10-2



 喫茶店に着くと、窓際のボックス席に通された。要するにいつもの場所。たまには別の席に座ってみたい。いや、今日は信楽を待つから見やすいところで良かったのかも、なんて考え直したりしていると、隣に益子が座ってきて変な声が出た。


「ちょっ!」

「なに?」

「なんでこっち座るの!?」


 声を潜めつつも勢いは完全に怒鳴りつけるような感じだった。ボックス席で隣り合って座るなんて、浮かれたカップルか小さい子を連れているお母さんくらいしか思いつかない。


「なんでって……私達が向かい合って座ってるの考えてみてよ」

「普通じゃん」

「あとで信楽が来て、私の横に座ると思う?」

「まさか。私の横に座るでしょ」

「でしょ。だから。なんかヤじゃん。面接されてるみたいで」

「……あぁ、言われてみれば、結構嫌かも」

「ね?」


 益子の立場になって考えてみれば、彼女の行動は何も突飛なものではなかった。だけど、この座り方じゃ携帯も見れない。いや、見てもいいけど、さっき信楽には口止めするようなメッセージを送ったし、それを見られるとなんていうか都合が悪い。っていうかそれ、口止めした意味無いし。

 いてもたってもいられなくなって、私は早口で立ち上がった。


「ちょっとトイレ行ってくる」

「早く戻ってきてね」

「え?」

「私が一人のときに信楽が来たら気まずいじゃん」

「あぁ……それもそうだね」


 一瞬、本当にほんの一瞬だけどポジティブな解釈をしてしまいそうになった。やっぱり今日の私はどこか変だ。古いフローリングの床を歩いて、一つしかない個室に入ると、私はスマホを取り出した。


『信楽、何時頃着くの?』


 私の送った文面は画面上にポップアップして、微動だにしない。彼女がメッセージを読んでいる様子も無かった。


「こういうときに限って連絡つかないし……」


 だけど、送られてきたメッセージを読めば、信楽は当然返事をするだろう。彼女が私のそれを無視して席に着くのは考えにくい。だから、私は信楽から返事が来ても、益子の前で堂々と見れるようにしておく必要があった。いや、益子が人のスマホをじろじろと覗き見るようなことをするとは思えないけど。それでも、見えちゃうことってあると思うし。


『私達』

『先に喫茶店』

『入ってるから』

『あ』

『入口のとこの席ね』


 ここまで打つと、信楽に送った口止めの文面が見えなくなった。早く戻るように言われていたことを思い出した私はそうして化粧室を後にした。

 何も無かったですよという顔をして席に戻ると、私は益子の隣に立った。


「そっち詰めて」

「ん」


 並んで座ると、メニューを開く。しばらくして、店員さんが注文を取りに来てくれた。益子はいつもの、つまりアイスコーヒーを、私はグレープフルーツジュースを頼んだ。なんでもよかったんだけど、冷たいものを飲みたい気分だったから。

 今日はお店の中にお客さんが少なくて、いつもよりも早く注文したものを持ってきてもらえた。それぞれのグラスがコースターの上に鎮座するのを見て、私は言った。


「いつものって言って分かってもらえるの、すごいよね」

「そう? 香は……それ、いつも?」

「ううん。毎回違うよ。あ、コーヒー飲めないわけじゃないよ」

「へぇ。そういう人って浮気症っぽくて、なんかいやらしいね」

「実際に飽きたって女捨てる人に言われたくないけど」

「そりゃそうだ」


 でも別に浮気はしてないし、なんて言って益子は笑う。早くも汗をかき始めたグラスをストローが入っていた紙の袋でちろちろと撫でる姿の方が、私の好みなんかよりもよっぽどいやらしいと思った。


「……煙草吸ったりしないの?」

「吸わないよ。私に対するそのイメージ、何?」

「ごめん。似合いそうって思ったから。それにちょっと不良っぽいし」

「ないない。肌に悪いじゃん」

「そういうの気にするんだ。意外」

「だから私のことなんだと思ってるんだっつの」


 見当違いな理由で煙草を吸うことを否定する益子が少しおかしかった。私はむすっとしている彼女の横顔を見て笑う。


「益子は、なんて言うんだろ。全然気遣ってないのに綺麗ですってオーラが出てるっていうか」

「そりゃケバい化粧するような趣味はないけどさ。それなりに、っていうか人並み以上に気は遣ってると思うよ。髪だって、本当はウザいけど、重みで下に引っ張んないと大変なことになるし。だからショートにできない」

「そうなんだ。前髪なんか、部分パーマかけててもおかしくないって思ってた」

「誰が金払ってこんな頭にするんだよ」

「かわいいと思うけど」

「うるっさ」


 不機嫌そうに言ってるように見えるけど、こういうときの益子は本心では怒ってない。多分照れてるだけ。私は可愛いって、本心で言ったけど。冗談っぽく言えば少しだけ素直になれるって知って、それが新鮮に感じた。私は本当に、恋の仕方を何も知らない。


