5-4
思考が暴走しかけた私は二人にバレないように小さく深呼吸をする。
よく考えたら二人、まだ結婚してないんだった……結婚どころか交際してないし。事実を並べるとするなら、香ちゃんがひょっとしたら益子さんにそういう好意を持ってるかもってことだけ。
そう、それも友愛九割くらいの、至って健全な感情を抱いている。二人を邪な気持ちで見るなんて、とても失礼なこと。学習して私。
益子さんはスマホの画面を点けて、母が迎えに来ると言って席を立った。まだ色々聞きたい気持ちと、これ以上爆弾を投下されたらトチ狂って店のメニューを上から順番に頼むという奇行に走りそうだったから助かったという気持ちを自分の中で上手く処理して、また会いましょうと手を振って別れた。
彼女は立ち去る姿まで美しかった。長いストレートの髪を靡かせて喫茶店のドアを押す姿は、とても高校生には見えない。制服を着てなければ、間違いなく大学生、下手したら社会人に見えていたことだろう。
店から出た彼女は目の前に停まっていた白のセダンの前に立ち止まると、振り返って控えめに手を振った。私は慌てて手を振る。精神的にはうちわを振りたい気持ちだったけど、どう考えても気持ち悪いのでうちわを持ってなくて良かったと思う。そうして彼女を見送ると、香ちゃんは緊張の糸が解けたように、少しだけだらけた姿勢になってから言った。
「やっと二人になれた……」
「え? 益子さんと一緒なの、そんなに嫌だった?」
「ううん。ただ、益子の話、したかったから」
「あぁ……」
呼び捨てになってる。もう呼吸が苦しい。これからどんな話を聞かせられるのだろうか。そしてそれを聞いても尚、私の心臓は動いているのだろうか。ちょっと自信が無い。
「あの、落ち着いて聞いて欲しいんだけど。益子は私が信楽のこと好きって思ってるっていうか、それを応援するって名目で、今日は連れてきたんだ」
頭の中でパラララという音が聞こえる。これは、そうだ、自動小銃の音だ。私の脳内で戦争が繰り広げられている。なんかすごい悲惨なやつ。いや、悲惨じゃない戦争なんて無いかもしれないけど、とにかくすごく悲しいことが脳内で起こっている。
何がどうなったらそんな悲しい勘違いが発生するんだ。二人の障害になるくらいならこの生涯終えるんですけど。
「えぇ……香ちゃんが、私を……そういう意味で、好き……?」
「すごい誤解だよね」
「うん……えっと、違うよね?」
「うん。信楽のことは一つ上の姉くらいにしか思ってないよ。っていうか信楽のことをどうやって好きになるの?」
「言い過ぎ言い過ぎ」
必要以上に否定されたことについては少し悲しかったけど、だけど香ちゃんが私のことをそういう意味で好きじゃなくて、本当に良かった。そうだったら私、死ななきゃいけないところだったし。
こんな話をしていたら、不意に伊万里の顔が浮かんできた。好きとかなんとか。うん、言ってる意味は、さすがの私にも分かる。だけど、今はちょっと後回しで。嫌とかじゃなくて、そんなこと考えたことも無かったから手に余るっていうか、とにかく今は香ちゃんのことに集中したい。
「香ちゃんはその誤解、解かないの?」
これは当然の質問だと思う。誤解されてるって分かってるなら。香ちゃんが私にプレゼントと称してコンビニスイーツを買ってきてくれたことを考えながら言った。
香ちゃんは、誤解されてるって分かってて、それを意図して放置している気がしたから。私としては早くその誤解を解いて二人に相思相愛になって欲しいんだけど。
「多分だけど、私がわざわざ言わなくても、益子は誤解に気付いてる気がするんだよね」
「え!?」
声がひっくり返る。それ、すごくややこしい状況になっていない? 益子さんは誤解していたことに気付いていて、だけどそれを香ちゃんに伝えていないってことになるけど、何のためにそんな……っていうか香ちゃんも、「誤解だよ」って言えば、それで済む話じゃない。
私には二人の考えていることがまるで分からない。難しい顔をして落ち着かないからコーヒーカップを手に取ってみたけど、全然意味無くて。なんとなしにテーブルを見つめて唸っていると、香ちゃんは決意で満ちた声で言った。
「私、多分。益子のこと、好きなんだ」
「はい?」
「っていうか、私の自惚れじゃなければ、益子も、まんざらじゃないと思ってると思う」
「え?」
……うん?
