第37話 あの日から、3日目

「……あぁ!? なんだ!?」


 華は身動きが取れない体に、思わず叫んでいた。


「絶対、これのせいで悪夢見た! 出せよ! 出せー! うぉおおお!」


 目覚めた早々、布団が巻かれた華は、ビチビチと跳ねる! 騒ぐ! 叫ぶ!

 怪我など忘れたのか、華の暴れ具合は激しい。


 ドタドタと埃を舞い上げながら、薄暗い部屋で華は活魚のように跳ね回っていると、不意にドアが開いた。

 飛び込んできたのは萌だ。


「あ、も! ……え?」


 声をかける間もなく、萌は華のことを慌てて抑えにかかる。

 か弱い萌が、力一杯、華を抑えている。

 困り顔で、むしろ泣きそうになりながら必死に抑える萌に、華はピタリと体を止めた。


「……萌、どした?」


 華の声に、そして、目が合ったとたん、


「ねーぢゃんだぁぁぁああぁあ!」

「は? なんで泣くわけ? ……は?」


 萌は華に抱きついた。

 どうにもできず、弱々しくビチビチしてると、再びドアが開く。


「またですか? モエさん、僕、


 コンルの声がする。

 随分、懐かしい声にも聞こえるが、


「だいじょーぶ。ねーぢゃん、目がざめだがらぁああぁぁ」


 もうこのやり取りに、疑問符が頭のなかでいっぱいになる。

 妙に仲良くなった感じの距離感の会話といい、交代しますという意味。

 たった数時間寝ていたのに、世界が激変しすぎていまいか。


 泣きわめく萌をそっと離し、コンルがしばりつけていた紐をほどいてくれた。

 ようやく解放された体を伸ばす華のもとに、慧弥が現れる。

 彼の手には太めのロープが握られている。


「え? あー……よかった。またロープ切れたかと思ったよ……」

「ロープを切る……? もう、意味がわかんないんだけど、何がどうなってんの?」


 Tシャツにジャージ姿の華が、乱暴に髪をかきあげた。

 びーびー泣き続ける萌の頭をぽんぽんと叩いていると、慧弥はゆっくり座り、スマホを見せてきた。


「お前、あの日から、今日で丸3日ってとこか。寝すぎってやつ」


 記憶によれば、あの日は、……不死身のキクコさんと対決した日は、土曜日だった気がする。

 今日は火曜日。時刻は16時過ぎ。

 もう、日が暮れ始める時刻だ。

 締め切られた窓とカーテンのせいで、かなり薄暗い。


「けっこう寝てたなぁ……もうわけわかんないから、あの日から説明、……してもらう前に、シャワー入るわ!」


 ふと横を見ると、ここは仏間だ。

 暗い部屋の隅から、祖母の遺影が見下ろしている。



 祖母……?



 胃が痛くなるが、理由がわからない。

 


 自分の部屋じゃない理由もわからないまま、華はシャワー室へと向かうことにした。

 いつも通りに立ち上がると、足がふわりと浮くように感じる。

 寝過ぎたせいなのか、何も食べてないからか。どちらもあり得る。

 支えてくれようとするコンルと萌に礼を言って、華はすぐ向かいにある脱衣所へと入っていった。


 脱衣所には窓はない。おかげで洗濯物の臭いがこもりやすい気がする。

 生乾きの臭いに顔を歪めながら、いくつかの洗濯物をよけて、洗面台のライトを華はつけた。

 そしておもむろに服を脱いでいく。


「だよな。大怪我、してたよな……」


 Tシャツを脱いだ体には、怪我の痕跡だけがある。

 右肩や肋、太ももに、ミミズの這ったような傷が浮かんでいる。

 かなり大きな怪我だったことがわかるが、すでに完治している。


 あんな大怪我、3日で治るものなのか……?

