2. 本当に、それでいいんだろうか?
何となく数日おきに会って、一緒に夕飯を食べて、それから家に帰る。話題は特に当たり障りのないことで、大学での講義の内容とか、図書館でのバイトで見つけた変なレファレンスの依頼だとか。
千秋さんはいつも、わりと落ち着いた顔でそんな僕の話を聞いてくれる。忙しい時は、食事だけが用意されていて一人で食べたりもして、いったい僕は何をしてるんだろうと思うこともなくはないけれど。
今日は土曜日。大学も休みでバイトもないので、なんとなくふらふらと昼過ぎに千秋さんの家にやっては来てみたものの、どうやら締切が近いらしく、ちらりと視線を投げられただけで、また机に向かってがりがりと鉛筆を動かしている。時折頭を抱える横顔は真剣で、ちょっと無精髭が増えているし、吸い殻の山も積み上がっているから、かなり差し迫っているようだった。
テレビをつけるのも
結局そうなるとどうなるかというと、気がついたら寝ていた。何しろ新しい畳と日当たりの良い南向きの部屋は昼寝には最適なのだ。縁側でもあれば完璧なのに。
しばらくして、目を覚ますと、すぐ隣でコーヒーのいい匂いがした。ぼんやりした頭でそちらを見つめていると、眼鏡のない顔が近づいてきて、ゼロ距離になる。眠気の取れないぼんやりとしていた頭が、入り込んでくる柔らかい感触で急激に覚醒して、肩を掴んだけれど、ほんの少し笑みの形に口が緩んだだけで、むしろのしかかられて深く絡みつく。
慣れた煙草の匂いと、コーヒーの香り。それからごく自然な感じでシャツの下に滑り込んできた手を慌てて掴むと、ようやく顔が離れた。
「な、何してんの、千秋さん」
「見ての通りだ」
押し付けられた腰はもう固くナニかを主張していて、言葉よりも明らかでやばい。
初めて、千秋さんと「そういう」行為をしたのは半月ほど前だった。千秋さんの態度を思えば、いつかそういう時が来るのだろうと何となく覚悟みたいなものはしていたけれど、千秋さんは決して無理やり何かを通そうとはしなかった。
ずっといつも、この人はそんなふうに僕の心を見透かして、その上で踏み越えてくる。だから僕は流されているようだけれど、多分そうじゃなくちゃんと選ばせてもらっているんだろうと思う。
でも、あれから半月近く何もなかったのに、この急展開は何なんだ。
「やりすぎだっていうから、我慢してやってたんだろうが」
「え、そうなの⁉︎」
「何だ、もっと早く手を出してもよかったのか」
てっきり嫌がってるのかと、と熱の浮かぶ眼がやけに甘く緩む。そんなにしたかったのか、この人。
「したい。めちゃくちゃに、お前を俺に溺れさせたい」
あの時みたいに、と低い声で囁かれて、自分の腰のあたりにも響くものがあって、僕はもうどうしようも無くなって顔を覆う。まるで女子だけど、何でこれに耐えられるんだ。恥ずかしすぎるだろう。
嬉々として僕の服を剥ぎにかかってくる千秋さんに、慌てて抵抗する。
「ちょ、ちょっと待って千秋さん、こんな真っ昼間っから……!」
「何か問題があるのか?」
別に勤め人でもないし、今日は土曜日。
「げ、原稿は?」
「終わった」
——だからか! ライティングハイとかそういうやつか!
「原稿も上がったし、お前の寝顔見て欲情した」
「……だっ、から、そういう……!」
わかっててやってるんだ、この人は。
じっと見つめると、少し困ったように顔が顰められる。本当に僕が拒否するなら、この人は無理やりに手を出してきたりはしない。僕だって女の子じゃないから、本気で抵抗すれば、どうにかされることはない——だけど、そうじゃなくて。
「どうしたい、凪?」
耳元で名前を呼ばれて一気に熱が上がる。本当に、わかっててやってるんだ、この人は。
「ベッド行くか?」
欲に濡れた声で、そんな言葉を言われて、僕の羞恥は
「……窓、閉めて」
蚊の鳴くような声で言った僕に、低い笑い声が届く。いろいろ揶揄う言葉のバリエーションはあったんだろうけど、それを言ったら僕が完全に逃げ出すとわかっているせいか、千秋さんは何も言わずに窓を閉めて、それからもうあとは完全に僕も千秋さんに溺れてしまった。
原稿上がりの千秋さんはそれはもう執拗で、ついでにシャワーを浴びにいったところでもさらにぐちゃぐちゃにされた。何かを刻み込もうとするみたいに、何度も。
それでもいつでも余裕の千秋さんに、ちょっと苦しげに、余裕のない声と顔で睨みつけるみたいにキスされると全然逆らえない。そんな自分に呆れたけれど、もうしょうがないという気もしていた。
千秋さんがいないと、僕の人生はスペシャルハードモードだ。だから、僕の方が圧倒的にこの人を必要としているのに、千秋さんはまるで逆みたいに僕を求めてくる——優しく、激しく。
女の子相手なら、そういう行為はもう経験済みだったし、誰かを好きになる、という気持ちもわかっているつもりだった。でも、千秋さんのそれは全然違っていて、相手が相手なだけに、それが一般的なのか、そうじゃないのかはよくわからなかった。
本当に文字通り足腰が立たなくなって、浴室に座り込んだ僕を千秋さんはひどく優しくタオルで包み込んでベッドへと連れ出した。綺麗に整えられたそこは千秋さんの匂いがしていて、安心するのと同時に、体の奥に残った熱と快楽をダイレクトに刺激して、なんかもうダメだ僕は、という気持ちになってしまう。
「やりすぎたか?」
そう思った瞬間に、呆れた顔でキスされた。噛み付くような、乱暴で深いやつ。多分、本当に呆れたんだろう。あれだけやっといて、何を今さら、みたいな感じで。
「だって、千秋さん本当にいいの?」
「お前なあ……」
がしがしと頭をかいて、それからひどく優しく僕の頬に大きな手が触れる。
「他に言うことがあるだろうが」
真っ直ぐに射抜くように見つめられて、ああそういえば、そうかも、とようやく気づいた。初めて会った時からわりとずっとこんな風に大切にされて、その——愛されて。
でも、まだ僕はちゃんと言っていなかった。なんたる失態。本当に千秋さんはそれでいいんだろうか、と見上げていると、肩を竦めて笑う。本当にしょうがないやつだな、みたいな顔で。どんなに鈍い僕だって、思い知らないわけにはいかないくらいの、甘くて蕩けるような。
「千秋さん、好き……です」
自分で言えって言ったくせに、千秋さんは大きく目を見開いて、口元を押さえて目を逸らす。それから寝転んでいる僕の横に膝をついた。すわ第二ラウンドが始まるのか、いや無理だろ、と戦々恐々としていると、ただ引き寄せられて抱きしめられた。
「……ったく、責任取れよ」
でかくて威圧感があるくせに、直接触れる肌の温もりは心地よくて、結局僕はあっさりと絆されて、そのまま身を委ねてしまったのだった。
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