思った。はっきりしない私が曖昧に肯定してしまった事実を元に彼女は私を慮って、真摯に言葉を探そうとしてくれているんだから。
「自分の気持ちに戸惑うことはあると思う。でも、そんなことで自分が変とか、勝手に傷付かなくていいんだよ」
「益子さん……」
どこか、自分に言い聞かせるような言い方だと思った。ため息をついてから彼女が発した言葉を聞いて、その意味を知る。
「なんか……越前見てると、昔の自分見てるみたいで、ちょっとキツい」
「あぁ……ごめん」
きっと益子さんはこんな葛藤や自問自答を中学時代に通ってきたんだと思う。同性の後輩と付き合っていたということは、そういうことだ。同い年なのに、思考が数年遅れてると思うと、ちょっと情けない気持ちになった。
「ごめん、謝んないで。私が勝手に色々思い出して辛くなってるだけだから」
私を気遣ってそう言ってくれたけど、益子さんは本当に嫌そうな顔をしている。当時の彼女は、当然だけど今よりも精神が未成熟だったと思う。今が完璧とは言わないけど、今以上にものを知らなかっただろうし、経験も少なかった。そんな状態で、きっと大人ですら簡単には答えられないようなことについて、一人で悩んでいたんだ。思い出したくないことの一つや二つ、絶対にあるはず。
だから、私は考えることも、考えさせることもやめたかった。私だって答えが出ていないし、結論を急ぎたい訳じゃない。彼女に至っては、既に答えが出ているものについて、それを導き出す過程を反芻して苦々しい思いをしているだけ。
だったらこんな話もうしない方がいい。私が言った馬鹿な一言が原因なんだけど、それなら終わらせるきっかけを作るのが私だったとしても、きっと何も不自然じゃないはずだ。
「あのさ」
「何?」
「もう一曲聴かせてよ」
「……ははっ、前言撤回。越前、やっぱ変な奴だよ」
憎まれ口を叩きながらも、益子さんはギターに手を伸ばした。リクエストを聞かれたから、長い曲と即答する。この曲が終わると、きっと私は「そろそろ帰るね」と言うはずだから。日が落ちる前に家を出ないと、帰りが遅くなるし、あんまり長居しても迷惑だろう。
一抹の寂しさを覚えながら、彼女の演奏に耳を傾ける。やっぱりどこかで聴いたことのある曲。アーティスト名を聞けば、きっと「あぁ」ってなるんだと思う。だけど、野暮な気がしたから、私は拍手とお礼だけを送って、曲については何も訊かなかった。
演奏が終わるとこの時間が終わるって、彼女も予感していたらしい。私が送った拙い賛辞を聞き流して、どちらからともなく立ち上がる。あんまり言いたくなかったけど、それを言うのが今の私の役目だと思うから言った。そろそろ帰るねって。
「駅まで送ってくよ」
「いいの?」
「うん。この時間なら外を歩いていても何も言われないだろうしね」
部屋を出て、後ろ手にドアを閉める。そうして玄関に向かいながら、私は彼女の言葉の意味を訪ねた。
「どういうこと?」
「学校をサボって日中出かけると、お巡りさんに声掛けられることがあるんだよ。知らなかった?」
「知らないよ。私、不良じゃないし」
「私が不良みたいじゃん」
「不良じゃん」
何言ってんだこいつ、みたいな顔をして益子さん……いや、益子が靴を履く私を見下ろしている。彼女の方はもう支度が出来ていて、扉の前に立っていた。黒を基調としたスニーカーは今日の彼女の装いにぴったりだ。
ローファーに足を入れて立ち上がると、彼女は無言でドアを押す。またここに来るかは分からない。だけど、来れたらいいな。そんなことを考えながら、私は益子家を後にした。
***
遠いと感じた駅までの道のり。中間地点で目印にしたコンビニがもうすぐそこに見えていた。彼女が隣にいるだけで時間の経ち方が変わる気がする。そんなことはないはずなんだけど。
益子はずっと私の半歩先を歩いていた。もしかしたら私の歩くスピードに合わせてくれているのかもなんて少し急ぎ足で歩いてみると、普通に追いついて、すぐに追い抜いて、終いには「歩くの速くない?」なんて言われてしまった。なんかすごく恥ずかしい。
「ねぇ」
「何?」
「彼女、よく家に来てたって言ってたでしょ」
「……よく来てたなんて言った?」
「来る度にギター見てたって言ってた。それって、よく来てたってことじゃん」
「まぁ。やけにつっかかるね」
「……したの?」
「ぷっ」
真面目に訊いたのに、益子は私の言葉を聞いた瞬間噴き出した。確かに変なことを訊いたと思うけど、笑うような話題じゃなかったじゃん。私だってそういう話題に興味が全くないわけじゃない。むしろ、最近はよく耳にする。みんなどこから彼氏なんて調達してくるんだって、その度に思うんだけど。
「ごめん、なんかやけに真剣な顔して聞くから」
「だ、だって、周りでたまに聞くから……」
「付き合ってたって、中学の頃の話だよ?」
「だ、だよね」
何ほっとしてるんだろう、私。こんなこと考えるなんてどうかしてる。自分の自然と湧いた感情に眩暈を起こしそうになった。誰が何をしていたって、そんなの人の自由なはずなのに。
「まぁ。したけど」
「えっ」
思わず立ち止まってしまった。動かなくなった私を気に掛けるように益子が振り返って、じっとこっちを見ている。否定的な言い方、したじゃん。ほっとしたのも、ほっとしたことに違和感を覚えたのも、全部バカみたいだ。ちなみに、こんなにショックを受けている自分も気持ち悪いと思うけど、正直それどころじゃなかった。
だけど益子は、私が考えていることを勘違いしたようだ。軽く笑ってジーンズのポケットに手を突っ込んだ。たったそれだけの所作が綺麗でカッコよくて。手を伸ばせば届きそうな距離にいるのに、告げられた事実も相まって、彼女がすごく遠く感じる。
「心配しなくていいよ。案外なんとかなるもんだから」
「……ふぅん」
私は知らないことを、益子は知っている。見えないはずの境界線が私達を分けている気がして、つっけんどんな返事をしてしまった。ここまで来たら乗りかけた舟だ。益子に元カノのことを訊くことが怖くなくなってきた。
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