8. 君との約束(迅視点)
例の如く鈴鹿の事務所のソファの上に寝転がって、彼の渡したラップトップで「お仕事」をしていた凪が、ふと何かを思い出したように声をかけてきた。
「なあ、
「何だい?」
「クリスマスって何かすんの?」
「……知ってると思うけど、俺は死神だよ?」
「え、死神って宗教的に制限とかあんの?」
特に積極的に摂取する必要はないけれど、飲食は普通にできるし、身体的な構造もほぼ人間と変わらない。彼という存在に慣れてしまった凪は逆に驚いた風だったが、常日頃、人の命を刈っている彼をどう思っているのか。
「いや、でもあんたの場合、最近はもうなんかお年寄りのお迎えみたいなのばっかりだし、それこそ何か天使、みたいな感じ?」
言ってみてから恥ずかしくなったのか、うわああと頭を抱えている。一人で百面相をしているそんな様子は穏やかで平和だ。彼の元から逃げ出して、手を振り払われた時のことを思い出して、胸の奥がざわりと騒ぐ。次いで、凪の手首に嵌められた黒いそれに目がいって、彼にだけ見える淡い光がほとんど消えかかっていることに気づいた。
「ナギ、ちょっとお小遣いあげるから、コーヒーと何か食べるものでも買ってきてくれるかい?」
ラップトップを取り上げながらそう言うと、少し身構えた感じで、怪訝そうな眼差しが向けられる。
「……何か企んでる?」
「ひどいなあ。真面目にお仕事に励んでくれてる君へのご褒美だよ」
「普段はいつもさっさと終わらせろって言ってるくせに」
それは確かにその通りだったので、なるべく——お望み通り——胡散臭く見えるようににっこりと笑ってみせる。行きつけのコーヒーチェーンのプリペイドカードを渡すと、しげしげと眺めている。
「チャージ金額ゼロとか、実は偽造品で、使った瞬間逮捕されるとか……?」
「そんなことして俺に何の得があるの?」
さすがに本気で呆れてそう言った彼に、凪はまだ疑わしげな様子だったが、納得したのか立ち上がる。
「何かリクエストある?」
「ラテはアーモンドミルクに変更で。あとはアップルパイも一つ」
デザートの名前に凪がほんの少し、微妙な顔をする。何となく、心当たりがあったけれど、あえては触れないことにした。
「……
「俺は君にも地球にもエコで優しい死神だからね」
もう一度にっこり笑って見せると、凪は呆れたようにため息をついて、そのまま事務所を出ていった。
誰もいなくなった事務所で、懐からいくつかの小瓶を取り出し、凪から取り上げたラップトップを開く。
凪が入力したデータはほとんどが余命わずかな老人たちのもの。そして、彼が入力したものと、これから入力しようとしているものは、遥かに若く、余命を残した悪人たちだった。その理由も、データそのものも、凪には開示するつもりはなかったけれど。
必要な情報を入力し、ラップトップを閉じる。それから、余命の小瓶を握りしめて、ほんの少し祈るように目を閉じる。淡く光を放ったそれが、彼の手の中でもがくように微かに震えて、
止んだ後には小さな塊が残っていた。
「おや、意外なものができたね」
手の中のそれを見て、思わず独りごちる。それまではおおよそ大きめの黒い輪が出来上がっていたのに、今回はくすんだ銀色に光る、少し厚めの指輪だった。二つの銀の輪の間に細い金の輪を挟むようななかなか凝った
「まあ、これくらいならつけてくれるかな」
「何が?」
不意にかけられた声に、ぎくりと体が強ばって、とっさに振り向きそうになったがぎりぎりで自制する。静かにひとつ呼吸をして、ラップトップは既に閉じていたことを目の端で確認してから振り向くと、クリスマス仕様の紙袋を持った凪が怪訝そうに彼の方を見上げていた。
「……随分早かったね」
「そんな遠くじゃないし。それに、油断してたらめちゃめちゃ寒かった」
近くだからとコートも着ずにセーター一枚で外に出たらしい。事務所内はエアコンは入れているけれど、比較的底冷えがする。震える様子が頼りなげに見えて、あまり深く考えずにその腰を抱き寄せた。空いた手で触れた凪の手は、氷のように冷えていた。
「迅……?」
寒さのせいか、それとももっと他の理由でか、赤く染まった頬がいつもと違う表情を浮かべているように見えて、もっとその顔が見たくて握った手に唇を寄せる。
「こんなに冷えて。暖めてあげようか?」
揶揄うように言った彼に、いつも通り嫌がって手を振り払うかと思ったのに、凪は少し不思議そうに彼を見上げてくる。
「どうかした?」
「いや……手の中に何か持ってる?」
どきりと心臓が不規則な鼓動を打った。
握り込んだそれを悟られたのは、何かの偶然だろうか。
少しだけ逡巡して、手を開く。興味深げに覗き込んできた凪の手を取って、右手の中指にそれを滑り込ませる。不思議と——今までもそうだったように——それはぴったりと凪の指に嵌まった。
「何か格好いいな」
自分の指に嵌まったそれを、珍しく心底嬉しそうな顔で見つめている凪のそんな表情に、また一つ心臓が不規則な鼓動を打つ。それを受け流して、可能な限りいつも通りに見えるように、肩を竦めながら尋ねる。
「気に入った?」
「つーか、これ、アレと一緒だろ? いつもあんたがくれる黒いやつ。何で今回は銀色?」
「さあ、クリスマスプレゼントならこれくらいの方がいいかなって?」
「何で疑問系なんだよ? なんつーか……結婚指輪みたいだな」
「は?」
思わずぽかんと口を開けた彼に、凪も自分の言った言葉の意味を改めて悟ったのか、あわあわと手を口を動かして顔を赤くする。
「あ、そういう意味じゃなくて! うちの父さんと母さんの指輪がちょうどこういうのだったから」
「こういうの?」
「銀色の輪の間に金色のが挟まってる感じの。割としっかりした作りでさ。
それは、永遠の愛を誓うためのものであったのだろうけれど。
「でも、これも使い捨てな感じなんだよな。なんかもったいないな。せっかく格好いいのに」
「ご両親の指輪は?」
「えーと、どうしたっけな。実家を引き払うときにだいぶばたばたしてたから、何かに紛れちゃったのかも」
——親不孝な息子だよな。
苦笑したその顔に、胸が締めつけられて、今度こそその体を抱き寄せる。高校を卒業したばかりの青年が、たった一人で父の葬儀に続いて、家財の処理やあらゆる手続きに追われていたことは、どれほどの負担だったろうか。
——でも、一度くらい、ちゃんと誰かを必要として、必要とされる、そんな生活をしてみたいの。
誰かとともに在りたいと願った彼女から、たった一人でこの世界に取り残されて。代わりに愛してくれた大切な人たちも失って。その捻れた運命が、彼のせいだとわかっていればこそ。
「……だから、何であんたがそんな顔してんだよ?」
きっと、その理由にも薄々気づいているのだろうけれど、ただ困ったように笑う凪のために、できることは何だろうか、と改めて思う。
「クリスマス、何かプランを考えておくよ」
今はまだ、答えは見つからなかったけれど。
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