6. 君はまだ何も知らない 〜前編〜(迅視点)
木々には宝石のように七色の光を放つ輝く実。吊り下げられたワイヤーに流れるガラスの滝。本物に混じってガラスで作られた輝くススキに、唐突に現れる大きな色とりどりのオブジェ。
「すっげー」
そのどれもに大きく目を見開いて、満面の笑みを見せる凪は、普段の警戒心丸出しの様子が嘘のように子供のように無邪気で、思わず彼の頬も緩んでしまう。
——なあ、
寒い冬の朝、鈴鹿の事務室のソファで何かの雑誌を読みながら寝転がって、唐突にそう尋ねてきた凪が行きたいと言ったのは、都心から数時間の温泉地街、ガラス細工で有名な美術館だった。立派なレストランや展示室と同じくらい大きなショップを見れば、美術館というよりは観光用施設といった方が相応しそうではあったけれど。
カップルや子供連れの多いその場所に、男二人——しかも黒ずくめの彼とラフな大学生の凪の組み合わせは、割と人目を引いているようだったが、このご時世だ。むしろやたらと温かい眼差しを向けられたりもしてしまっていて、居心地が良いのか悪いのか、微妙なところだった。
さほど大きくない館内を一通り巡り、ランチを食べながら尋ねたところによると、この場所は、旅行とはあまり縁のなかった凪の家族の、数少ない思い出の場所なのだという。
「母さんがこういうきらきらしたものが好きでさ。最後に来たのは、今と同じくらいの寒い時期——多分、クリスマスの前だったのかな。きらきらしたクリスマスツリーだって、なんかすごく印象に残ってたんだよな」
「そう」
「ま、男二人で来るところじゃないってのはよーくわかったけど」
苦笑する凪に、彼も肩を竦める。後ろからひそひそやたらと黄色い声が上がっているのは、一応聞こえないふりをしておいた。
食事を終えてから、ミュージアムショップを訪れた。凪は大小様々なスノードームや、ガラスでできた一輪挿しなどを興味深げに眺めている。その中でも一際目を引いたのは、美しくカットされたガラス玉が、三十センチほどの縦に長い螺旋の中で上下に動いているように見えるサンキャッチャーだった。
そういえば、庭園内で凪がずっと子供のように目を輝かせて見入っていたな、と思い出して、店員に声をかけて、シンプルな透明のそれを一つ購入する。
凪はその値段に目を剥いていたが、手渡すと素直に嬉しそうな笑顔になったから、きっとそれで正解だったのだろう。
「でもこれどこに飾ればいいんだ? 鈴鹿さんの店のとこに飾っといたらあの人売っちゃいそうだよな……」
「あいつならやるだろうね」
実際には、あの古馴染の古物商は人を映す鏡のような男で、悪人には悪人の、そうでない人間にはそれなりの対応をするから、凪が大切にしているものに手を出したりはしないだろう。けれど、難しい顔をしている凪の表情が面白くてついそう揶揄ってしまう。
「まあ、二階の君の部屋に飾っておけばいいんじゃないの? それならあいつもわざわざ手を出したりはしないでしょ」
「でも、それじゃあ僕しか見られないじゃん」
口を尖らせて言った言葉の意味がわからず、首を傾げた彼に、凪はこちらも不思議そうな顔をする。
「え、だって綺麗なものとかって、誰かと一緒に見た方が楽しいだろ?」
「……そうなのかい?」
「あー、あんたはそういう情緒とかなさそうだもんな」
「ひどいなあ、俺が石みたいな心の持ち主に見える?」
「石っつーか、鉛?」
「鉛の心は溶鉱炉でも溶けないらしいよ?」
「しあわせな王子? 似合わねー!」
何がおかしいのか腹を抱えて笑う顔が眩しい気がして目を細める。凪が首を傾げたけれど、彼は首を振って先を促したのだった。
美術館を出て、仙石原のススキ野原をのんびりと散策する。ひたすらにぼんやりとした色のススキの中を歩く凪は、楽しいのかどうかよくわからない顔をしていた。ちょっと目を離した隙に、ススキに埋もれて見失ってしまいそうになって、とっさにその腕を掴む。
「何?」
怪訝そうな淡い色の眼差しに、らしくないと自分でも苦笑して、腕を離して他に見たいところはないかと尋ねる。何となく、この場所はあまりに寂しくて落ち着かない。そんな彼の内心に気づいているのかいないのか、凪は少し首を傾げた後、やけに楽しげに口を開いた。
「あ、あれ、黒いやつ!」
「……何だって?」
ざっくりとした凪の説明から推しはかるに、どうやら大涌谷に行きたいらしい。しばらく火山活動の活性化によって封鎖されていたが、今は開いていることを確認して、周囲に人目もないし一足飛びに向かうかと尋ねると、首を横に振る。
「それじゃ観光気分が満喫できないだろ」
「……観光、したいの?」
「え、観光しに来たんじゃないの?」
長い死神人生で、観光などした記憶はなかったし、今回の目的もそういえば何だったのか曖昧だったが、まあ凪がそうしたいのなら、と頷いた。
ロープウェーに揺られて辿り着いた山の中腹は、硫黄の臭気が漂っていた。崖と谷底は、その異名ほどは地獄めいてはいなかったけれど、覗き込む人は意外と多かった。ちらりと眺めて、凪は真っ直ぐに上方の人だかりができている建物の方に向かう。
「あ、これこれ!」
凪が指さしたのは、この辺りの名物の真っ黒いゆで卵の看板だった。専用の販売口に並んで、五個入りの袋を買う。どうやらバラ売りはないらしい。袋を凪に手渡すと、何が嬉しいのかその顔がぱあっと輝く。こっちこっちと腕を引かれて外のベンチに座ると、中から小ぶりの真っ黒い卵と塩の袋が渡された。
「一個食べると七年寿命が延びるらしいよ」
ニッと笑って言われた言葉に、深い意味はないとわかっていも、心臓がおかしな音を立てた。
「前に父さんたちと来た時は、なんかやたら食えって言われて、結局三個くらい食べたっけ。
冗談まじりの声に、ほとんど反射的にその頭を引き寄せた。驚いたように凪が見上げてくる。
「……なんて顔してんだよ。冗談だって」
あんたにもちゃんと情緒、あったんだ、と凪がひどく困ったように、それでもそう優しく笑ったから、自分がだいぶ情けない顔をしていたのだろうとわかってしまった。
凪はそれ以上は尋ねず、黒いゆで卵をきれいに剥いて、凪は何か悪戯を思いついたように笑った。何かと尋ねようとして開いた口に、そのまま卵が押しつけられる。やむなく口を開けて齧りながら咀嚼していると、体の向きを変えて、背中を彼の肩に預けてきた。
「あんたは、細かいことは話してくれないから、何を考えてんのかも抱えてんのかもわかんないけど」
でも、と視線を逸らしたまま続ける横顔は、ひどく穏やかだった。
「僕は、自分で選んでここにいるから」
それだけは忘れんなよ、とやっぱり顔を背けたままの背中を、思わず後ろから抱き竦めた。
わかりやすく頬が赤く染まって、すぐに逃げられてしまったけれど。
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