 もしかすると、コンルやアンゴーのなにかの力を借りたのかもしれない。


 華はお礼の人参をあげていなかったことを思いだす。

 明日にでもクタクタの人参をあげようと脳内にメモを走らせるが、萌には大変な苦労をかけてしまったと、華は反省もしていた。

 理由は、身体中の汚れが綺麗に拭かれていたからだ。

 あれだけ、泥と血で塗れていたのに、すっかりきれいになっている。


「はぁ……ねーちゃん失格じゃん……」


 華は萌に感謝しつつ、落ち込みつつ、熱いシャワーを浴びにお風呂場へと入っていった。




 ドライヤーもかけ、さらっさらの黒髪をなびかせながら華は暗い廊下をひたひたと歩いていく。

 キッチンに入るが、そこも暗い。流しにはレトルト食品のゴミが目立つ。

 もうそろそろ電気をつけていい頃かと思うが、みんなはダイニングのテーブルに腰をかけて俯いている。


 開けた冷蔵庫は空に近く、そこから最後の缶コーラを取り出し、華は飲み出した。


「……めっちゃうま!」


 華はもう一度飲み込み、萌の横に腰を下ろした。

 向かいには慧弥、コンルが座っているが、暗い室内で、表情も暗い。

 まだ落ちきれていない夕方だからか、薄くぼんやりと体の輪郭が見える。


「あ、ねーちゃん、おかゆ食べる?」

「いや、まだ大丈夫。つか、なんか深刻そうな顔してっけど、まだここがクラックとか……? サイレントヒル的な」

「いや、ここはリアル。順を追って説明するから……」


 慧弥が言うが、テレビの音もない部屋は静かだ。

 すでにカーテンが締め切られて、もう、部屋のなかが暗すぎる。


「電気、つけね?」

「それも、説明する……」


 腰を浮かせた華だが、座り直した。


 空気が重い。重すぎる!!!!


 話し出すのをためらっているのがわかる。

 華もどこから話してもらえばいいのか疑問になるが、黙っていることにした。

 一応、華なりに、空気を読んだ結果だ。


「どっから話せばいいか……まず、今、この村は隔離されてる」


 隔離──?


 華は、頭のなかで繰り返してみた。

 一番最初に怪人が出てきたときと同じ、ということだろうか?

 だがそれに質問することなく、コーラを飲み込み、続きを促すために頷いた。


「……発端は、3日前の土曜日。あー……うん、そうだな。順番に話していく……。その、俺たちは、不死身のキクコさんがつくったクラックから、華のおかげで生還した。で、華は大怪我で倒れた。だけど、他の人に見つかるわけにいかないから、俺たちは公民館から逃げるように家に戻ってきたんだ」


 慧弥は奥を見る。


「あの、リビングに寝かせたんだ。華を」


 ────変身をといたコンルは華をしっかりと抱え、萌と慧弥の元に走ってきた。

 コンルも満身創痍だが、華の息は虫の息といっていい。だが、かろうじてまだ変身ブレスレットの効果があるようで、止血はできている。

 だがこれでは華の変身を解くことができない。

 隠れるにも、場所が少なすぎる。


「ねーちゃん……」


 萌は滔々と涙を流しながら、華の頬をなでる。

 血で固まった頬を少しでも綺麗にしてやりたいが、足が震えてしまう。


「華はアンゴーに面倒を見てもらいましょう。ただハナをいれる渦を出すためには、少しの時間と、場所が必要です」

「わかった」


 慧弥は華にカーテンを巻きつけると、


「家に戻ろう」


 慧弥は言い切った。


「でも、ねーちゃんが……!」

「監視カメラの状況を見ると、公民館がいきなり状況変化してるんだ。並行世界がなくなって、書き換えられたっていうか……。とにかく、すぐにいろんな人がここに来る。コンルさんと華が見つかるのは、マズい」


 ここでの判断は間違っていたかもと、慧弥は言う。

 あそこで、全員が村を出ていれば、今、ここに隔離はされていなかった。

 申し訳ない。と、頭をじっと下げた慧弥に、華は笑って首を振った。

 続けて。そう言うように、顎をしゃくる。


 急いで帰ってきたコンルたちは、すぐに華の治療のためにリビングに寝かせた。

 着替えとお湯を用意している間に、寝ていた華がリビングから消えていた。


 慌てて3人で家中を探したとき、慧弥が見つけた。

 華は仏壇の前に立っていたのだ。


 だが、その異様さに、慧弥は腰を抜かしてしまう。



 黒い人影が華を包んでいる──!



