第31話 続・不死身のキクコさん
華に降り注がれていた戦力が、いきなり対象を変えた。
そして、形状の変化。
集団キクコは大きなヘドロの塊となって、公民館を飲み込もうとしている────
「いちいち、キモいんだよぉ!」
大きなヘドロの塊、と表現はしたが、塊のなかに無数の顔が浮いている。
ひたすらに落ち続ける雨に打たれる顔は、瞬きもしない。
苦しいのか、それとも諦めなのか、どちらともとれる表情で、ヘドロの波に揺れている。
黒髪を蜘蛛の巣のように広げ、口をぱくぱくと動かしているが、聞こえる声はない。
「キクコー! 出てこい! 斬ってやるからー!」
華は目立ったヘドロに刀を差し込むが、まるで手応えがない。
数も減らない、力も弱らない。
打つ手がないのなら、作戦を立てようと、華は屋上を見上げた。
じっとりと冷たい雨が頬を濡らす。
もう一度屋上へ上がり、見下ろしてみようと考えたのだ。
黒いヘドロが、華の足首に巻きついた。
一気に引っ張り上げられ、体は軽々と舞い上がる。
瞬間、実習室のカーテンが揺れて見えた。
萌と目が合う。
(ねーちゃん、がんばって!)
萌の唇はそう言った。
華は唇を噛む。
自分を優先しない萌に、腹が立つ。
どこまでも、相手に優しすぎる!
ヘドロが引き戸を破り、中へと入ろうとしているのに──!
「……ざけんなぁ!!!!」
首を絞め、腕を取ろうと伸びた触手ヘドロを、華は柔軟な体を使って切り落としていく。
上半身をぐるりと回していくが、頭は踵につきそうだ。
後方への視界が開けたことで、ヘドロへの攻撃を体をよじり、かわす。
体幹が強い華だからこそできる技だ。
すぐに足場であったヘドロが華を投げ飛ばす。
だがその反動すら利用して、ヘドロを斬り刻み、華は公民館の玄関を目指し、駆け出した。
「邪魔なんだヨォ!」
すでになだれ込んでいるヘドロをすぐに切り離した。
手応えがないといいながらも、まだ一体化しきれていないヘドロは、ゼリーのようにぶちんとちぎれる。刀を振り回せば、べちゃりと壁に散って貼りつくが、アメーバのように、すぐに戻ろうと動き出す。
「……炎、出ろよ。出ろよ、炎!」
ミノタウルスを倒した炎を華は求めるが、一向に出る気配がない。
何が悪いのかもわからず、ぐるぐると振ってみるが、やはり、変化がない。
「刀の力じゃねぇのかよ!」
華は怒りに任せて、ヘドロを刀でちぎる。
ドアを押し破ろうとするヘドロの量を少しでも減らす作戦だ。
だが、全く埒があかない。
多少は減らせても、すぐに元に戻ってしまう。
「なんなんだよ……くそ!」
流れ作業のように刀を振るが、左手首の椿の花弁はまだ残っているのは見える。
だが、これの使い方もわからない。
「なんかすんのか……?」
気を取られたのがまずかった。
ヘドロに体当たりをかまされ、壁に打ち付けられる。
背中からぶつかり、息が詰まる。
目を開ければ、すぐそこにヘドロが!
乗り潰そうとしている──!
咄嗟に刀と足で華は踏ん張るものの、こういうとき、柔軟さがあだとなる。
柔らかい体のせいで、押し負けている。気がする。
多少、固ければ、そこで止まって押し返せる力もでるのでは?
悠長なことを考えてる間に、あまりの物量に手首がねじれてしまう。
「いてぇっつーの!」
手首を返す瞬間、手のひらほどある椿の花弁が刀をかすった。
瞬間──
「熱っつ、くない!」
怒った猫のしっぽのようだ。
紫の炎がぶわりと広がった。
だが、華を焼くことはない。顔面に触れても、ふんわりと温かい程度。
しかしヘドロには有効だ。
まるで紙に、火のついたマッチをかざした勢いで、ぶわりと燃え広がっていく。
華はあまりの楽勝さに、笑いながら焼き切り、外へと押しだした。
瞬く間に玄関まで出た華は、新体操のリボンの要領で、地面に炎の線を引く。
滑らかな動きで地面を削りながら炎が走り出した。さらに手首でくるくると刀を回すと、炎のリングができあがる。
「この炎、やっぱりイメージの形になるんだ……」
華は可憐に炎のリングを腕に走らせ、首を渡らせると、刀の先へ。
左足を軸に右足をぐるりと回し、リングを跳ね上げた。
飛ばされた炎のリングは、ヘドロには受け取れない。
蜘蛛の子を散らすように逃げるヘドロに笑いながら、次々と新たなリングを転がしていく。
炎の線は華の思い描く通りのラインを描きながら、見る間に建物とヘドロの間に距離を作りだす。
「……もっと、燃えろぉ!」
振り上げた炎は、描いたラインに燃え移った。
紫炎の壁だ。
華は炎を背に立つと、様子をうかがうように、うねうねと蠢くヘドロが少し可愛くも見えてくる。
振り返った炎は、まるで淡い紫の水に公民館を沈めたようにも見える。
だが、この炎もいつまで保つかわからない。
「……ちっ。もう、3つしかないの? 早くね?」
手首の花びらが残り3つだ。
これが、3つも、なのか、3つしかなのかは、結果しだいだろう。
「ハナ、お待たせしました」
頭上からの声に見上げると、コンルが華の横へと降りてきた。
胸には布で丁寧に巻かれた何かがあり、肩にはアンゴーが乗っている。
ただ、彼の服の端々が凍っているのが少し気になる。
「何した?」
「ちょっと凍らせただけです」
ちらりと後ろを振り返ったコンルに、華も釣られて同じ方向を見ると、いつもの山が真っ白だ。
冬、到来。である。
いや、氷河期だ。
「……がっつり、やったね」
「現実世界には影響ないですから」
「それならいっか! ……で、これからどうすんの?」
「力の源は消したんで、弱体化はしてるはずなんですが……」
団結した集団キクコは大きな塊となっていたが、すぐに縮んでしまった。
いや、縮んだのではない。
凝縮されている。
人と同じ見た目と大きさへ変化したそれを見て、華は一歩、後ずさった。
『……みんなぁぁあああぁぁ……いっしょぉおおおおぉぉ……ぜんぶほしいいいいぃいぃ』
華の体が縮む。
恐怖だ。
歯が震えて鳴り出した。
何に恐ろしいのかもわからない。
あの存在自体が、『地獄』だ──
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