「そういう香はどうなの?」

「え? ……ごめん、私そういうのに疎くて。髪も、いつもお母さんが連れてってくれるとこでついでに切ってもらってて……。スキンケアっていうの? 肌に合わないもので下手にやるとニキビになったりするって聞いて、じゃあいいかなって思って、その、何もしてない……」


 同年代にしてはかなり疎いと思う。私はそれを心のどこかで恥ずかしいことだと思っていたんだけど、益子は笑うどころか、ちょっと怒ったみたいな顔になった。


「益子?」

「全然気遣ってないのに綺麗なのはそっちじゃん!」

「綺麗じゃないし!」

「綺麗も可愛いも変わらないから!」

「へ!? 可愛いって何!?」

「どっからどーみても可愛いわ!」


 一頻り変なことで怒鳴り合うと、私達はほぼ同時に冷静になって無言で見つめ合った。なんだろう、この時間。気まずい、氷みたいに解けて無くなりたい。


「なんか、益子に可愛いって言われると……」

「はぁ……別に、口説こうとしてるわけじゃないっての」

「そうじゃなくて……。益子の方が綺麗だから、なんか恥ずかしいっていうか」


 私は慌ててそういう意味じゃないと否定すると言葉を続けた。


「みじめ?」

「自虐的過ぎるでしょ」


 自分でもそう思う。ちょっと言い過ぎた。だけど、そう言っちゃうのも無理はないと思う。だって、益子は本当に綺麗で、たまにカッコよくて、もっとたまに可愛い人だから。そんな人に褒められて素直に受け止められるほど、私は自信家じゃない。


「……よく考えたら私、これまでに可愛いなんて、ほとんど言われたことないかも」

「天涯孤独で育ったの?」

「なんでよ」


 益子には、私はどんな風に見えているんだろう。どんな人間か、じゃなくて。容姿的な意味で。絶対無いって思うけど、私が益子に思ってるようなことを益子も思っていてくれたら、すごく嬉しい。それって多分、特別な意味で好きじゃないと無理だと思うから。

 益子は窓の外を見ながら、頬杖をついて呟いた。


「信楽は、何してんだろ」

「あぁ、遅いよね」

「そうじゃなくて」


 こちらを見ないまま、益子は続ける。なんでこっちを見てくれないんだろうって思ったんだけど、結果的には、見てなくて良かったって思った。


「同性とはいえ、こんなに想ってくれる可愛い子ほっといてってこと。信楽の話をするときだけいつも様子が変わるし、私が信楽だったらもしかして、と思うくらいはするよ。多分」

「し、信楽は鈍感だからさ」

「あぁ。確かに、ちょっとトロそうだったかも」


 自然と話の流れで可愛いなんて言われて、どうしていいのか分からなくなる。あと、私は信楽を好いていないから、信楽がそう思ったらちょっとヤバいと思う。墓穴を掘るだけだから、そんなことは言えないけど。

 多分、私が益子に信楽の話をするときだけぎこちないのは、誤解を利用していることを突きつけられてる感じがして申し訳なくなってるだけ。


『ごめん! あと五分くらいだから!』


 テーブルの上に置きっぱなしになっていたスマホが振動して、画面には受信したメッセージだけが表示されている。送り主は信楽だ。


「……あのさ、ずっと引っ掛かってたんだけど」

「何?」


 私はずっと確かめたかったことを口にした。もう少しで信楽が来るってタイミングでするような話じゃないっていうのは分かってるんだけど、今なら聞ける気がしたから。


「益子、元カノのこと。飽きて捨てたって、嘘じゃない?」

「……なんで?」

「そんな理由で人を振る人だと思えないから。どっちかっていうと、飽きるくらいなら最初から付き合わなさそうっていうか。だから、そう言わざるを得ないような状況だったんじゃないかなって」


 これは、私の願望なんかじゃない、多分。そりゃ、好きになった人には誠実で居て欲しい気持ちはあるけど。だけど、そうじゃない。益子が優しい人だって、今は知ってるから。ずっと感じていた違和感を口にすることができて、少しだけすっきりした。


「……香は、お人好しだね」

「なんでさ」

「そんな風に言う人、今まで一人もいなかった」

「そう」


 私は、お人好しなんかじゃない。ただ、他の誰よりも益子と真剣に向き合おうとして、それができない臆病な自分に嫌気が差したりして、それでもやっぱり益子から目を背けられなかっただけだ。


「否定、しないんだね」

「……好きに解釈しなよ」


 どちらかというと重たい話題で、流れているのは沈黙で。だけど、不思議と、私は気まずくなったりしなかった。益子も同じように感じてくれてたら、嬉しい。


 それからしばらくして、窓の外を信楽が横切った。いつもよりもかなり早歩きで店内に入ってきた信楽は、私達を見つけると控えめに手を振った。


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