13. Resolution - 君を守るために必要なこと 〜後編〜(死神視点)
しばらく部屋に沈黙が下りる。千秋の視線は、今は深く眠る凪に向けられていた。およそ普通の人間には信じられないような荒唐無稽な話を、だがこの男は信じたらしかった。
「俺がその守護者だというなら、なぜ凪は襲われたんだ?」
「その答えは君自身が知っているんじゃないの?」
静かにそう返せば、千秋は奥歯を食いしばるように口をつぐむ。本人にも心当たりはあったらしい。
「俺がこいつを見捨てたとでも? そんなつもりはない」
「そりゃあそうだろうね。君がナギを大切に思っているのは知ってる。けれど、それ以上に、君の心は乱れて荒れただろう。恋は愛より厄介だ」
「な……ッ、俺は……!」
声を上げて、椅子から立ちかけた彼を制する。
「恋じゃないなら、ただの嫉妬と言ってもいい。いずれにしても、君はナギに対して、庇護や愛じゃない、負の感情を抱いた。君のナギへの加護が失われる程度には」
「たったそんなことで……」
「そう、それくらい不確かなものなんだよ、ナギを守っているのは。そして、俺はそんなものに賭けてナギを失いたくはない」
言いながら、彼は黒いチョーカーをもう一度目の前に掲げて見せる。狩った獲物の『余命』を使って、黒い鋼をごく薄く、布のように引き伸ばして作り上げられたもの。
「寿命の尽きた人間全てが死神に刈られるわけじゃない。そのまま消えていく命の方が圧倒的に多い。けれど、寿命が尽きた人間はまず間違いなく心臓が止まって、息絶える。ナギもそうなるはずだった——母親と一緒に。俺が干渉したせいで、その運命がねじれてしまった」
そうして、そのねじれた運命を正そうとでもするかのように、ナギの命は常に危機にさらされている。偶然も重なれば必然だ。尽きた寿命の対価として、誰かがその必然を作り出しているというのなら。
「まあ、誤魔化すしかないよね」
「誤魔化す?」
「そう、この
「そんなことが可能なのか?」
疑わしげにこちらを見つめてくる千秋に、彼は肩を竦める。
「君はもう知っているだろう。凪は君にも俺にも会わずに
「それがあれば、『守護者』なんて必要ない?」
「そこが難しいところだ。俺の作ったこれは完璧じゃない」
ひらひらと振りながら先を続ける。
「余命に浸しても、それは永続的なものじゃない。エネルギーの変換効率が悪いらしくてね、ごく短い期間しか持続しない。使い捨てみたいなものだね」
「つまり、こいつを守るためには、あんたが人の命を狩り続ける必要がある……?」
「ご名答、察しがいいね」
それは結局、あの時、彼が彼女のためにしようとしていたことと、ほとんど同じになってしまう。そうして、それを凪が知ったら、どう考えるかも容易に予想がつく。
「だから、これはナギには伝えない。切り札として、これを維持することはできるけど、効率が悪いし、バレたときのリスクが高すぎる」
「他の選択肢は?」
「あいにくと思いつかないね。俺が
つまり、結局のところ——。
「
それを踏まえてだけど、と彼は続ける。眼鏡を外し、人にはありえない金の双眸をさらけ出しながら、相手の心の奥底を見極めようとするように。
「君は、ナギを守り続ける覚悟があるかい?」
「……ない、と言ったら?」
「今すぐ、君とナギから互いについての記憶を綺麗さっぱり消す」
きっぱりと言い切った彼に、千秋が大きく目を見開く。
それは、ずっと考えていたことだった。守護者の庇護が凪には欠かせない。だが、結局千秋が凪を守る覚悟がないのなら、それはやがて凪の心を傷つけ、その身を危険に晒すだけだ。ならば、多少の困難は覚悟の上で、彼自身で凪を守るしかない。
神だか悪魔だか運命だか何かが、凪を奈落の底へ引き込もうとしても、彼は諦めない——諦められない。
それが、救えなかった彼女への後悔なのか、あるいは凪自身への愛なのか庇護欲なのかは、未だ判然としなかったけれど。それでも、目的さえはっきりしていれば、動機なんて、どうでもよかった。
「俺は
「……俺が守ると言ったら、あんたはそれで納得するのか? 俺がこいつを手に入れようとしても?」
こちらを見る眼差しにはまだ迷いがあった。同時に、それでも強い光を感じて、彼は内心で苦笑を浮かべる。どうせなら、もう少し可愛い女の子だったら、凪も彼もすんなり受け入れられたかもしれないのに、運命とはままならない。
それに、本当はどういう結末が待っているかは、予測はできていたのだ。
「どういう意味かは深くは聞かないけどね。ナギがそれで幸せだと感じるのなら、許容範囲だよ」
軽く笑ってそう言ってやれば、まだ迷うように視線を揺らす。まるで初恋男子かよ、と内心では思ったが、まあ本来の性的嗜好とずれた相手への告白めいた言葉を言わされる方の気持ちもわからなくはなかったから、それ以上はただ黙って待つことにする。
彼でさえも、凪に向けるその感情にどう名前をつけていいのか、判然としなかったので。
しばらくそうして黙り込んで、それから千秋は立ち上がると、凪の眠るベッドの端に腰掛ける。その額に手を伸ばして髪をかき上げ、それから指を滑らせて、できたばかりの首の傷に触れた。無惨に切り裂かれた痕は、どれほどそれが致命傷であったかを容易に伝えているだろう。
「俺に、守り切れると思うか」
「さあ、君の覚悟次第じゃない? それに義務感で引き受けるのはおすすめしないよ」
これまで凪が無事に生きてこられたのは、義父母の無償の愛があったからだろう。それと同等か、それ以上の何かをかけることは、実際のところ他人には容易ではないはずだ。
「もう話した通り、
先手で打った釘は効いたらしい。千秋はじっと静かに凪を見つめ、親指で頬を撫でる。銀縁眼鏡の奥の眼は、まだ迷っていた。
と、不意に眠っているはずの凪が、ふにゃりと馬鹿みたいに緩んだ顔で笑った。頬をその大きな手に擦り寄せて、幸せそうに何かモゴモゴと——コロッケ、とかグラタン、とかその辺りのことを——呟いてから、またすぐに寝息を立て始めたけれど。
その後、無精髭のまあまあいい歳をした作家の男がどんな決心をしたのかは、語るまでもないことだった。
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