第11話 『神』カフェに作法は、ない!

 華はひとつ、心配なことがあった。

 コンルに会ったことで、猫がしゃべりだしたとき、だ。


 正直、華は、パンダの声を聞いたとき、ビビった。


 猫は生きている間に1度、人間の言葉を話す。という話もあるので、特別珍しいことでもないのかもしれない。けにゃっぷ、と言ったなんていう、ネットの話も聞いたことがあるし、実際、YouTubeではしゃべる猫を紹介している番組もあるほどだ。


 だからと言って、あれほどはっきりしゃべる猫はいないと、華は思う。


 パンダの「くる」は、どう聞いても、「来る」だ。

 人間のおっさんの声、なのである。

 だいたい可愛くない。

 あの衝撃は、はちみつ大好きテディベアの声以来だ。

 ただ、少なからずここの住人であれば、納得は早いのかもしれない。

 実際、慧弥はパンダのことを素直に認めていた経緯がある。が、慧弥がおかしいとも言い切れない。


 ……正直、若奥様がネックだ。


 若奥様方は、役場勤めのご主人の関係で、ここに移住してきたというのを聞いている。

 ご主人含め、ここで生まれ育った人たちではない。

 多少、この村の掟みたいなものはわかっていると思うが、それ以上にオカルト的な部分を納得できるかどうか……


 華はどうにか穏便に、バレないように、猫を見つけたい気持ちがあった。

 どこから、コンルのことや、今朝の自分のことがバレるかわからないからだ。


 だが、華の心配とはよそに、いっぺんに猫は仏間に解き放たれてしまった。

 ひとりオロオロする華を無視し、多数の猫たちは、解放された縁側でコロコロしながら日光浴を始めだす。

 ここで猫が喋りだしたら、隣の部屋に誘拐しようと目を見張る華。

 それに気づき、慧弥も目を配る。


 ……が、変化がない。


 華と慧弥が目配せするなか、コンルは目を輝かせて縁側に丸るまる猫たちを観察している。


「これほど、神には模様があって、毛の長さも違うのですね! 壮観ですね!」


 コンルのはしゃぎようは、おばあちゃんがたには好評だ。神、と呼んでも笑って流してくれる。

 一方、若奥様たちは、ちょっと引いている。いや、むしろ、嫌な顔をしている。

 音呉村の猫神信仰が特殊だからだろう。

 『若い子が盲信してる』そんな空気を感じるが、コンルは全く意に介していない。

 だらりと寝そべる猫たちを眺めるだけで幸せそうだ。

 ときおりお腹を見せてくる猫トラップに嵌り、手をひっかかれている。


「隙を見せて、敵を襲う。勉強になります」


 毛の長い猫たちは日光浴だと暑いようで、コンルのそばに移動を始めた。

 人慣れしている猫とはいえ、よくコンルに懐いている。猫じゃらしもないのに、だ。


「あんた、またたび、まいてきたのかい?」


 中島の婆ちゃんのセリフが、華にツボる。それほどに猫にまとわりつかれているのはたしかだ。

 もう黒い服が猫の毛で真っ白に見えるほど。

 コンルは中島の婆ちゃんの言葉に首をかしげつつ、


「なにもまいてはいません。皆様、とても懐いてくれているようです」

「猫臭いんだねぇ」


 しみじみ言うおばあちゃんの声が、華にはさらにおもしろい。

 ただ、華はとなりで笑いながらも、あらためて、このカフェの開き方を確認していた。

 そこそこのルールはあるかもしれないが、


・到着と同時に、猫が放たれる

・人間と猫のエリアがある


 この2点だ。

 次はぎりぎり、むしろ遅刻気味で来て、1匹ずつ顔合わせするような状況にしたほうがいい。

 コンルを目にした猫がいきなり話し出す状況は、かなりリスキーだ。

 ただ、どうすれば1匹ずつ顔合わせができるかのかはわからない。

 むしろ、無理な気がするが、それは次回の宿題として、華は胸にしまう。


「華ちゃん、どこの高校、行ってたっけ?」


 飯田の婆ちゃんの声に、華は振り返った。

 トラ柄のトレーナーがよく似合う婆ちゃんだ。


「いやね、うちの研介が、華ちゃんは学校行ってないって。でもこの前、お母さんに聞いたら、行ってるっていうし」

「あー、今はインターネットで学校行けるんですよ」

「便利になったもんだねー」


 感心されつつも、華はこの確認の言葉が何を示しているのかわかっていた。

 ニート、と思われているということだ。

 学校に通っていない=ニート、の図式がこの村にはあるということ。

 16歳は、いなきゃおかしいのだろう。

 母からも聞いているのに信じていないというのが、面白いというか、なんというか……


「……めんどくさ」


 つい、声がもれる。

 小さい小さい声で吐き出したが、猫には聞こえてしまったようだ。三毛猫が華の膝に頬をこすってくる。

 その子を抱きあげ、膝に乗せて待っているのだが、お茶がこない。

 華の分もお茶を取りに行ったはずの慧弥だが、戻ってきていないのだ。


 後方に設置されたお茶汲み場に体を回すと、若奥様2名に捕まっている慧弥がいる。

 華はそっと耳をそばだてる。


「ねぇ、慧弥くんって頭いいんでしょ? 家庭教師とかやってくれないの?」


 この村には学習塾がない。

 隣町にはもちろんあるが、ここからだと車で30分程度かかってしまう。

 若奥様たちは都会から来たと聞いたことがある。もしかすると、免許などないのかもしれない。

 ここは、バスが1時間に1本あればいいような場所だ。

 村内なら送り迎えなし。

 慧弥に教えてもらうのが一番手っ取り早い。

 彼の頭の良さは紛れもない事実だし、手軽に教われるのも事実だ。


「ちょっと教えるだけだから、いいじゃない」

「後輩なんだし、面倒みる感じで、先生ボランティア、みたいな」


 おっと、これはちょっと方向が違うぞ。

 タカリ、というやつだ……!


