4. Reminiscence - 二日目の花束(明希視点)

 神様なんて信じたことがなかった。だって、気がついたら彼女は一人ぼっちになっていたし、彼女に近づいてきて、手を差し伸べてくれる人たちは、いつも彼女を傷つける人たちばかりだったから。

 だから、彼に出会った時に、ほっとしたのだ。ようやく見つけたと思った。


 ——彼こそが、自分に安らかなおわりをもたらしてくれる人だ、と。


「アキ?」

 昨日出会ったばかりのそのひとは、独特なアクセントで彼女の名を呼んで首を傾げた。暗い電灯に照らされてもなお、鮮やかな金に輝いている瞳に思わず見惚れてしまう。

「気分でも悪いのかい?」

 今度こそ眉根を寄せて、明らかに心配そうにそう尋ねてきた彼に、慌てて首を横に振る。

「あ、ごめん。ただ綺麗だな、と思って」

「綺麗?」

「うん、ジンの瞳、すごく綺麗だよ」

「そう? 死神の眼はみんなこんなものだけど、大体不気味がられるものだけれどねえ」

 秀麗な顔を顰めて肩を竦める。言外に変わり者だ、と告げられているのは分かっていたけれど、彼女はただ微笑んだ。何しろそれは彼女の本心だったので。


 死神。人の命を刈る者。生者にとっては不吉以外の何者でもないけれど、彼女にとっては初めて、何の見返りもなく——というと少し語弊があるのだけれど——手を差し伸べてくれた人だった。


「まあ、君が豪胆なのはもうわかっているつもりだったけどね」

 口の端を上げて、少しだけ皮肉げに笑いながら、淡く光る小瓶を差し出してくる。その瓶を受け取った瞬間、情報が奔流のように流れ込んできて、思わず体を震わせた彼女に、迅は気遣わしげな眼差しを向けてくる。

「大丈夫?」

「……うん、平気」


 流れ込んできた、あまりに凄惨な人生におののきはしたけれど、それはどこかで覚悟していたことだった。だから、一つ息をついて、お腹に手を置いてから、以前預かった手帳を開く。名前と生年月日、それから赤字で強調されたものを中心に記載するだけでページの半分が埋まってしまった。

「これ、全部書かないといけないんだっけ?」

「それだけあれば十分だよ。俺ならその半分も書かない」

 悪戯っぽく笑って、迅は彼女の手から手帳とペンを取り上げると、かわりに紙コップを差し出した。

「カフェインレスなら大丈夫かと思って」

 穏やかな金の瞳を見つめながら受け取って、カフェインレスとは思えないほど香り高いその珈琲コーヒーに口をつけた瞬間、それが何かに気づいてしまう。昨日飲んだものよりも、遥かに濃く強い、


「……アキ?」

「ううん、何でもない」


 それが何か、二日目にしてもう知りすぎるほどによく知ってしまっていた。従属者Followerと呼ばれる、下位の契約者でさえも、その主人との絆はそれほどに深い——否、従属しかできないからこそ、より深くつながっていることを、多分、この目の前の人は知らない。なぜなら、彼女が初めての契約者だから。


 今まで彼が手にかけてきた人間の種類も、彼が自身で気づいていない本質やさしささえも。


 紙コップの中身を飲み干してから、もう一度、お腹に手を当てて、そこに宿る命を感じる。どうしても、それだけは諦められない。けれど——。


 ふと、俯いていた彼女の目の前に鮮やかな色が広がった。黄色を中心として、オレンジに赤、ピンクに薄緑。暖かい色ばかりでまとめられたそれが、小さな花束だと気づくのにしばらくかかった。

 見上げると、端正な顔が、柔らかく、そして少しだけ困ったように笑っていた。

「胎教にはあんまり良くないものを見せちゃってるから、お詫びと言っては何だけど」

 差し出した小さな花束を、そっと彼女の手に握らせる。ちょうどお腹の辺りを守るように。微かに震える手でそれを握りしめて、けれど言葉を失ったままの彼女に、金の瞳が戸惑ったように揺れる。

「……気に入らなかったかい?」

「ち、違うの。花束なんて、初めてもらったから——」

 涙が溢れそうになって、慌てて息を吸ってこらえる。これ以上、目の前のこの人を——この優しい死神を戸惑わせるわけにはいかないから。


 呼吸を整えて、それからできる限り明るく笑って見せる。


「ありがとう、迅。すごく嬉しい」


 まだ生きている花の香りを胸いっぱいに吸い込みながらそう言った彼女に、迅はやっぱり少し戸惑ったように首を傾げて、それから頬を緩めて笑った。その不器用な優しさに、彼女は一つの決意を固める。


 優しい死神に、彼女ができる精一杯の贈り物を。

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