第17話 地上に出てきた場所は……

 西の空の夕日が、もう消えている。

 ただ地平線の奥に沈みきっていないのか、淡い竜胆りんどう色がグラデーションに空を染めていた。

 すでに東の空には星も見え、今日の夜も快晴だ。


 萌と慧弥の顔に、安堵が見える。

 華も同じく、2人の顔が見れて、ほっとしているのがわかる。

 ただ、華は思っていた。

 闇に沈みかける鍾乳洞を後ろにおいて、感じていた。


 ───この場所を、知っている……


 ぐるりと見まわし、華は自分の頭の地図にあるポイントと、ここから見える景色のポイントを重ねていく。


「……裏山の、ぽいけど……どこ、ここ……川があっちだから……」


 もう一度、首を伸ばして確認し、華は断言した。


「マジ、家の近くじゃん!」


 華の家は、小さな住宅街地区にある。

 そのすぐ横に小川が流れ、切り立った山があるのが特徴だ。


 その山は、山と呼んでいるが、登山をするような山ではない。

 丘よりも大きく、木々がまんべんなく生えている場所、という意味だ。

 だから、山という表現は、”丘ではない”ぐらいの意味だともいえる。


 華の子どもの遊び場は、春夏秋冬、いつもここだった。

 春は菜の花が辺りを覆い、夏の小川は水かさもないため、水遊びし放題。もちろん魚釣りも楽しめる。冬は雪だるまを川に流してみたり、氷を割らないように小川の中央まで歩いてみたりもした。

 もちろん、小川をこえてある、切り立った山のなかも、走り回っていた。


 だが、こんな洞窟があるとは知らなかった。

 いや、知る由もない。


「……まさか、立ち入り禁止の場所……?」


 華は見つけた。

 鉄板の扉がある。

 あの扉を起点に、鉄柵がぐるりと辺りを覆っているのかと、視線をずらすと、記憶通りに鉄柵が木々の葉の間を走っている。

 その鉄柵をたどっていくと、小さな祠が方角を示すように置かれているはずだ──


 ここは、子どもながらに、これ以上奥へ好奇心でも入ってはダメだ。そう感じられる恐ろしい場所だった。

 なにより、柵の網には麻紐がかけられ、その紐に白い猫型の紙が等間隔に下げられる。

 それだけでも、『何かを守っている』あるいは『封じ込めている』ことは、イメージできる。

 そして華は、それに触れただけで呪われると、確信していた。


 その理由は単純だ。

 たまたまネットで見かけた『姦姦蛇螺かんかんだら』という怪談に出てくる場所にそっくりだったのだ。


 たしか小学3年の時。

 ネットで、たまたまこの怪談話を見つけてしまったのだと思う。

 似たような場所に、親からも、『ここには近づくな』としか、いわれていなかった。

 そこも姦姦蛇螺にソックリな設定。


 よって、華は『ここが姦姦蛇螺の聖地』と認定した。


 ──きっと、大人もここの理由を忘れてしちゃったのかも……

 いや、忘れたかったんだ。

 だって、上半身に腕が6本で、下半身がヘビの女の人なんて、怖すぎるもん……

 ……でも、もしかしたら、たくさんの猫の魂がかたまったヤツとかかな……

 腕も、尻尾の化身で、たまたまそう見えたとか……

 なら、ちょっとかわいそうかも……──


 なぜ、猫の魂にまで飛躍したのかはわからない。

 今思えば、腕が尻尾のほうが、とても気持ちが悪い。


 だが幼少の華は、この話のあまりの怖さと、猫の呪いの強さに、誰にも真実を告げてはいけないと、胸の奥にギュッとしまったのだ。


 しまったにも関わらず、姦姦蛇螺の聖地がすぐ近くにある怖さに、おおよそ2ヶ月は夜も眠れず、むしろ、二代目の仔猫だったランドンすら、怖くて怖くて怖くて震えていたのを思い出す。


