8-6


「あのさ、なんで別れちゃったの?」

「言ったら引くから言わない」

「なにそれ。引かないから教えてよ」

「絶対引く」

「ないって」


 こちらが聞く勇気さえ持てれば、益子はこれまで大体のことに答えてくれたと思う。そんな彼女が頑なに言おうとしないことがあることが意外だった。よく考えれば当たり前のことで、どう考えても私が不躾だ。

 だけど、言いたがらない理由が「私に引かれるから」なのであれば、私は食い下がらなければいけないと思う。熱心な私の顔を見ると、益子はため息交じりに再び歩き出した。頭を掻いて、なんとなく落ち着かない様子に見える。


「飽きた、みたいな?」

「えぇ……益子、最低じゃん……」

「引かないって言ったじゃん」

「引いてないよ、軽蔑してるだけで」


 私は誰かとそんな関係になったことはないけど、体を許した相手に飽きたなんて言われたら、きっと傷付くと思う。というか、私のことを言われている訳じゃないのに、ちょっとドキッとした。


「どっちも同じじゃん」

「かわいそうじゃん、彼女」


 あんまり考えないようにしてたけど、もし私が益子のことをそういう意味で気になっていたとしたら、今の話はすごく辛い。自分もいつかそう言われる日が来るんじゃないかって。


「三年も前のことを掘り起こしてかわいそがられるなんて、あの子が知ったらビビるんだろうなぁ」

「はぁー……」


 人の気も知らないで、益子は私の知らない後輩の顔を思い浮かべて笑っていた。恨めしそうにその横顔を睨んでいると、益子は私の視線に気付いてたって顔でこちらを見た。青白い白目が夕陽を浴びて不思議な色で輝いている。目が合って内心焦ったけど、目を背けたら負けな気がして、静かに彼女の言葉を待った。


「越前、信楽と付き合えるように応援してあげよっか」

「……急に何?」

「どうもこうも。協力するって言ってんの。で、半年経って越前が信楽との関係のこと、なんて言い表すのか知りたいな」

「趣味わっる」

「逆高校デビューするようなヤツの性格がいいとでも思った?」


 まさか。私はそう言って、益子の先を歩く為にずんずんと前に出た。角を曲がると、駅が見えてきた。やっと駅だって思いながら、もう駅かってどこか残念に思う自分もいる。益子は簡単に私に追い付いて、肩をぽんと叩いた。反対の手にはスマホを持っている。


「ほら、携帯出して」

「何?」

「連絡先」

「……分かった」


 益子が発したのは短い言葉だったけど、何を言いたいのかは分かった。私に協力する為に連絡先を交換したい、ということだろう。そんな理由でも無い限り、きっと彼女は私と連絡先を交換しようだなんて思わなかったはずだ。

 自分からクラスメートとの交流を断っている人間が、ただプリントを持ってきただけの、たまに話す程度のクラスメートに対して、更に深く関わるきっかけを作ろうとはしないと思う。

 ポケットからスマホを取り出す間に駅の前に着く。みんなが使っているメッセージアプリを益子がインストールしてることが少し意外だったけど、お母さんと連絡を取るために使ってると言われて納得した。

 連絡先を交換して、アイコンの隣に益子の名前が表示される。青空のようなアイコンは、個性を全く感じさせなくて、それがなんだかちょっと寂しかった。


「じゃ。また明日。学校でね」

「行ったらな」

「来ないと益子のアプリのID、黒板に書いとくから」


 ぎょっとした顔で私の顔を見る益子の表情は初めて見るもので、かなり笑えた。


「冗談。それじゃね。送ってくれてありがと」

「う、うん。じゃ」


 益子は私の冗談をまだ引きずっているらしい。あっけなく振り返って帰っていく彼女は、少し歩くと立ち止まって、また頭を掻いていた。


***


 改札の上にぶら下がっている時刻表を見ると、私が乗るべき電車が来るまでまだ時間があるらしいことが分かった。こんなことなら時間を調べてから家を出るか、益子に一緒に待っていてもらえばよかったかもしれない。

 だけと知ったばかりの彼女の連絡先にメッセージを送る気もしなかった。あんな学校生活を送っていれば、駅でばったり会いたくない人がいてもおかしくないし。


 別の電車を降りたらしい人達がぽつぽつと改札を目指して歩いてくる。私は邪魔にならないように端に避けて、再び電光掲示板を見上げた。ここに来るのに乗ったのと同じ電車がちょうど到着したところらしい。

