4-1
多分、益子さんに好きじゃないって言ったのを聞かれてしまってから数日後。私はいまだに鬱屈とした気持ちで日々を送っていた。
たまに窓の外を眺めてはため息をつくことが増えた気がする。回数は数えてなかったけど、これまでそんなことは一度も無かったから、増えたのは確実だ。衝動的に頭を抱えてしまいたくなるときもあったけど、それをやると本当にヤバい人になっちゃうからなんとか堪えた。
なんであんなこと言っちゃったんだろうなんて、もうここ数日で百回はしてる自問自答をしていると、誰かにがしっと肩を掴んで顔を覗き込まれた。顔を見る前に誰かは分かっていた。こんなことするの、あいつしかいない。
「マジさ、どした?」
有田は息が掛かりそうなくらい顔を寄せて私に問い掛ける。どうしたもこうしたも、私は私の犯したとんでもない失礼に凹むのに忙しいんだよ。当然、そんなことは言えないから、有田の顔をぐいと背けながら、ぶっきらぼうに答えた。
「何が」
「ここ最近元気ないじゃんかー。言えよー。あとそれ以上やったらあたしの首が折れるぞー」
「うっさい」
「何もないじゃなくてうっさいって酷くないか!? あたしに頼りたくないってことじゃん!?」
「うん。そう」
有田のショックを肯定すると、私はくっついてくる彼女を引き剥がして、既に帰路についたらしい隣の生徒の席に座らせた。時刻は十五時半、放課後。ホームルームが終わった直後の教室は騒がしかった。
「っかぁー……傷付くわぁー……」
「だって有田しつこいんだもん」
「しつこくもなるっつの。
有田も私のことを本名では呼ばない。そのせいか、もう三年生になるというのに、私の名前を
「知らないよ。窓の外を眺めてるからって元気が無いとか限らないでしょ」
「そうだけど絶対多いって! お前、授業中もそんな調子で、ノートもろくに取ってないだろ!」
「……私を観察してる有田はどうなの?」
「あたしは一番後ろの席だから! サボってないから!」
嘘だ。有田は控えめに言って勉強が出来ない。どうせ授業に集中できなくてぼーっとしている最中に、たまたま私のことが視界に入ったとか、そんなんだ。有田のことは好きだけど、そういう点において彼女の信頼は地の底だった。
だけど、私のことを全然心配していないとも思っていない。ホントに平気だよと告げて笑ってみたけど、思ったよりも上手に笑えなくて、私は私があんまり好きじゃないと思った。
「あのさ、香って自分が思ってる数倍は分かりやすいからな」
「はいはい」
「信じてないだろ」
「さぁね」
「益子」
時が、止まった気がした。有田が発した単語があまりにも突拍子なくて、心当たりしかなかったから。なんでその名前を、この場面で出せるんだ。
私は机に落としていた視線をそのままに、目を見開いた。ゆっくりと有田の方を見ると、有田はショートカットの頭を少し傾げて、「な?」と言って笑った。人懐っこい垂れ目が、少しニヒルに歪んでいた。
「な、なん」
「見過ぎなんだよ」
「……嘘でしょ」
「窓の外眺めるのと同じくらいの回数な」
全く自覚が無かったことを指摘されて、しかもそれが嘘だと思えなくて。私は何も言えなかった。助け舟を出すように、有田は声を潜めて話し続ける。
「にしてもあいつ変わってるよな。結局三年になっても友達作る様子ないし」
「二年まで作らなかった人が急に友愛に目覚めたら怖いでしょ」
「そりゃそうだけど。過去に何かあったってんなら頷けるけど、あいつの場合何もなさすぎて怖いんだよな」
「そういう言い方はさすがに不謹慎でしょ」
友達を作りたくないと思う理由なんて、暗い内容しか思い付かない。そんなもの無いにこしたことはないでしょ。
有田にはこういう、デリカシーが無いというか無意識にとんでもないことを言う癖があった。それでも私が有田とこれまで友達でいれたのは、指摘されたことを受け入れる素直さがあるからだ。逆に、有田は私なんかのどこがいいのか、分からないけど。
「今のは良くない言い方だったかもしれないけど、考えるだろ? あそこまで人を寄せ付けないなんて何かあったのか、って」
「まぁ……でも、何も無かったって勝手に決めていいことでもないじゃん。何かあったかもよ?」
「あいつ中学までは結構普通だったんだぞ」
「へぇ、そうなんだ。へ!?」
私は慌てて有田を見る。私の反応を見た有田は、嬉しそうに「やっぱ興味あるんじゃん、香」なんて言ってまた笑った。なんで有田が益子さんのことを知っているんだ。私が知る限り、二人には何の接点も無かったはずなのに。