えと、なに……?
いま、好きって言った? 益子さんのこと。ふん?
しかも? 益子さんも? その気持ちに気付いていて?
アハァン? イエェイ? ってなってる?
二人がくっつくようなことがあったら、テンションが爆上がりになるって、ずっと思ってた。だけど、違う。私は、今の香ちゃんの発言が別の意味で言ったとか、そもそも私の聞き間違いとか、そういう感じでしか受け止められない。
自分の都合のいい解釈、してないかな。本当に。大好きな創作の物語を二人に当てはめて考えたり、してないかな。なんていうか、自分が信じられない。
こういうのって、普通は自分が告白されたときになる反応なんだろうけど。彼女が気持ちを自覚する前から、というかそういう気持ちを持つ前から勝手にずっと応援してたから、自分のこと以上に自分のことのように感じる。
また伊万里のやけに整った顔がフェードインしてきたけど、今は心が忙しいからそっとそのままフェードアウトしてもらった。
「信楽を口実にすると、お互いに話しやすいっていうか」
「……そっか。どんな形でも、香ちゃんの恋が応援できてるなら、それでいいよ」
「……うん」
なるほど、香ちゃん達が誤解をあえて放置している理由は分かった。私の存在が二人を邪魔しているどころか、ある種のキューピットになっているなら光栄だ。これ以上の幸せって、きっと今の私には存在しない。だけど、キューピットならキューピットらしく、使命を全うしなきゃいけないだろう。
思えば、二人が話をする口実になればいいと思って、ポーチを返しておくなんて言ったのも私だしね。
「私を介して仲良くなってくれたのは、偶然とはいえ嬉しいよ。でも、もういいんじゃない?」
「……このままでいいよ」
「香ちゃん。私が今でも補助輪つけて自転車に乗ってたら、どう思う?」
「頭おかしいと思う」
いや言い過ぎ言い過ぎ。傷付くから。私も女子大生が補助輪付けて自転車乗ってたら何か深い事情があるのかなって思いながら頭の片隅で「あの人ヤバい」って思うだろうけど、自分が言われるのは傷付くから。
「……だったら、香ちゃんも補助輪、取りなよ」
そう言って微笑んだ。頭おかしいって言われた精神的なダメージはまだ残ってたけど、なんとか微笑んだ。だって、二人はもう、私っていう口実が無くても、上手くいく気がしたから。益子さんが誤解を放置してるって、そういうことじゃない。
「……来週の金曜日、またここで会おうよ。来週なら私もレポート終わってるし、もっと早い時間に会えるから」
いつか、その内、そんな言い訳をさせないために、私はちゃっかり期日を設けた。来週の金曜日。今から一週間以上ある。流石に明日どうにかしろなんて言われたら困るだろうから、私の都合も考えてその日にした。咄嗟に言ったにしてはなかなか絶妙な期間だと思う。
香ちゃんははっとした顔で私を見つめていた。いつもと同じように可愛らしいのに、それでいて見たことのない顔。彼女はこれから、きっと人生で初めての経験をする。それを予感させるような表情だった。
「そのときに、香ちゃんの話。また聞かせて?」
「分かった」
「上手くいったら、今日みたいに二人で並んで座っててよ、なんてね」
そうして私は伝票を手に取った。これ以上、今は話すことなんてないだろうから。私と伊万里との話とか、もしかしたら参考になったかもしれないけど、それはそれっていうか。私が他人になんて伝えたらいいか、まだ分かってないし。
香ちゃんは笑って立ち上がる。外はいつの間にか暗くなっていた。
「ふふ、いいよ」
「そうこなくちゃ」
結果がどうなっても、私は香ちゃんの味方でいよう。
もし二人が上手くいったら、今度こそたくさんご馳走しよう。
そう決意して、私もすぐに彼女を追うように席を立った。
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