6. 先のことなんてわからないけれど(千秋視点)

 ほかほかと湯気を上げる鍋に、凪の顔がぱあっと明るくなる。具材は鶏団子にたっぷりの白菜、人参、椎茸、えのきにしらたきに春菊、それから長葱、焼き豆腐。

 さらには、千秋じぶん用にはとっておきの東北の銘酒と、つまみにイカの塩辛じゃがバター、エビとマッシュルームのアヒージョという謎の組み合わせだが、美味いのでよしとする。


 冷酒をリーデルの丸いグラスに注いで、飲みながら凪の方を見れば、やたらと満面の笑顔で鍋をつついている。

「何がそんなに嬉しいんだ?」

「え、だって鍋ってなんかこう家族かぞく団欒だんらん幸せの象徴! みたいな感じしません?」

 こともなげにそう答えた凪の顔は何のてらいもなくて、見ている千秋の方が口元を押さえて顔を背ける羽目になるくらいだ。もともと警戒心の薄い方ではあるが、ここしばらくは本当に肩の力が抜けてきたというか、ただ甘えている、というよりは、もっと自然に側にいることを受け入れてくれているような気がする。


 多分、あの公園で、率直に告げてしまった後からだ。


 思い返せば、自分でも赤面ものの台詞だが、それくらいでなければ凪には通じないし、通じた結果がこれならば、まあよかったのだろう。ため息をついた彼に、凪が巨大な椎茸をはふはふと口に運びながら首を傾げる。

「千秋さん、食べないの?」

「まあ、俺はゆっくり食うから、好きなだけ食えよ」

「そうなの? ちなみに千秋さん鍋の具で一番何が好き?」

「何がってなあ……。どっちかっていうとすき焼きの方が好き、くらいか?」

「え、何それ。もしかしてすき焼きっていう選択肢もあった⁉︎」

「……食いたかったのか?」

「あ、いやでもそんな贅沢は敵だ! ……ですよね……」

 急に浮いたり沈んだり、何だかよくわからないが、肩を落とした顔はあからさまに悄気しょげていて、もうほとんど反射的にその頭をくしゃりと撫でてやる。

「なら、明日はすき焼きにするか?」

「え、いやそんな贅沢はさすがに……」

「別に、明日も休みだろ、お前も」

「え、まあそうですけど……千秋さん、僕に甘すぎない?」


 上目遣いに見上げてくる顔が、少しの戸惑いと、そして明らかな喜びで綻んでいるのを見て、何かが閾値を超えてしまった。食事を始めたばかりだというのに。鍋に蓋をして、こたつの上のコンロの火を消す。


 眼鏡を外し、凪の腕を引いて隣の部屋の布団の上に転がり込んだ。

「ちょ、千秋さん、何で突然……!?」

 慌ててじたばたと喚くその口を封じる。しばらくもがいていたが、薄く笑んだまま深くキスを繰り返しているうちに抵抗は止んでいった。唇を離すと、潤んだ眼差しが、ほんの少しだけ恨めしそうにこちらを見上げる。

「鍋……」

「土鍋は冷めないから、あとでゆっくりな?」

 じっと見つめながらそう言うと、諦めたように頷きながらも視線が鍋にちらちらと向かっている。

「……気が散るなら、ベッド行くか?」

 首筋に口づけて、シャツの裾から手を滑り込ませながらそう言ってやれば、びくりと二重の意味でか体が震えてぶんぶんと首を横に振る。

「や、やだ。絶対寒いし冷たいし!」

「すぐにあったかくなるぞ?」

 ニヤニヤ笑った彼に、凪は顔を真っ赤にしながらため息をつく。それから、そっと彼の頬を両手で掴んで引き寄せた。

「い、一回だけですからね! ちゃんと僕はご飯食べたいんですからね!」

「了解」

 頷いて、そうして彼はごちそうを遠慮なく美味しくいただくことにしたのだった。



 潤んで見上げてくる眼差しと、絡めた指の熱さを感じて、それでもどうして、と思うことはある。

 以来、命に関わるような危機には遭っていないと聞いていた。だからこそ、この行為が不安を埋めるものでもあることを、凪は気づいているだろうか。自分がちゃんと凪を愛していて、失いたくないと、大切に思っているのだとそういうあかしを立てるために。

 それを義務だとか対価のように感じて欲しくはないから、可能な限りの快楽を刻み込む。いっそ彼に溺れて、余計なことなど何も考えられなくなってしまえばいいのに、とどこかで思いながら。

 それでも、ちあきさん、と蕩けた声で自分の名を呼ぶその甘さに逆らえず、結局そのまま何度も溺れてしまったのだった。



 汗を流してから、再びこたつに入り込み、コンロに火をつけて鍋を温める——冷める程度の時間は経ってしまっていたので。

 ぐつぐつ煮立つ鍋の中では、白菜もほどよく煮溶けている。初めは疲れ切った顔をしていた凪も、味の染み込んだ鶏団子で顔を綻ばせて、あっというまに平げ始めた。まだまだ食べ盛りの若者なんだな、とそのあたりで改めて歳の差を感じたりもする。


 綺麗に具のなくなった鍋に、茶碗二杯ほどの白米を投入し、溶き卵を流し込んで、一煮立ちしてから蓋を閉める。しばらく蒸らしてから、蓋を開けて海苔をちぎって振りかけ、茶碗によそって凪に渡す。

 ふうふうと子供みたいに冷ましてから一口、口に含んだ途端、凪が眼を輝かせた。

「う……ま……ッ!」

「鍋の後の雑炊は本当に美味いよな。年末はそういやカニすきもいいな。殻を剥くのが面倒だが、最後の雑炊が絶品だ」

 雑炊をぱくぱくと口に運んでいた凪が、何か不思議なことを聞いたとでもいうように眼を見開いて首を傾げる。

「どうした?」

「あ、いや……」

 口籠もりながら眼を逸らして、外を眺める。まるで何かを確かめようとするように、庭先と部屋の中を見渡して、ふと、泣き笑いのような顔をした。


「年末も、こんなふうに千秋さんと一緒にいられるのかな、って」


 その瞳に、淡く涙が浮かんでいるのに気づいたけれど、あえて気づかないふりをして、グラスに残った酒を喉に流し込む。それから、ゆっくりと口を開いた。そんなことは彼らにとってはもう当然のことで、何でもないことなのだと伝わるように。


「当たり前だろ。年末も年始も、ずっとだ」


 その前に横浜でクリスマスデートでもするか、と言った彼に、凪はさすがにそれは、と呆れた顔をしたけれど、それでも、中華街の食い倒れとかならいいかも、とまんざらでもなさそうだった。

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