「……っさい。で、なんで有田がそんなこと知ってるの?」
「三組の
「架木中自体、ピンとこない」
「だよな、遠いもん。とにかくそいつが言ってたんだよ」
「……そう、なんだ」
笠間さんのことは知ってる。というか彼女はこの学校の有名人だ。知らない人なんて、一年生を探してもなかなか見つからないだろう。女子高にありがちな王子様ってやつ。
本人がそう言われることについてどう思っているのかは知らないけど、彼女は入学からずっとそう呼ばれ続けている。軽音部で花形のギターをやっていて、私には良し悪しは分からないけど、ものすごく上手いらしい。去年の文化祭のステージでは、とても堂々と演奏をしているのを、私も見た。有田のバンドメンバーでもある。
「家庭環境も普通、友達も居て、あぁそうそう。中学の頃に後輩と付き合ってたらしいぞ」
ペラペラと益子さんのことを喋る有田を制止しつつも、後輩と付き合っていたという情報が私の頭の中でじわじわと広がっていた。
大人っぽいから、どちらかというと年上と付き合ってそうな感じがしたけど、後輩の男子から見ればそんな雰囲気を持つ彼女にこそ甘えたくなるのかも、なんて。
「……ばっ。声デカいから。それに、別にそこまで知りたくない」
というか勝手に知りたくない。本人が話したわけでもない情報を勝手に共有するなんて、なんかいけないことをしているような気がしてくる。
「別に悪口とかじゃないしいいだろー」
「……っていうか笠間さんってあのいつもファンの子を引き連れてる人でしょ? あの人の言うことってあてになるの?」
「なんない」
「ほら」
「普通はな」
「え?」
「狙ってた後輩を取られたらしい。あたしにはよく分からん世界だ」
有田はやれやれという顔で両手を上げて、呆れたように笑った。有田はどちらかというと馬鹿をやって呆れられる側の人間だから、こんな表情をするのは結構珍しい。
「あぁ、有田って略奪とか、そういうの縁がなさそうだよね」
「そりゃどうも。ま、香も人のこと言えないけどな」
「うっさいな」
ホント、うっさい。有田は。
「ま、あたしが言ってるのは取った取られたって話じゃないけどな」
急に話についていけなくなってしまった。他に何があるというのだ。まさかその後輩とやらが訳アリなのか。私が「え?」という顔をすると、有田は笑いながら言った。
「架木って女子校だぞ」
あー……そういう……。笠間さんはそっちなんじゃないかとは思っていたけど、そういうことか。相手に不自由しなさそうだという点だけ見れば、ちょっとだけ羨ましい。
それにしても、信楽が言った恋という単語がいよいよシャレにならなくなってきた気がする。だけど、私はそんな理由で益子さんに興味があるわけじゃない。
そういう人がいること自体は知ってる。というか校内でもいくつか噂はあるけど、それに嫌悪感を抱いたこともない。ただ、相手の子を見て「どこがいいんだろう」と思うことはあったりしたけど。私も大概ひどいと思う。私には分からない。あばたもえくぼなんて言うけど、私にはそんな経験は無いというか。単純に、私は未だ恋というものを知らないのだ。
有田の発言に呆けていると、教室の入口から有田を呼ぶ声がした。変わった形の黒いケースを背負った女子は、どう見ても同じ部活の生徒だ。名前は知らない。笠間さんじゃないことくらいしか、私には分からなかった。
「今日は来いよー?」
「ベース置いてきたから無理ー」
「部室にあるの弾け。早く来いよ」
「はぁー……んじゃま、あたし、今日は部活行くわ」
「うん。本当は毎日行けよ」
「それは言うなよ」
ニカっと笑うと、有田は中に何も入ってなさそうな鞄を持って立ち上がった。私は知ってる、有田は教科書を全部置き勉してるから、鞄には財布とポーチとピックくらいしか入っていない。
有田を見送ってからも、私はずっと自分の席に座っていた。たまに、帰らないの? と声を掛けられたりもしたけど、アンニュイな笑顔で曖昧な返答をして、その場に留まり続けた。
益子さん、女の子と付き合ってたんだ。どんな子だったんだろ。っていうか、なんで高校では友達作らないんだろう。有田から聞かされたことが頭の中でぐるぐると回る。そうしてたまに、女の子同士で付き合って何をするんだろうとか、そもそも付き合ってる人達って何してるんだろうとか、全然関係ないところに脱線して。帰ればいいのに、家に帰る気分にもなれなくて、いつの間にか机に突っ伏して目を閉じていた。
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