第27話 不死身のキクコ
不死身のキクコは、窓を開けようとしているのか、鍵をガチャガチャと揺らしている。
深玲が鍵に手をかけたとき、華は走った。
「ドロップ、キック!」
言葉どおり、深玲にドロップキックをすると、母親も巻き込みながら、床へと倒れ込んだ。
だが、遅かった。
かたん。
窓の鍵が、ゆっくりと外れ音がする。
黒く溶けた彼らは、ほんの少しの細い隙間に体を押し込んでいく。
ズルズルと鈍い音を立てながら、すぐに窓が全開に!
とたん、一気に雪崩れ込んでくる。
「キモっ!」
菜箸で突いてみようと華が前に出たとき、まるではみ出たサンドイッチの具のように、1人がにゅるんと現れた。
不死身のキクコだ──!
『よぉしこちゃあああん……お友だちにぃいいい……なりましょうおぉぉ……』
ならば、刺すまで!
だが、華を黒い腕らしきもので壁まで弾くと、床に座り込む玲那に向かって体を伸ばしていく。
玲那は床を這いながら後ずさるが、その足首を母親が握りしめる。
「ママ、離してっ!」
慌てて手を蹴り離すが、不死身のキクコの顔がどろどろと滴りながら迫ってくる。
『……お友だちにぃいいい……なりましょおぉぉしょぉおお……』
男とも女とも言えない声だ。
今日の影人間の声にも似ている気がするが、あれよりも異様な声に聞こえるのは、なぜだろう。
理由はわからないが、執念が感じられる。
どす黒い執念だ。
ねじ曲がった友だち作りが、声に深みを出している。
「わたし、よ、よしこじゃないし! 来ないで!」
訴えても聞く耳はないようだ。
不死身のキクコの腕がぐんと伸びる。
玲那に近づきたいのか、伸ばすたびに、ばきん、と弾ける音がする。
関節だ。
腕が継ぎ足し、継ぎ足し、伸ばされていく……
『お友だちにぃいい、なりましょぉぉぉ……』
「ね、猫、3匹もあげたじゃないっ!」
『すぐ死んじゃったああああ。やっぱり、よしこじゃなきゃぁあああぁあああ」
華はのっそり立ち上がると、ほろりをはらい、握っていた菜箸で、伸びた腕を叩く。
叩き落とす勢いで振り抜いたが、菜箸の方が折れてしまった。
にやりと笑った不死身のキクコは、ぐんと華に顔を近づける。
普通の女子なら卒倒しているだろう。
あらわになった肉と骨、腐った臭い、そして、眼球だけの目。
不死身のキクコも余裕の笑みだ。
だが、華は、不死身のキクコに微笑んだ。
「息が、くせぇ」
彼女の充血している目玉に、折れた菜箸を突き刺した。
『ばぁああああぁあああ!!!!!』
穴の空いた風船のようにしぼみ、するりと窓の外へと逃げていく。
退散したと思った束の間、集団キクコが、中に入ろうと身を捩って進みだす。
華はテーブルに転がっていたボールペンを取り上げ、たこ焼きよろしく、窓から頭を突き出しもがく目に突き刺していく。
5体ほどだろうか。
すっかり引っ込んだ集団のキクコにあわせ、素早く窓を閉め、鍵をかけた。
床には黒い泥が撒き散らされ、腐臭がしている。
ものの3分もかからなかった一連の出来事だが、彼らが中に入りたがっているのはもちろん、何より、標的がここにいる。
「おい、玲那、お前、なにした」
母親と深那は倉庫へと閉じ込めておくことになった。
起き上がった2人は、再び玲那に襲いかかったからだ。
なんとか引き剥がし、倉庫へと放り込んで、鍵をかける。
こちら側からしか鍵がかけられないドアで助かった。
無言の体当たりが続くが、それでも窓を開けられたりするよりはいい。
「玲那、おまじないしたんだろ? 白状しろよ。どうやった? なんでお前の母親とねーちゃん、うちのコンルまで変なんだ? そんなにいっぺんにお願いしたのか? な? な!」
だが、ダンマリだ。
泣いたままで動かない。
静かな室内が重い。
話さない玲奈に華は舌打ちする。
どうやったか、何をしたかで解決策が見つかるかもしれないのだ。
窓が叩かれる音がひどくなる。
女の子を抱えたお父さんが、つと、立ち上がる。
「そんなことより、逃げることを考えた方がいい」
確かに、そうかもしれない。
だが、原因をないがしろにしてはいけない。
対応が変わることがある。
……と華は思うが、
『おまじないのせいで、こんなことになることはない。』
大人であれば、そう思うだろう。
まだ子どもと判断される華は、大人たちの会話を眺めりことにした。
どうやってここから逃げるか。をテーマに会話がされているが、全く進まない。
小さな女の子たちは、猫のテントの中で隠れ、猫に慰めてもらっている。
こういうときの猫は、心強い。
だが次第にエスカレートしていく声に、近い話し合いとは言いがたい状況、さらには子どもの啜り泣く声……
それがびたりと止まった。
ガタン。
ガタガタン……ガン!