 華の耳は10倍ぐらい大きくなっていたかもしれない。

 気持ち的には大きくなっていた。


「先輩は後輩、みるもんでしょ?」

「だってみんな学校いっしょだもんね? 小学も中学も」


 この展開は、なかなか間近で聞けるものじゃない!

 インターネットの世界で垣間見るタカリエピソードに、華の胸は踊りだす。

 なかなかに押しが強めの若奥様たちに、慧弥はのれん前髪をかきわけ、メガネを上げなおしつつ、つらりと言った。


「俺レベルの子なら話が通じるから、いいですよ?」


 華は、慧弥の切り返しに、つい、お見事! と叫びたくなる。

 切り返しの『レベルが同じ』というところがミソ。

 だいいちに、勉強を教えてもらいたい子どもは、慧弥レベルではない。

 OKの条件が高いのが、なんとも慧弥らしい。

 スカッとする!

 それに、もう、若奥様の顔が、もうなんとも言えない。

 怒りも見えるし、呆気にとられているのもわかるし、つい手を叩いて笑いたくなるが、華はぐっと体をこわばらせる。


 ……と、気を紛らわしているのは、実は理由が。


「あの子、いとこなの? どっち? お父さんの方?」

「あら、綺麗な子ねー。男の子なの? うそー?」

「初めて見たけど、なにかあったの?」


 ”噂大好きおばさまーず”が、コンルへの質問を山ほどぶつけてきていたのだ。

 どこからボロがでるかわからないため、『いとこ』という設定だけ伝えたが、全く詮索が止まらない。むしろ、拍車がかかっている。


「言えない事情ってなーに?」

「えー。まー、はー」

「地方の子は、きれいなのねー。どこの高校?」

「やー。まー。えー」


 答えないのに質問が出されるのはどうしてなのだろう。

 ズカズカとプライバシーをふみにじってくるおばさまがたに怒鳴りそうになったところで、もう一人、奥様が入ってきた。

 ニシさんの奥さんだ。


「ね、聞いて。この前、びっくりしたことあって」


 高級羊羹と緑茶をきっかけに、おばさまがたを華から引き離してくれた。

 まだ聞きたそうにチラチラと視線を投げてくるが、ここのホストは奥さんである。

 さらに、この村の生活の支えとなっている『奥さん』の声を無視することは、村のローカルルールとしてできないことだ。


「そのね、真っ昼間だったんだけど、」


 話し始めたことは、だった。

 仏間の開いた襖から、黒い人がひょっこり覗き、手招きしたという。


 コナンの犯人かな?


 華は思うが、口に出さないことを選んだ。

 だが、あの真面目そうな奥さんが、こんな話をしだすとはと驚いてしまう。

 定番ネタなのだろうか。


「そのときね、本当に空気が止まった感じだったわ。なんか、山に登ったときみたいな」

「耳がきーーんってなる前の?」

「そう、それそれ! ぼわーってして、息苦しいし、緊張するし……更年期かしら。あ、華ちゃんには、ちょっと早かったかしらね」


 最後は笑い話にしちゃうところが、やはり接客業を長くしているからだろう。

 ドッと笑いが起こり、和やかな空気に変わっていく。


 ──黒い人。


 華は頭のなかで、検索を始めた。

 『黒い人』の話は、ネット怪談で読んだことがある話だ。

 かなり出現方法のバリエーションが多く、見えただけで終わっていたり、複数回見たり、ドッペルゲンガーのように現れたり、他にも、不運だけでは言い表し難い不幸があったりと、あまり良い予兆の存在ではない記述が多かった。

 あくまで噂の域を出ない話だが、こんな身近で目撃情報があるとは、華の好奇心がうずいてくる。


「奥さん、あの、私も、この前みたんですよ」

「あなたも? あたしも、実は納屋で見て……」


 まさか、ここから話が広がるのか!?

 華は驚きつつも、輪に入っていた人の4名が、最近見たと言い出した。

 誰も見かけただけで、実害はなかったようだが、つい、


 回路かよ!!!!


 華は心のなかで盛大にツッコんだ。

 『回路』とは、黒沢清監督のホラー映画だ。

 生きている人がどんどんと黒い影となって消えていくという不可解な現象が始まり、日常生活が崩壊。生き残るために、そして、生きている人を求めて、主人公たちは航海を始める。

 というような話だった記憶がある。


「あのー、その、黒い人って、怖くないんですか?」


 華の質問に、皆、ケラケラと笑う。


「何もされてないし」

「見間違いかもしれないじゃない」

「気のせい、気のせい」


 黒い人があちこちに現れている。

 という事実があり、不気味さが増しているにもかかわらず、猫神信仰のある村だからか、ちょっとぐらいのスピリチュアルな体験は、井戸端会議のネタにしかならないようだ。


 改めて、熱いお茶と羊羹を頬張ったとき、サイレンが聞こえる。

 スマホの時計を見た。

 時刻は13時42分。


 このサイレンは、時報でも、火事でも、甲子園速報でもない。


「怪人かしら?」


 本日、珍しく2体目が現れたようだ。

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