「……姦姦蛇螺じゃなかったのかよ……」

「なんだ、それ?」


 慧弥の声に我に返る。


「ね、なんであんたがここにいるの? 萌もだけど」

「それは、萌が教えてくれた」


 萌の腕のなかに、キヌ子がいる。


「キヌ子がこっちだよーって案内してくれて。慧くんは、たまたまランドンたち返しにきてくれたから、誘っていっしょに来たの」

「さすが萌! ありがと、キヌ子。よくここがわかったね」


 華がキヌ子の頭をなでてやると、ぐんと頭を反らす。


「『聖地に入ったから』だって。……せいち?」

「猫神様の聖地ってこと、だと思う」


 振り返ると、洞窟の闇に紛れる祖父の小さな背が見える。

 だいぶ折り返している祖父に、華は叫んだ。


「爺ちゃん、帰んないのー?」

「わしはー! もうすこしー! ここにこもるー!」

「わかったー! 気をつけてねー!」


 ゆっくり去っていく祖父の背中を見送ると、4人で鉄の扉から出ていく。

 鍵も何もない鉄扉だが、やはり、祠と猫型の白い紙は柵に下がっている。

 本当に悪趣味だ。

 華は思うが、コンルは「おぉ」と、嬉しそうな声を上げる。


「神の切り抜き、僕の世界でもあります。ここにもあるんですね」

「そっちだと、いいもんなの?」

「はい。あの紙が下がった場所は、神が降りた地とされ、とても神聖なんです。……まあ、観光名所になっているところがほとんどですけど」

「なるほど」

「ほら、日が暮れて寒いから、早く帰ろうぜ」


 慧弥の声につられて、華たちは歩きだすが、ここからは慣れた道だ。

 街灯がなくとも、今日の月明かりで十分に歩くことができる。


 踏みならされた土の道を辿り、丸太の橋で小川を渡る。

 少し歩けば最近できたランニングコースがある。街灯も完備されているので、明るいなか帰ることができるだろう。


「コンルさん、ぼろぼろじゃないですか!」


 改めて明るいところで見たコンルの姿に、慧弥の声が上がる。

 コンルははらいたりない土を落とし、すまなそうに頭を下げた。


「すみません……いただいた服なのに……」

「いや! それより、コンルさんですよ! 怪我とかないです?」

「ハナに比べたら、僕は全く」


 くるりと華を見た慧弥だが、うんと頷いた。


「あいつは歩けてるから大丈夫」

「ちょ、待てよ。こっちだって、瀕死だったんだぞ! あんたもみたでしょ? あたしがズバってキーパー倒したの!」


 少し体力が回復した華だが、体の節々が痛んでいるのは間違いない。

 遠慮のない急な土手を登れば、我が家だ。

 だが、これがなかなかクリアが難しい。

 萌に背中を押してもらいながら、歩いていく。


「ねーちゃん、がんば!」


 萌の声に合わせてキヌ子も「にゃー」と鳴いてくれている。


「がんばる、ねーちゃん……!」


 なんとか登りきり、地面にへばりついて息をつく。

 だが、予想通り、家の裏に出てきた。

 畑の縁をたどるようにぐるりと玄関に向かっていくが、隣りを歩く萌に華は言う。


「萌、爺ちゃんさ、こもってる場所近すぎね?」

「それ、萌も思った。帰ってくればいいのにね」


 玄関について、コンルたちと別れようとしていると、母がちょうどニシ商店から帰ってきたところのようだ。大きな袋に冷凍食品をみっちり詰め込んでいる。


「あら、みんな、元気に遊んだみたいね〜」


 母からの『遊んだ』の言葉に、華はどっと疲れが出てくるが、母のマイペースは変わらない。


「1時間後に、お夕食よ。みんな、ダイニングに集合ね〜」


 ということで、父、母、華、萌、そして慧弥とコンル、さらに慧弥の家の猫3匹と、華の家の猫5匹の食事会が開催されることになった。




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