3-2
「信楽の買う服は方向性が結構統一されてるから、色々と合わせやすいのが多いね」
「そうかな。全然分かんないや。私、伊万里みたいにファッションに詳しくないから」
「……私、全然詳しくないぞ」
彼女はきょとんとした顔を浮かべているけど、私に言わせれば「嘘をつくな」だ。
「ホントに、詳しくないって。信楽がマネキン買いしかしないなんてめちゃくちゃなこと言うから、ファッション誌読んで、他の人を観察したりして、色々勉強しただけ」
「へ?」
「だってマネキン買いとか、大学生にはキツいだろ。いつか「もう無理ー!」ってなっちゃうんじゃないかって思ってたから」
「いや、そうじゃなくて……」
つまり、伊万里は私のために、趣味じゃない服のことを勉強してくれてたってこと?
友達って、そんなことまでしてくれるんだ……友達いないから知らなかった……あと私は伊万里にお返しできるようなものが何もない……ヤバい……。
「気にしなくていいよ。私が勝手にやってるだけだし」
「で、でも」
「この服、覚えてる?」
そう言って、伊万里は一着のワンピースを手に取った。覚えてるもなにも、あの服は覚えていたくない黒歴史だ。靴のことが頭に無くて、私はこの白くて可愛らしいワンピースを着て、よれよれのスニーカーを履いて大学に行った。あの日のことを思い出すと、今でも死にたくなる。
「これさ、同じのを駅前で見かけたんだよ」
「あ、それ、そこで買ったかも」
「やっぱ? こんなの似合う人いないだろーって思って眺めてたんだ。そしたら翌日にその服でとんでもない着こなしをしてる子が居て、すごい衝撃だった」
そりゃ衝撃だと思う。妖怪か? って思われても仕方がないよねってレベルで。
伊万里はケラケラと笑って、あの日のことを思い返しているようだ。そして笑い終えると、ぽつりと言った。でも、本当に似合ってた、と。
「それで信楽のこと気になって。本も好きだったし、思い切って同じサークルに入ったんだよ。絶対面白い人だと思って」
「面白いは余計かな」
「むしろそこがメインだろ」
「そんなことない。私はただのオタクで、取り柄も無くて」
「そうそう。服のことがよく分からないからってマネキン買いしちゃう面白い人」
それから伊万里はつらつらと述べた。普通、可愛いと思った服をそのまま買ったりしない、と。自分のスタイルとかを考えて諦める人も居るとかなんとか。
確かに、私はその辺は気にしてこなかった。ドラマや漫画なんかでよく見る、『気に入った服が入らない』なんて現象にも、今のところ遭遇していないし。
「自覚しろって、信楽。素材がすごくいいんだって。色白で華奢で、顔だって」
「顔は普通でしょ」
「そうか? 可愛いけど」
「……」
反応に困る。今まで、そんな風に言われたことなかったから。私が硬直していると、伊万里は件のワンピースを差し出して言った。着て見せてよ、と。
「いいけど、あっち見てて」
「えー? いいじゃん、女同士なんだし」
「女同士だろうと着替えを見たがってる人には見せたくないでしょうが」
「それもそうだ」
伊万里はくるりと背を向けて胡坐をかくと、「着たら教えてねー」なんて呑気に声を上げた。着てるのに教えなかったらそれはそれでヤバいでしょ、と心の中でツッコミながら服を脱ぐ。ブラウスのボタンを外してスカートのホックを外して。
今ここに誰かが入って来たらとんでもない誤解をされそうだな、なんて考えながら今度はワンピースに袖を通す。着たよ、と振り返って伊万里の背中に声をかける。近くにあった何かを読んでいた彼女は、それを手に持ったままこちらを見た。
「おっ! うわー! やっぱり似合うなー! ね、この靴履いてみて!」
「いいけど……」
私は緑色のシールが貼られた箱から靴を取り出した。履いてみると、視線が少し高くなって、それでも立ち上がった伊万里よりは目線が低くて、本当に背が高いな、この人。なんて思った。
言われた通りの格好をしただけだけど、彼女はそれが嬉しくてたまらないらしい。何度も可愛いとか似合うとか夏のホラー特集に出てきそうとか言って私を褒めた。最後のは明らかに褒められてないんだけど、本人は褒めてるつもりらしいので、そのように受け取っておく。
「あ、これはメモしないでね」
「嫌だよ、する」
「ダメだって。はい、没収ね」
ひょいとメモ帳を奪い取られて上に掲げられると、そこはもう私の手の届かない領域だ。身長にものを言わせてイジワルするなんて……ズルい……。
