第26話 お菓子教室&猫集会 2

 その姿は、噂の『キクコさん』にそっくりだ──


 黒い髪を流し、細長い腕をべったりと窓枠いっぱいに広げている。

 ただ、華がイメージしていたより、黒く溶けすぎだ。もう少し原型があるかと思っていた。


 華はひとり、想像してみる。

 雨の日に、あの公衆トイレで、となりの隙間から首をぐんと伸ばして、覗き込み、あの細い腕でギリギリと首を締める姿が、浮かんでくる──


 思わず抱きついた萌を華はなだめつつ、じっくりと観察し、ひとりニコニコの華だが、1人張り付いたのを皮切りに、人型の黒いどろりと溶けたものたちが、わらわらと調理実習室の窓にたかりはじめた。


「……1匹じゃないと、けっこう、キモいな」


 実習室の中では、それぞれに反応があって面白い。


 写真をスマホに撮る女子高生、騒ぐ少女、電話をかける父親、娘を抱える父親……


 華は、萌を調理台の下へ屈ませると、戦う道具を探しにかかる。

 今、この調理台で一番強力な武器になりそうなのは、ボウルと泡立て機ぐらいか。


 いや、もう一つある。


 菜箸!


 今、ここに4本ある。

 いざとなれば、柔そうな頭に突き刺してやる。


 うまくやれば、4体は、ヤれる……!


 だが溶けたものたちは、何かを探している様子だ。

 磨かれた窓に、目の辺りをべったりとくっつけて、眼球だけの視線で室内を見回している。


 ひとりの父親が、娘を抱えて外へ飛び出した。

 それを見て、華も、逃げればいいんだ! と思ったのだが、再び舞い戻ってきた。


「げ、玄関にも……たくさんいる……!」


 その叫びに、再び、悲鳴が充満しだす。

 華は震えて床に人がうずくまるなか、調理室の引き戸のドアを、うすーく開けてみる。

 人影は、なし。

 もう少しだけドアを開ける。


「あ、開けるな!!!!」


 その父親の叫びに、指を口に当て、少し黙ってて。と目と唇だけで言い放つと、華はもう一度、廊下に向けて耳をすます。

 彼らの歩く音は聞こえてこない。あれだけびちゃびちゃな集団だ。何か濡れる音がするはずだ。窓に手をついたときの音がいい例だ。


 ただ玄関付近がガタガタとうるさい。

 にょきっと顔だけだすと、引き戸を開けられない黒い溶けた者たちが体当たりをしていた。

 入ってこようとしているのは明らかだ。


「うわー……多くね?」


 管理人室では、2人のおじいちゃんが電話をかけたり、叫んだりしているが、あのまま籠城の可能性が高い。まず、解決はできないと判断。


 揺らされる反動で引き戸が開くのも時間の問題と、華は扉に鍵をかけた。

 本当ならドアを壊されないように茶箪笥なども移動させたいが、さすがに難しい。

 が、ちょうどよく掃除用のロッカーが4つ並んでいる。

 茶箪笥に立てかけ、ドアを塞ぐようにできるのでは?


