12. 死神の恋(迅視点)
屋上からの眺めは、あの頃とあまり変わりがなかった。フェンスの色は塗り替えられたのか、白が鮮やかだったけれど。
「……病院?」
「そう、君が生まれた場所だよ」
凪が大きく目を見開く。十九年と少し前。この場所で、彼はいくつもの余命を閉じ込めた瓶を踏み砕いた。彼女の命を
「君の母親の名前は、
彼女が何を彼に望んだのか、どんなふうに彼と共に過ごしていたのか。
記憶を探りながらゆっくりと語る。今となっては明希が何を考えていたのか、真実は闇の中だ。わかっているのは、明希が彼を想ってそうしたらしいこと、そしてそれによって、凪の運命が決定的にねじれてしまったということだけだ。
「俺が介入したことで、君は無事に生まれた。けれど、同時にアキは俺の与えた余命を使い果たして
「……僕は、生きているべきじゃない、ってこと?」
「わからない。君の寿命は見えないから、そういうことなのかもしれない。でも、ならそもそもなぜ君は生まれてきたのか。どうして守護者のそばにいれば生き延びられるのか。法則や理屈はわかっても、俺はどうしても納得できない。そんな歪んだ運命に、君を
たとえ、それが彼が呼び込んでしまったものだとしても。
「『
一息に言い切って、凪に視線を戻す。凪はしばらくじっと彼を見つめ返してから、少し呆れたようにため息をついた。
「それで全部?」
「……え?」
「あんたが抱えてた秘密、それで全部か?」
じっと彼を見つめる眼にはなんのためらいも迷いもない。戸惑う彼に、凪はもう一度ため息をついてから、続ける。
「僕だって、馬鹿みたいだと思うけど、あんたのところに戻ってきちゃったんだよな。あんたの
言いながら、近づいてきて、彼の顔を両手で引き寄せる。
「本当にあんたは屑みたいな奴で、無茶苦茶で、でも結局、いざというときは助けてくれる。どんなに絶望的な状況でも、あんたが絶対に助けてくれるって、信じちゃってんだよ。きっと、母さんもそうだったんだろう」
「そんなはずはない。俺は、彼女を救えなかった」
「本当に救われたかったのなら、それを選んだはずだ。選ばなかったのは、そうしたかったからなんじゃないのか。死神と契約してまで、どうしても産みたいと思ってくれたのなら、きっとそれだけが心残りで、それ以外の全部はしんどかったんだろう」
その言葉に、大きく目を見開いた。心臓が早鐘を打つ。その可能性をどこかで知りながら、けれどずっと目を逸らしてきた気がする。
「あんたは僕の母親の話はしてくれたけど、父親については一言も口にしてない。多分、近くにはいなかった。そんでもって、ろくでもない奴だったんじゃないのか?」
「……それは」
「僕の両親は僕を大切に育ててくれた。おそらく慎重に、ちゃんと選んでくれたんだろう。だから僕は何も知らずに幸せに生きてこられた。それはきっと、母さんの望んだ通りなんだと思う」
だから、と凪は口の端を上げて、ほんの少しだけ皮肉げに笑う。それはまるで、いつも彼がそうするように。
「もういい加減に諦めてよ。僕は確かに度が過ぎるくらいの不幸体質で、でももうそれはどうしようもない。あんたのそばにいるって決めちゃったし、あんたは契約上、それを断れないだろ?」
「なぜ?」
もっと穏やかな日々を、あの男となら過ごせたかもしれないのに。どうしてあえて彼を選ぶのか。きっと答えなどわからないだろうからと、口にするつもりのなかった問いが、こぼれていた。
凪は顔を顰めて、それからほんの少し怒りを滲ませた顔で彼の顔をさらに引き寄せた。わずかに残っていた距離がなくなって、唇が柔らかく触れて、舌が絡みつくように入り込んでくる。しばらく驚いて動けなかったけれど、執拗に絡みついてくるそれに、その意味を悟って、内心で白旗を上げた。
腰を引き寄せて、あとはもうただ深く口づけを返す。
目を開けると、潤んだ瞳が彼を見上げていた。冷えた空気の中で、離れた温もりが惜しい気がして、頬を撫でながら耳元で囁く。