私はそれを取り返そうと、慣れない靴で背伸びをして、そのまま伊万里の胸に飛び込むように転んでしまった。
「っと。ほら、無理するからじゃん」
「伊万里がイジワルするからでしょ」
「うわ、ほっそ」
「聞いてる?」
抱き留めた私の腰に腕を回して、彼女は私の細さに感激している。伊万里だって細いのに。私と彼女の身体的特徴の差なんて、身長くらいしかないように思える。
伊万里は私の腰から髪に手を伸ばして、手の内でさらさらと遊ばせながら呟いた。いい加減抱き留める手を離して欲しいんだけど。あとメモも返して欲しい。
「髪は? 切ったりしないの?」
「ずっと長かったから。いきなり伊万里みたいなショートにしろって言われたら、泣くかも」
「泣くなよ……」
「短いと楽とは聞いたことがあるけど、髪形を変えるって大変なことだよ」
「ま、長く同じ髪形をしてると、そう思うのも無理ないよな。切れって言ってるわけじゃないから、そこは誤解しないで欲しい。ただ、短くしたいのに勇気が出ないって、ただそれだけだったら、似合うと思うって、伝えたかっただけ」
「そっか、ありがとう」
伊万里が私のことを考えてくれているのは良くわかった。私が彼女のことを考えるその十倍くらい考えてくれてると思う。申し訳ないようなくすぐったいような。
さり気なく伊万里の腕の中から逃れてメモを取り返したところでスマホが鳴った。
「なんか鳴ってる」
「多分お母さんだよ」
「なんで分かるんだ?」
「私に連絡してくるのなんてお母さんくらいだから」
「信楽……」
背中に同情の眼差しが突き刺さってる気がしたけど、私は気が付かないふりをしてスマホに手を伸ばした。
「……香ちゃんだ」
「さっきの子? なんて?」
「会いたい、って。もしかしたら益子さんと何かあったのかも!?」
「嬉しそうだなぁ……」
「これ以上に嬉しいことなんて無いわ!」
呆れるような声色に振り返ると、彼女はやはりやれやれって顔をして笑っていた。伊万里には分からないことなんだと思う。だけど、彼女は否定することなくそっかそっかと私の話を聞いてくれている。本当に優しい人だと思う。見かけによらず。
「……人のこともいいけど、信楽は自分のことをどうにかしようとは思わないのか?」
「人らしくしたいと思ってるから服を見てもらったんだよ」
「そうじゃなくて……まぁいいや。会いに行くのか?」
「もちろん!」
「そっか。んじゃ、そろそろお暇するわ」
「……え?」
私は自分の服を見てもらうという名目で彼女を家に招いた。そして自分の用事で彼女を家から追い出すのか。それって、ダメじゃない?
上手く言えないけど、とんでもなく不義理な気がする。私の都合で彼女を振り回しているような気がするっていうか。
「いや、すぐにって話じゃないから」
「うん?」
「えっと、うん。ゆっくり香ちゃんの話を聞きたいし、今度予定を合わせることにするよ」
「もしかして、私に遠慮してるのか? 安心しろ、そろそろ帰らないと親がうるさいし」
「そうなの?」
「うん。んじゃ、また明日学校で。あ、明日はそこに広げてあるやつと、あそこに掛かってるスカート履くといいぞ。寒かったらそこの赤いシールの羽織って。じゃ」
「え、あ、ありがとう。あの、駅まで送ってくよ!」
「いいから早く香ちゃんに返事しろー」
そう言って鞄を持つと、伊万里は本当に出て行ってしまった。香ちゃんとのことで伊万里を帰そうとした私が言うのもなんだけど、なんか釈然としない。
というかいくら親が過保護だって言っても、大学生の娘の門限がこんなに厳しいかな。多分、このまま伊万里が帰れば、十八時前後に家に着くことになるだろう。
「……もしかして気を遣わせたのかな」
そんな可能性が見えても尚、彼女を追いかけないところが私の私たる所以な気がしてきた。勘違いだったら恥ずかしいし、もし本当に早く帰らなければいけないなら、引き止めたら迷惑だろう。
友達にあんなに優しい伊万里は、きっともう少し私と過ごすことを選択する。それが正しいことなのか、分からない。
「ホントに、もうちょっと真面目に人付き合いしてくれば良かった」
今更こんなことを後悔しても遅い。いや、遅いってことは無いんだろうけど。今後の役には立つかもしれないから。だけど、この後悔は今の私の道しるべにはならない。
どうすればいいのかも、何を着ればいいのかも、誰かが決めてくれたらいいのに。クローゼットから覗く服を見つめて、そんなことを考えた。
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