5-2
『信楽は今日からコンビニスイーツ大好きになったから』
あまりにも突拍子が無いメッセージに面食らいながら返信をする。伊万里は私の手元を見ないようにしているのか、それとも単に資料に集中しているのか、どちらかは分からないけど、とにかく私のことは気にしていないように見える。さっき言ったことすら忘れたんじゃないかと思うほど。
『うん? どういうこと?』
『いいから』
『よく分かんないけど、分かったよ』
『この話したの、内緒にしてね』
『……? 分かった』
いや、全然分かんないけどね。でも、内緒にして、と言ったということは、やっぱり益子さんを連れてくるのは間違いなさそうだ。
もしかすると、香ちゃんは私に「連れて行く」と返事をしたつもりなのかもしれない。コンビニスイーツ大好きというのもちょっと意味が分からないし。まぁなんだっていい。益子さんとの仲がそれで深まると言うなら、私は喜んで香ちゃんの考えるプランに乗っかるつもりだ。
「手、止まってるよ」
「あ、そうだった」
慌ててスマホを適当なところに置いてキーボードの上に手を置くと、横からクスクスと笑い声が聞こえた。
作業に集中して、伊万里の気配も気にならなくなったことに気付く頃には、レポートはほとんど完成していた。やればできるじゃんと自分を褒めてやりたいところだけど、今は一人じゃないので小さくガッツポーズするに留めた。ここまでやっておけば、あとは家で寝る前に少し見直せば終わる。
大きく伸びをして、充足感に支配されながら窓の外を見る。夕方、予定の時間はとうに過ぎてしまっているけど、タイムオーバーにはまだ早い。急いで荷物をまとめていると、優しげな声が狭い部屋に響いた。
「終わった?」
「うん」
「そっ。じゃあ、私も帰ろうかな」
「……もしかして、初めから私を待ってたの?」
「うーん。どうだろうな。よく分かんない」
「……なにそれ」
「でも、信楽が帰っちゃうなら、ここにいても仕方ないかなって思ったから。資料は家でも読めるし」
伊万里の言うことが、理解できない。先客がいたのかなんて、まるで一人でここにいるつもりだったようなことを言ってたくせに。でも、さっきは私に会えたら言おうと思ってた、とも言っていた。矛盾してるような、してないような。
上手く指摘できる気がしないし、別に細かく追及するようなことでもない気がしたから、私は立ち上がった。
「そっか。じゃ、鍵閉めるね」
「うん。よろしく」
「忘れ物、ない?」
「へーき。あ、ちょっと待って」
肩を掴んで強引に振り向かされると、すぐそこに伊万里の顔があった。というか、唇が何かに触れた。唐突な感触に驚いていると、伊万里は悪戯が成功した子供みたいな顔で笑って言った。
「今のが忘れもの。んじゃ、考えておいてくれな」
「……分かった」
行き先は二人とも正門の方だというのに、彼女はそう言い残して先に部屋を出てしまった。私は少し待ってから鞄を肩に掛けて、それから部屋を出た。鍵を掛けて、時計を見る。急がなきゃ。
歩きながら、私はやっとさっきの出来事を考える。なんだったんだろう、さっきの。百合漫画でしか見たことない。いや、見たことあったらおかしいんだけど。それにしても、自分の身に、こんなことが降りかかるなんて、想像したこともなかった。
驚きはしたけど、不思議と私は冷静だ。だってちょっと口がぶつかっただけだから。いや、伊万里が意図してそうしたのは流石に分かるけど。それでも、嫌悪感も無ければ止める気もない。ドキドキは、いや、いきなりされたから、そんな風に思う暇も無かった。
私が知りたいのは、こんな私なんかと付き合ったとして、伊万里にどんなメリットがあるのか、ただそれだけだ。いや、そういうときの相手の反応は知ってる。メリットがあるかどうかじゃないって言うに決まってる。好きだからだよ、ってさ。恋愛経験なんてないけど、そういう作品はたくさん見てきた。
だけど、漫画や小説の中のキャラクターはみんな自分の魅力に気付いていないだけで、読者から見れば魅力的で可愛い女の子で……相手の子が言う「好きだから」という言葉に、私はいつも説得力を感じていた。分かる、可愛いもんね。そんな子を独り占めできるだけで嬉しいよね、きっと。
だけど、私はと言えば、可愛くもないし、一緒にいて多分楽しくもない。さっきだって、一時間くらい一緒に居たのに、ほとんど会話をしなかった。あと、付き合ったりしなくても、私ってそもそもぼっちだし。そんな優先予約みたいな真似をする必要、これっぽっちもない。ヤバい、考えてると自分が惨め過ぎて悲しくなってきた。
早歩きで街を通り過ぎる。そんな私を、車道を走る車は悠々と追い越してどこかへ行ってしまう。急いでいるのが馬鹿らしくなるくらい、スイスイと。別の意味で悲しくなってきたから、伊万里があんなことをした意味を考えてみることにした。
「鈍いって、言われたな……」
そうだ、鈍いって言われた。それもかなり呆れたテンションで。
確かに、伊万里に「私とのことを考えてみて」と心理テストみたいな流れで言われた時は、「告白みたい」って思ったけど。キスされてはっきり分かった、やっぱりあれってそういう意味だったんだって。だから私は鈍くない、大丈夫。
***
しばらく歩いて、喫茶店のある通りに出る。まだ到着していないというのに、近くまで来たら少し気が緩んだ。私は鞄からスマホを取り出すと、メッセージをチェックした。
香ちゃんから、何件も届いてる。いや、本当に何件も。なんだこりゃ。見ると、あとどれくらい掛かる? とか、どこに座ってるとか、そんなお知らせだった。律儀な年下の幼馴染だ。途切れ途切れに何通にも分けて送られてきてることが少しだけ気になったけど、きっと深い意図はないだろう。私は慌てて返信を打った。
『ごめん! あと五分くらいだから!』
早歩きを再開する。遅れる側としては走った方が誠意を尽くしてるっていうのは分かるんだけど、今日の靴でのダッシュはかなりきついから許してほしい。
そうして私は喫茶店のドアを押して、店内に入ると店員さんに話し掛けられるよりも早く左側を見た。居た……香ちゃんと益子さん……なにあの空間、可愛い……私座りたくない、どう考えても邪魔……百合に挟まりたがる男と同じくらい邪魔……。
正直、帰りたいもしくは近くの席に座って静かに眺めていたい気持ちでいっぱいになったけど、二人が待ってくれているのはこの私だ。私が行かなきゃ始まらない。今日の主役は私。いやそれは言い過ぎ。私が主役になる日なんて人生でこの世に生を受けた日くらいだ。今の無し。
とにかく私は店員さんに待ち合わせであると伝えて、ついでにコーヒーをお願いすると、すぐに二人のところに向かった。二人が並んで座ってくれているから、私は正面に座るとする。完璧、ずっと二人を眺めていられるなんて最高。
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