8-4

 私を慰めるように、軽快な音が響く。ジャキジャキというギターの音に驚いて視線を下ろすと、足元に四角いスピーカーのようなものがあって、音はそこから出ているようだった。


 ワンフレーズ弾き終わると、彼女は私の目を見て、知ってる? と言った。知っているような知らないような。ギターだけで聴いているから知っている曲でもピンと来ていないのかもしれないし。

 私の答えを待っているのか、同じフレーズをループして弾く彼女の問いには肯定も否定もせず、演奏の音量に負けないように質問をした。


「なんて曲?」

「知らない?」

「もしかしたら、聴いたことあるかも。ごめん」

「なんで謝るの。レパートリーに洋楽しかない私が悪いよ」

「そんなことないって!」


 益子さんは器用に弾きながら会話する。少し考えるような素振りをするとギターに付いているつまみを少し弄って音を下げ、彼女は大きく息を吸い込んだ。

 そうして彼女は歌い出した。演奏の方は彼女の歌を邪魔しない程度の音量に抑えられていてちょうどいい。洋楽しか弾けない、ということは、彼女は洋楽が好きなんだろう。なんとなく歌い慣れてる感じがした。

 軽快なメロディと、どこか懐かしさを感じさせるフレーズ。私、これやっぱりどこかで聴いたことがある。そう告げたいのに、楽しそうに弾き語りする彼女の邪魔をしたくない。西日に照らされて、弦と彼女の髪がキラキラしている。すっきりとした横顔の顎から耳にかけてのラインがとても綺麗だと思った。

 結局、私が声を発したのは彼女が一曲歌い終えてからだった。間抜けな顔でぱちぱちと拍手をしてから、かっこよかったとか素敵だったとか、彼女を褒める言葉ならいくらでも思い付くのに、実際に私が口にしたのはちょっとひねくれた台詞だった。


「……普通に歌上手いじゃん」

「そりゃどーも」


 それでも彼女は照れ臭そうに窓の方を向いて頭を掻いた。もう一曲と言われたら困ると思ったのか、益子さんはそそくさとギターを片付けて始めてしまった。


「私、英語の歌詞なんて絶対歌えないからすごいよ」

「できないっていうのは、やる気のない奴の発言ね」

「うっ……」


 がちゃんとスタンドにギターを立てかけると、ちょっと悪戯をするような顔をして益子さんは笑った。

 ちょっとずつ分かってきた。彼女は少し意地悪なんだ。だけど、距離感を分かっているっていうか、本当に人が不快になるようなところまでは踏み込まない。失言が多くてよく謝ってる有田や、後から余計なこと言ったかもって後悔する私なんかよりも、よっぽど人付き合いというものを心得ている気がする。もしかしたら、細かいところに気遣いできるくらい色々と気付くからこそ疲れしてしまうのかもしれない、なんて思った。

 表面上の人間関係が全て良好だったかといえば、きっとそうじゃないんだろうけど。益子さんの家を訪ねることを嫌った笠間さんという存在がいるんだから。好きだった子を取られたなんて言うくらいだから、あの人が一方的にライバル視してるだけの可能性はあるけど。


「人と合奏できないなんて、そんなことないんじゃないの?」

「うーん。ま、私くらいのも、軽音部にはいるだろうけど。やっぱり、人とやるっていうのはあんまり前向きに考えられないかな」

「……笠間さん、ホントに関係ないの?」

「ないない。笠間は私がギター弾くことすら知らないんじゃないかな。あと、あいつの方がよっぽど上手いよ。去年の文化祭、想像の倍くらい弾けててビビったもん」

「そうなんだ……上手い下手は私にはわからないけど、さっきの益子さん、かっこよかったよ」

「はいはい」


 少し会話をして、やっとまともな感想を伝えることができた。さっきと同じで聞き流されてしまったけど、私が彼女の立場でも反応に困りそうだな、とは思うから嫌な気持ちになったりはしない。たくさん褒めて照れくさそうな彼女を観察するっていうイタズラを思い付いたけど、私の方が先に音を上げそうなのでやめた。

 手ぶらになった益子さんはベッドに腰かけたまま腕を組み、今更「そういえば、なんか飲む?」と訊いてきた。こういうところ一つ取っても、本当に人を招くのが久々だったんだなって分かる。別に喉は渇いていなかったから遠慮したけど。彼女の家が遠かったせいでもう夕方だ。飲み物なんかよりも、もっと彼女と話をしていたかった。