 それを確認すると、改札の横にある扉の向こうの広場を見た。ベンチがずらっと並んでいて、時間を潰すのにはもっていこいの空間だ。後ろには立ち食い蕎麦の暖簾が見える。それを見て、私は小腹が空いていたらしいことを自覚した。


 肩から下げていた鞄を背負い直して動き出したところで、背後から声を掛けられた。友達でもないのにどこかで聞いたことのある声に振り向くと、そこにはショートカットの釣り目の女子が立っていた。着崩してはいるけど、私と同じ制服を着た女子、名前はすぐに出てきた。だって彼女は学校の有名人だから。


「……笠間さん?」

「えっと、越前さん、ごめんね」

「笠間さん……? あれ? 家は高校の近くだよね?」

「あ、うん、そうそう。なんだけど、さっき中学時代の友達に呼ばれて、これから家に行くとこでさ」


 友達、という語句がやけに強調されててちょっと引っ掛かったけど、そこまで私が踏み込むのはおかしいし、笠間さんが会おうとしてる人が友達だろうが恋人だろうが、私には関係ないと思ったので、そこには触れないでおいた。

 申し訳なさそうにはにかむ彼女を見て、王子様と持て囃される所以が分かった気がする。怖そうな見た目に反して親しみやすい彼女のギャップに惹かれる人もいるのも頷けるというか。かくいう私も、彼女のことはステージ上と、たまに廊下ですれ違うくらいしか知らない。有田という共通の友人がいるにも関わらず、まともに話をしたことはこれまでに一度も無かった。


 そして、ここにいる理由を説明し終えた笠間さんに、私は改めて謝罪された。全く心当たりがない。いや、あるにはあるけど、謝られるようなことじゃないと思っていたと言うほうが正しいかな。反射的に「え?」と声を上げていた。


「え、じゃないよ! 蓮美のこと!」

「あぁ」


 やっぱりそうか。蓮美という呼び名に馴染みが無くて、また一瞬きょとんとしてしまったけど。蓮美というのは益子の下の名前だ。私はまだその名を口にしたことはない。

 せっかく笠間さんとここで会えて、向こうから話を振ってくれたんだから勇気を出す場面だと思う。ギターを背負った彼女は、慣れた様子でケースのポケットから財布を取り出すと、広場の方を指差した。


「あっちで少し、話さない?」

「いいよ」


 広場の入口にある自販機の前に立つと、彼女は私に「なに飲む?」と訊いた。ご馳走してくれるのだろう、私は益子が飲んでいたのと同じパッケージのリンゴジュースがあるのを見つけると、それを指定した。

 適当なベンチに座って、買ってもらった紙パックにストローを刺すと、やっと話を再開する。


「今日、なんで行かなかったの?」

「……そんなに仲良くないし、私達」

「それは多分、私も同じだけど」


 私がそう言うと、彼女は「そうなの?」と意外そうな声を上げた。一体どんな風に見えているんだろう。笠間さんは私が益子のことをいじめてるなんて馬鹿な噂は信じてはいないみたいだけど。


「でも、あいつが高校で友達作ることなんて無かったから。もしかすると初めてだったんじゃないかな?」

「さぁ……」

「あいつが誰かと連れ立って歩くところなんて、学校内じゃ見たことないよ」

「それは、私も見たことないかも」


 益子が廊下を歩く姿を思い浮かべてみる。教室の前、下駄箱の前、体育館。どの風景を切り取っても、私の記憶の中の益子は一人で居た。


「二人は何か因縁があるの?」

「因縁っていうか……時間、大丈夫?」

「全然平気」


 電車の時間は全然平気だけど、家に着く時間を考えると、大丈夫じゃない気がしてきた。私は親と信楽にメッセージを送った。信楽に連絡したのは、あとで親に何か言われたときに一緒に居たと証言してもらうため。私の母親は、相手が信楽だと知ると安心するらしく、少しくらい帰りが遅くなってもあまり文句を言わなくなる傾向にあるから。

 私がメッセージを送っている間、笠間さんはずっと言葉を探していたらしい。顔を上げると、観念したように話し始めた。

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