「——情熱的な告白をありがとう、ナギ」
「うっせーな! わざとらしく言うなよ、恥ずかしい‼︎」
急に羞恥心が湧いてきたらしく逃げ出そうとしたその体を強く抱きすくめる。しばらくもがいていたけれど、ややして諦めたのか、動きが止まる。温もりを感じながら頬をその髪に寄せていると、くすぐったそうに身をよじって、それから何かを思い出したようにポケットから何かを取り出した。
綺麗にラッピングされたそれは、明らかにプレゼントだった。
「とっさにポケットにつっこんどいたんだけど、傷はついてなさそうだな。っていうか迅、あんたその格好、珍しくない?」
「ようやく気づいたのかい? そりゃデートだからね」
普段は黒のスーツ姿一辺倒だが、今日はラフな私服だ。デート、という言葉に凪はびくりと肩を震わせたけれど、もう突っ込むのは諦めたらしい。ため息をつきながら、まじまじと彼を見つめる。
「そんな薄着で寒くねーの?」
「死神が風邪を引くと思う?」
「知らないけど、見てるこっちが寒いわ」
そう言いながら、包み紙を自分で開けてしまうと、中から出てきたものをふわりと彼の首にかける。それは落ち着いた深いグリーンのマフラーだった。
手触りからするとそれなりに良いもののようだが、どこにそんな小遣いが、と目を丸くした彼に、凪はニッと肩を竦めて笑う。
「鈴鹿さんが小遣いくれたんだよ。デレてるあんたがどーとかいってたけど、まあそのせいかな、あんな厄介事に巻き込まれたのは」
「……かもね」
彼も笑みを返してから、凪を抱き寄せたまま、ふっと適当に気の向くままに跳ぶ。その先に広がっていた光景を見て、凪がぱあっと顔を輝かせた。
目の前にあったのは、イルミネーションで飾られた大きなクリスマスツリーだった。
「綺麗だな」
「おや、意外とロマンチックなムードが好きかい?」
からかうようにそう言うと、顔を顰めたけれど、すぐにまたその視線はクリスマスツリーに惹きつけられるように戻っていった。そういえば、以前ガラス細工にも目を輝かせていたから、意外と本当にきらきらしたものが好きなのかも知れない。
それくらい、彼はまだ凪のことをほとんど知らない。甘いもの——特に青のサイダー味の飴が好きなことと、血生臭い
彼の首にかけられていた長いマフラーを後ろから凪を抱きすくめるようにしてその首に巻きつける。こちらを見上げた凪は、何かを言いたそうだったけれど、周囲を見渡して、誰も彼らに注意を払っていないことを確認すると、まあいっか、みたいな顔をして、背中を彼に預けてきた。
「まあ、クリスマスイブだしな」
言い訳なのか何なのかわからなかったけれど、肩にかけられた彼の手にそっと自分の手を添えてそんなことを言う顔に、心臓がおかしな音を立てる。その感情の名前が、一つしかないことをもう認めざるを得なかった。
「凪」
呼び声に、驚いたような視線がこちらに向けられる。
「何があっても君を守るから。ずっと、そばにいさせて」
「……いつまで?」
「俺が君に飽きるまで」
「ひっでえ……」
呆れたように笑いながら顔を顰めた凪の耳に、一つだけまだ話していなかった秘密を伝える。
「ちなみに、俺は今年で百二十歳。今のところ、ちゃんと恋に落ちた相手は君だけだから、あと百年くらいは飽きないと思うよ」
「……嘘だろ?」
「君に嘘はつかないよ」
隠し事はするかも知れないけれど、と続けると、唖然とした顔のままこちらを見上げてくる。
その顔があまりにもやっぱり可愛く見えてしまって、雑踏の中で顔を寄せる。想いを自覚してから初めてのそれは、ひどく甘く感じられた。
きっとこれが、最初で最後の恋になるだろう。
そんなことを思いながら、彼はもう一度、初めて手に入れた、大切なその人を抱き寄せたのだった。
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