「すみません、このロッカーをドアの前にー!」


 華が叫ぶと、気づいたお父さんが1人、慧弥、そして萌が手伝ってくれる。


 1人が動くと、他の人も動きだすようで、前後にある引き戸の前にはロッカーが斜めに置かれた。

 床との隙間には、パイプ椅子が積み上げられる。

 これは気休め程度。引き戸が破壊されれば、足止めぐらいになればいいな、というぐらい。

 さらに中に人がいるのを悟られないよう、ドアの窓に上着をかけ、誤魔化しておく。


 だが、外の窓には、びったりと彼らがひしめいている。

 あまりに覗き行為がうざいので、目隠しのようにカーテンをかけることにした。

 より騒ぐ音がする。

 探し物が見つけられなくなったのだ。

 怒るのも無理はないかもしれないが、あれだけ見ていて見つからないのだから、目的のものはないと華は思うのだが、諦めきれないよう。


「うるせーな、ガタガタ」


 華は確認をしていく。

 電気が消えていないことと、水が出ること。

 さらに奥に扉がある。そこには倉庫という札があることから、ここに出していない食器や鍋がある部屋なのだろう。


 退路は廊下の扉だけ──


 だが、大量のキクコがなにをしたいのか、さっぱりわからない。


 怪異の姿が見えなくなったことで、少し落ち着きを取り戻したのか、それぞれに状況を確認しだした。

 間違いなく、怪人の類だからだ。

 だが、スマホで状況を確認するが、何も上がっていない。

 それもそのはずだ。


 警報が鳴っていない───


「ねーちゃん……」


 調理台の下に身をかがめた萌が黙って泣いている。


「萌? 大丈夫? ねーちゃんが守るから安心しろ」


 宣言する華に、首を振る。


「ねーちゃん、ごめん……萌、ねーちゃんのこと、守れなかった……」


 震える手で差し出してきたのは、スマホだ。

 やりとりを見てと、画面を指ですべらせる。

 膝に額をこすりつけて泣く萌を、華はそっと抱きしめた。


 抱きしめながら見たスマホには、玲那からの脅迫めいたメッセージが並ぶ。


『美人だからって調子にのって』から始まったコメントは、かなりの数だ。


『もう学校に来ないでいいよ』

『萌だけ、クラスでしゃべるの禁止したーい』

『八島先輩、萌のこと、嫌いだって』


 この村の学校は、小学・中学は一緒だ。

 現在、全校生徒は全部で92名。

 学区外からの生徒も受け入れをしているのもあり、人数が多いのだ。

 自然と調和した校風がいい、とかで、数年前から増え続けている。


 ただ、萌の中学1年の学年は特に人数が多く、男女合わせて18名。

 それは仲間を作ることになり、グループで別れる結果になるのは、想像に容易い。


 萌は、小学5年から、この村にやってきた。

 その年齢はちょうど、にかかる頃でもある。

 女子たちは、自分がどう見られているのかを意識しだす頃だ。


 あの子はかわいい、かわいくない。自分よりブスだ、美人だ……


 萌は意識していないが、『アイドル顔』といっていい。

 アーモンドのような瞳と、通った鼻筋。顔は小さく、よく笑ういい子だ。


 だからこそ、あの器量良しの深玲の妹である玲那が、萌を攻撃対象にしたのもわかる。


 2人姉妹の深玲と玲那だが、姉の深玲に比べて、父親似なのだろう。

 可愛らしい方だが、美人とは言い難い。

 さらに母親似でないことが、コンプレックスになっていると、噂で聞いたこともある。


 玲那は、虎の威を借る狐だった。


 美人の姉・深玲の権力を振り回し、自分がさも偉いと振る舞ってきていた。


 新入りの萌をいじめの対象にしたのも、


『都会から来て、きにくわない』

『かわいいなんていわせない』


 その程度の理由だろう。

 最近のメッセージを、もう一度見る。


『ちゃんとフシミさんに、あんたの大好きなねーちゃんが、いっぱい不幸になりますよーに!ってお願いしといたから』


 こういう嫌がらせは、本能レベルでセンスがある。

 相手を傷つけるのではなく、相手の大切な人を傷つけることを選ぶのは、なかなかに悪どい。


「萌、聞いて」


 華は萌にスマホを返しながら言う。

 まだ泣き止まない萌に、華は尋ねた。


「ねーちゃん、どさくさに紛れて玲那を腹パンしたらいい?」


 必死に首を横に振る萌に、華は笑い、「優しい子だな」頭をなでる。


「1人で抱えちゃダメだよ、こういうのはさ」


 俯いた萌に、華は続けた。


「……でだ。このあたしが、キクコかフシミかわかんないけど、怖がると思う……?」


 華はじっと萌を見る。

 目が爛々と輝く華に、萌は一瞬、身震いする。


「あれって、ゾンビだとおもわん……? もし、ゾンビだとすれば、めっちゃラッキーすぎる」


 喜びに頬をゆがませ、華は立ち上がる。

 もう、ヤル気に満ちた表情だ。

 握りしめた菜箸をブンブン鳴らして素振りをしながら、華は振り返った。


「慧、コンルは?」

「全然ダメだね」

「わかった。殴って起こす」


 コンルの胸ぐらを掴んだとき、騒ぎ声、いや、悲鳴が実習室に響いた。



「おねーちゃん、やめて! ママも! お願い、手、離してっ!」



 斉藤家の母と深玲が、玲那を引きずっている。

 倉庫のドアが開いている。

 玲那はあの中に隠れていたようだ。


 腕を引っ張られるが、暴れる玲那が腕をはらい、尻餅をつく。

 頬を引っ掻かれても動じない2人は、すぐに玲那の髪の毛を掴み、引きずり始める。


「痛いー! やめて! お願いだからーっ! 痛いっ! いたーい!!!!」


 あまりの光景に、みな、固まって見ていた。


 助けなければ。


 思うのだが、『家族がしていること』というフィルターがかかって動くに動けない。


 ちなみに華は、コンルの首元を握り持ち上げたまま、ざまぁと見ていたのだが、萌が這いつくばりながら、華のそばへと来ると、コンルを殴るために振り上げた華の手を握り、


「ね、あれ、おかしいよ、ねーちゃん。ヤバいよ。助けてあげてよ」


 どこまでもお人好しだな。

 これが萌の良いところであり、悪いところ。

 誰にでも優しいは、いつか自分を犠牲にしかねない。

 『切り捨てるられるものは、切り捨てる』の華とは違い、『救えるモノは、救えるだけ救う』が萌の基本なのかもしれないが、少し厳しくなってもいいのでは? と、姉の心配は尽きない。


 ギャーギャーと騒がしいまま、窓際まで連れてこられた玲那は、髪の毛をようやく解放された。

 頭を押さえながら逃げようとするが、母親が服の首をとり、持ち上げる。

 息苦しさにもがく玲那をそのままに、深玲がおもむろにカーテンを開いた。

 同時に、悲鳴も上がる。

 

 黒い溶けた女が、窓に張り付いている──!


「……うおっ! ビビったぁ……」


 ホラー映画でよくある、『カーテンひいたら殺人鬼ドッキリ』に、見事引っかかってしまった。

 華は悔しくなりながらも、じっと見つめる。

 ガラス越しだが、黒く溶けた女は、にやりと笑った。

 口が、耳の先まで釣り上がり、目尻が涙のように頬まで下がる。


 だが、他のキクコとは明らかに違う。


 青白い皮膚が避け、黒い肉がこぼれているのに、彼女から声が出たからだ。


『よぉしこちゃあああん……お友だちにぃいいい……なりましょうおぉぉ……』


 間違いない。

 彼女は、不死身のキクコ、だ───

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