「そういえば、最近信楽とは会ってるの?」

「ううん、全然」

「喫茶店に行く度に会ってたから、てっきりほぼ毎日会ってるのかと思ってた」

「益子さんこそ、あそこに入り浸ってるんじゃないの?」

「あんまり。ちなみに、間近の二回は二回とも越前達にエンカウントしてる」

「うっそ」


 私は益子さんの心中を察した。二回連続でただのクラスメートが自分の話、しかも仲良くなりたいわけじゃないとか好きじゃないとか、本人が聞いてあまり気持ちの良くない話をしているところに出くわしてしまったなんて、私なら喫茶店に行くのが憂鬱になると思う。申し訳ない気持ちで俯いていると、彼女はさほど気にしていない様子で続けた。


「あそこ、母さんの職場が近いからちょうどいいんだよね。たまに仕事終わりにどっか外食しようってときだけ、あそこで待ち合わせるの」

「そうだったんだ」


 益子さんがあそこを利用する理由を知った私だけど、口の端に上がったある言葉で思い出したことがある。お母さんといえば、私がそう切り出すと、益子さんは不思議そうにこちらを見た。なんの心当たりもないという顔だ。忘れたのか、この間のこと。


「こないだの、なんだったの?」

「あぁ。母さんは私が逆高校デビューなんて真似してるの知らないからさ。中学までは友達が多かったのに、高校に入って急にいなくなったってんじゃ心配するでしょ」

「あぁ……」

「って言っても、私も母さんに言われるまで全然気付かなかったんだけど。そういえば最近友達の話しないねって言われて、やっと思い至った感じ。ま、母さんも気付くの遅いよね。二年以上経ってから気付いてるわけだし。仕事、忙しいんだよ。責任ある立場の人だから」

「そうなんだ、立派だね」


 私がそう言うと、益子さんは嬉しそうに頷く。これだけで、彼女はお母さんのことを心から尊敬してるんだって分かった。

 自分の異変に二年以上気付かれなかったら、私ならどう思うだろうと思ったけど、気付いて欲しくないと思ってることなら気にしないのかな。それに、益子さんのお母さんがもっと前から気付いていて、話題にする機会を窺っていた可能性だってある。友達いなくなったの? なんて、多分すごく言いにくい。それが自分の家族だったとしても。


「余計な心配かけたくなくて、悪いけど利用させてもらったんだよ」


 彼女はあのときのことを、私を利用したと言い表した。それがすごく意外で、私ははっと顔を上げる。益子さんは困った顔をして笑っていた。


「なんていうか、ごめん」

「え……?」

「最近、やけに私に絡むじゃん、越前。別に、無理しなくていいから」

「無理なんてしてないよ」


 心外だ。心からそう思った。きっかけは偶然だったかもしれないけど、私は私の意志で彼女に話し掛けたし、それから関わろうとしたのだって、誰かに命令されたからじゃない。むしろ、益子さんはきっと話し掛けられたくないんだろうなって、分かってたのにそうした。


「ならいいんだけど。ちょっと心配だったんだよね」

「人前で話しかけられるのが嫌だから?」

「まぁそれもあるけどさ」


 益子さんは言い淀む。彼女にしては珍しく歯切れが悪いから、言いにくい何かがあるのかもしれない。それを無理に聞き出すつもりは全然なくて、私は見方を少し変えようと、何の気なしに口を開いたんだけど。結論から言えば言った直後、いや、言いながら既に後悔することになった。


「……なんか、隠れて付き合ってるみたいだね、私達」


 馬鹿じゃないのか。いや確実に馬鹿だ。考え足らずなら言葉足らずの方がマシ。恐る恐る益子さんの方を見ると、彼女は案外けろっとしていて、意識し過ぎている自分がまたさらに馬鹿みたいに感じた。スカートの端をぎゅっと掴んでみても心は晴れない。


「ごめん、変な意味で言ったんじゃないよ」

「別に。どんな風に言い現わそうが、越前の勝手じゃん。……ただ、変って何?」

「え?」


 彼女の言葉は明らかに怒気を孕んでいた。


「同性で付き合うって、そんなにおかしいことかな」

「……いや、それは」


 そういう意味で言ったんじゃないって言おうと思ったんだけど、咄嗟に出たさっきの言葉は間違いなく私の本音だと気付いて、何も言えなかった。

 普通じゃないって思ってるのは確かだ。だけど、変態とか異常者だとか、攻撃するような意味合いで言ったつもりはなかった。それを言い訳にならないように彼女に伝える言葉が思い付かない。重苦しい沈黙の中で口を開いたのは彼女の方だった。


「信楽のこと、好きなんでしょ」


 また、何も言えない。肯定したら嘘になるし、否定したら誤解を放置していたことがバレるから。彼女を騙したいなんて思っていないけど、益子さんに対する気持ちに、私はまだ名前を付けたいとは思えなかった。

 私のそんな思惑なんて知らずに、益子さんは優しい顔をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る