実習室の引き戸だ。
廊下にも少しずつだが、集団キクコさんが入り始めたのだ。
今はまだ、電気は使える。
水も出ている。
だが、電話が使えない。
電気も流れ、水も使えるのに、電波がない!
いつのまにか圏外になっていたのだ。
「あの、警察、自衛隊とか、関係者とか、電話した人とか!」
しんと静まり返る。
皆、怪人の仕業だと思い込んでいた。
すぐに魔法少女が現れ、倒してくれると思っていたのだ。
だが、一向に誰も来ず、連絡も取れない。
最悪の状況だ。
「ちょ、コンルさん!」
慧弥の声だ。
見ると、コンルが立ち上がり、歩き出している。
コンルが立ったー! と喜びたかったが、目指している場所は、倉庫の扉だ。
「おい、コンル! どこ行くんだよっ!」
「……ミレが呼んでいるから……ミレが……」
華はコンルの胸板を、慧弥はコンルの腰に腕を巻き付け踏ん張る。
「ミレのところに……行かせて……大事な……人だから……」
「そんなにミレ、が、好き、でも、今は、行かせねーっ!」
とぎれとぎれになりながら、コンルを止めようと、華が力を込めたとき、ふと、軽くなる。
コンルの足が止まったのだ。
「すき……」
つぶやいたコンルだが、眼球が細かく痙攣している。
左右に揺れる眼球の速さは異常だ。
あまりのことに、華は軽く一発、横っ腹に拳を入れてみた。
コンルは身を軽くかがめたが、まだ視線のゆらぎは止まらない。
「……好き……は……自分で」
「自分で……選ぶ……」
「好き……嫌い……自分」
ぶつぶつと聞こえる声に、華は耳を寄せてみる。
瞬間。
コンルが華に抱きついた。
「……僕が、……僕が好きな人……ハナ……ハナです!」
「うるせーっ!!!!」
うまく腕を抜き、アッパーをかけるが、コンルは嬉しそうだ。
顎を押さえながらも笑顔なのが、ちょっとしたマゾに見えて、華は後ろに距離を取る。
「はぁ……すごく、苦しかったです……。悪夢を見ていました。好きを押し付けられていて……まるで、……いえ」
コンルは言いかけたことを飲み込んだ。
一度、腕をだらりと脱力させ、大きく体を回す。
深呼吸を5回繰り返すと、頬をパチンと叩く。
「心が乗っ取られるのはこれで3回目ですが、やっぱり慣れませんね……」
「あんのかよ!」
コンルは雰囲気を察したのか、そっとカーテンの隙間から外を見た。
「あー……」
「あーってなに」
カーテンを覗くコンルに華は問い詰める。
「腐ってますね」
「見たまんまじゃねーか」
「さ、行きますよ、ハナ」
肩に華を抱えると、コンルは窓枠に足を掛ける。
「おい、ふざけんな! おろせよっ!」
「トシ、僕たちが出たら、すぐに窓を閉めて、明かりを消して、音を立てないように」
「わかりました!」
敬礼をする慧弥に華は手を伸ばす。
その手がパチリと叩かれる。
「華、任せておけって!」
「ちげぇぇってぇぇぇええええぇぇええぇぇぇ……」
華の絶望の叫びを残し、2人は腐った人波へと飛び込んでいく。
すぐに窓をしめた慧弥は、コンルに言われた通りに電気を消し、音を出さないように指示をだす。
途端に静まりかえる実習室内。
だが、窓を叩く音が止み、廊下をべちゃべちゃと歩く音も消える。
安堵が立ち込める室内で、萌はキヌ子を抱きしめながら震えていた。
何か忘れている。
そう思ってならないからだ。
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