 禍々しいものなのがわかる。

 いやな悪寒と冷や汗はもちろん、顎がガチガチと鳴りだした。

 本能的に、ヤバいものだと、体が拒否している。


 だからなのか、体が動かせない。

 金縛りにあったようだった。


 目がないのに、こちらを向いたのがわかる。

 喉が詰まる。

 息ができない。


「……ハナ!」


 コンルだ。

 慧弥を飛び越え、華を黒いものから引き剥がしてくれた。


「ハナ! ハナ!」


 声をかけるが、華の意識はない。

 ただ、すーすーという寝息が聞こえる。


 コンルは慌てながら華の服を捲った。

 横腹の傷が、すでに癒えている。

 コンルは戸惑いながら、振り返る。


「……僕の世界の、治療院に似ていました……。治ったことはよかったですが、……なんで、ここに繋がるんですか?」


 お互いに疑問を解決できないまま、その日は夜を迎えた。

 だが、そこから華は起きることなく、ずっと眠ったままだった。


 2階に寝かせ起きない華が、いつの間にか仏間にいる。

 それがなんども繰り返された。


 そのため、他に歩かせないように仏間に寝かせたが、それでも部屋の中を立って歩きだす。

 だから、布団にくるんで縛っておいたそうだ。


 縛っておいても歩こうと暴れるため、定期的に萌やコンル、慧弥が華を抑えていたという。

 壁に当たったり、怪我を新たにしては困るという配慮だ。


「うわぁ。自分にドン引くわ……。夢遊病みたいに歩き回って暴れてたって……ごめんね、萌」

「だいじょーぶ……んぐっ」


 姉の姿に安堵したのか、また泣き出した萌だが、慧弥が唇に指を当てた。

 コンルも耳を澄ましている。


「……なに?」


 華が声を上げたと同時に、玄関のドアが叩かれた。


「……ひっ」


 萌が華にしがみつくが、声がする。


『もえちゃーん、はなちゃーん、あけてよー』


 母の声だ。


「母さんじゃん」


 立ち上がる華の腕をぐっと握る。

 縋りつくというより、しがみついて、動かさないようにしている。


「行っちゃだめ」


『もえちゃーん、はなちゃーん、あけてー』

『もえちゃーん、はなちゃーん、あけてー』

『もえちゃーん、はなちゃーん、あけてー』


「なんで? 母さんじゃん。なんか、オウムみたいだけど」


 萌を振り払い、玄関へと飛び出した華を、コンルと慧弥が追いかけるが、華は玄関のドアを開けはしなかった。


 呆然と立つ華に、声がする。


『もえちゃーん、はなちゃーん、あけてー』


 玄関ドアには、細長い窓がついている。

 ドアを開けなくてもわかるようにと、明かりをとれるようにした窓だ。

 それは人影ができるところのみ曇りガラスで、上と下は透明なガラスがはめ込まれている。

 人が来たのはわかるが、姿まで見えない窓は、こちらが適当な格好のときにも都合がよかった。ちゃんと足元が見えるので、男性か女性かの判断もできる。天井近くの窓は天気が確認できて、それもよかった。


 便利な窓だと思っていたのに、今日ほど、後悔したことはない。


 女だ。

 足元が見える。ヒールを履いているから間違いない。

 それが、雨だれが当たる窓にから、天気を見るはずの窓から、こちらを覗き込んでいた。

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