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 レポートやら課題やらで慌ただしく過ごしていたのも昨日まで。色々なことから解放された私は、清々しい気持ちで今日最後の講義を終えようとしていた。


「じゃ、次は……そうか、夏休み明けか。羽目外し過ぎるなよ」


 教授はそう言ってそそくさと出て行ってしまった。

 今日、私は香ちゃんと会う。そして、もしかしたら益子さんと会うことになるかもしれない。

 どうなっているのか、結果はもう出ているんだろうけど、それを前もってメッセージで訊くのは野暮だと思って、せめて今週は学業に専念した。バイトには二回入ったけど、これは社会勉強ということで。

 最近の私は伊万里の助言のおかげで、金銭的に少しだけ余裕が出てきた。マネキン買いしないってすごい。服一着買うだけで済むとか魔法みたいだ。だけど、しばらくは伊万里と買い物にも行っていない。なんていうか、あんなことがあってからだと、少し気まずくて。でも、有耶無耶にしておくのも、そろそろ限界だと思う。

 伊万里の気持ちを考えると、これ以上待たせるって、ひどいことなんじゃないかって気付いたから。昨日。我ながら遅すぎる。


 手早く支度をすると、教室から出ようと準備をする伊万里の前に立った。意外そうな表情で私を見上げる顔はかなり珍しい。

 話をするとき、大抵は伊万里が私に近寄って話し掛けてくれていた。そんなことにも今気付いたばかりで、それを申し訳なく思いつつも、私は勇気を振り絞って声を発した。


「あのさ、この間のこと」

「……覚えてたんだ。忘れたんだと思ってた」

「そんなわけない」

「そっか。……で、なんだ?」

「香ちゃんのことを最優先に考えるの、今日で最後にしようと思うんだよね」

「……なんかあった?」


 彼女は怪訝そうな顔をして声を潜めた。会った事もない子の為にここまで心配できるって、伊万里って本当にいい人だと思う。


「香ちゃんね、多分、益子さんに告白したの。あ、もちろん、凹んでたら出来る限りケアしてあげたいと思うんだけど、なんていうか、そんな香ちゃんを見てて、私も頑張らなきゃって思ったっていうか」


 取り留めもない話を聞いて、それでも彼女はそっかと言って笑った。明日、できれば二人きりで会いたいと告げると、むしろ誰か呼ばれたらがっかりするんだけど、と言われた。

 まだ付き合うなんて言ってないけど、伊万里はこのチャンスを逃すまいとしている。それくらい、私にだって分かる。


「会ってくれる?」

「断るわけないだろ」

「良かった。あの、それじゃ」

「これからどっか行くの?」

「うん。香ちゃんに会いに」

「あぁ、なるほど。オッケー、そんじゃ……良かったらあのワンピ着てきてよ」

「それはいいけど」


 意味深な表情で言われたけど、あれを着るくらいどうってことない。靴だって何を履いていけばいいのかもう分かっているし。学校に着てきた時は上着を羽織ってたけど、それを着なければ夏らしくなるだろう。

 だけど、そういう意味じゃなかったらしく、伊万里はため息を付いてから、もう一度ゆっくりと言った。


「良かったらって意味、分かってる?」

「え?」

「だから、デートのつもりで会ってくれるなら、ね?」

「……わ、分かった」


 私の返事を聞いた伊万里は、ニコッと笑って立ち上がった。私の頭にぽんぽんと数回手を置くと、教室の出入り口へと歩いていく。どうやらこれからサークル棟に向かうらしい。


「それじゃ、また明日」

「あ、うん。またね」


 そうして伊万里と別れた私は、例の喫茶店へと向かう為、正門を目指した。


 自分のこと、香ちゃんのこと、あとちょっとだけ伊万里のことを考える。香ちゃんが一人寂しく喫茶店で待っている可能性も頭に入れて、少しだけ早足になった。

 明日、あのワンピを着ていくということは、そういうことで。それってつまり、伊万里を期待させることになる。まだ自分の気持ちがはっきりしてないのに、そんなことしていいのかな、とか。色々考えた。答えが出るよりも先に、乗り込んだバスが目的地に着いた。そして気付いたら喫茶店の扉の前に居た。


 深呼吸をしてからドアを開く。いつもと変わらないいらっしゃいませを聞きながら、私はいつもの席を見た。そこには香ちゃんと、隣に益子さんが座っていた。感極まって泣きそうになったけど、入店早々泣き出すヤバい客になりたくなくて、必死に堪えた。


「遅かったね、信楽」

「私は時間通りだよ。っていうか、補助輪を外すの遅れた人に言われたくないかな」


 益子さんの「なんの話?」って顔が面白くて、私は噴き出してしまった。良かった。本当に。香ちゃんは、ちゃんと勇気を出して、一歩踏み出したんだ。


 彼女の成長を見守ってきた姉のような立場で喜びつつ、目の前にいる美少女二人がカップルなんだと歓喜する百合好きの立場でも盛大に喜ぶ。きっとこれ以上の喜びって無いだろう。

 だけど、これはつまり、香ちゃんのアフターケアのことなんて考えなくてよくて、私は私のことだけを考えて全然問題ないってことを意味する。伊万里のことを思い出して頭を抱えそうになったけど、今はこの喜びに浸ろう。明日のことは明日考えればいい。とにかく、二人に色々聞かなくっちゃ。


「二人とも、覚悟して? 今日は根掘り葉掘り教えてもらうからね」

「お手柔らかに頼むよ」

「こういうときの信楽って容赦ないからなぁ~……」

「ふふ、それじゃあね。えーと」


 付き合いたての二人は、私の質問を受ける度に、わーとかそんなこと訊く? なんて言って笑って見せた。

 この二人がいつまでも幸せに過ごせることを祈りながら、私も笑った。先のことなんて誰にも分からないけど、ね。

 とりあえず、二人のおかげで明日の服装だけははっきりしたから。

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