第1話 伝承が始まったのは1年前で

 あの写真が、床に落ちた音がした。

 薄暗い部屋のなか、まだおさまっていない強い揺れに、華は足を取られる。

 それでもベッドから素早く身を起こし、音の方へと華は急いだ。


「……良かった……婆ちゃん、ケガないね……」


 華は、拾いあげたフォトフレームを優しくなでる。

 はめこまれた写真には、音呉ねご小学校入学式の看板をはさんで、真新しいランドセルを背負う少女と、橙色の着物を着た年配女性が笑顔で並ぶ。


「婆ちゃん、地震、なかなかおさまらないね……」


 足元では、華の猫のランドンが、ぐるぐると唸りながら体を擦り付けてくる。

 屈んで頭をなでてやるが、揺れ方が妙な地震だ。下から突き上げる揺れと、横に回る揺れを感じる。

 一度、こんな地震を体験したことを、なんとなく思い出したが、9年も前のことだ。地震があったのかも、怪しく感じる。


『華ー! 予言が始まったぞー! 念願の猫神様の予言だぞー、華ぁー!』


 庭から呼ぶ祖父の声に、華は無視をしようと決めた。もう一度、寝直そうと思ったからだ。

 揺れが小さくなり、机の奥へ写真を置き直した。

 改めて机の置き時計を見ると、朝の6時7分。あと1時間は布団でぬくぬくできる。


『華ぁーーー! 予言が始まったぞぉ、華ぁ!』


 まだ叫ぶ祖父の声が、窓ガラスを揺らした気すらする。

 華はおもむろにカーテンをひき、窓を全開にした。


「爺ちゃん、朝からうるせーっ!!!」


 身を乗り出して叫んだ華に、


「いいから、アレを見ろ!」


 音呉村は、10月からすでに朝の冷えこみが厳しい。

 華は息を白く濁らせながら、祖父が指した方角を見るため、窓からさらに身を乗りだした。


 手すりをつかんで覗き込んだ空は、朝日が空を朱色に染めている。

 だが、見慣れないものも浮いている。


「……渦?」


 幻想的に煌めく渦がある。

 朝日に並んで浮いているが、まさしく村の伝承の渦だ。

 伝承によると、その渦は別世界、ようは異世界へと繋がっているという。


 しかし、それを現実で見ることになるとは、華は微塵も思ってもいなかった。大昔の権力者の妄想みたいなものだと思っていたからだ。


「……キモ」


 シャボン玉の弾ける寸前のような渦の波。歪みながら七色に光る渦が、禍々しく見える。

 華は小さく身震いした。

 もし、地獄の釜が開いたら、あんな色なのでは、そう思えてしまったのだ。

 だが、あの渦から、ひしめくように、『なにか』が出てきたら……


 いや、それが、ゾンビなら……!!!


「……さむっ」


 つい、興奮してしまうが、部屋の温度が一気に下がってしまった。

 華はすぐに窓を閉め、寝巻きのまま下に降りることにした。ランドンがご飯を食べたいと鳴いているのもある。


 階段を降りてすぐに、祖父の部屋があるのだが、珍しくドアが開きっぱなしだ。

 ひょっこり覗くと、すでに戻っていた祖父は、音呉に伝わる猫神信仰の書物を片手に、自室にある地下シェルターのハッチに手をかけていた。


「お、華! 手伝ってくれ」


 華はしぶしぶ、ハッチを隠すように積もる書類をよけてやると、祖父は意気揚々とハンドルを回していく。その顔は、とろけるほど嬉しそうだ。


「ほらみろ。爺ちゃんがプレッパーでよかったろ?」


 プレッパーとは、終末世界に対処するため、物資の備蓄など日常的に取り組みながら、公共機関などを頼らず、個人で生き抜く人間を指す。


 だが、華は思う。


 すぐに、こんな時間、終わってしまう。

 現実とは、そーいうもんだ。


 優しい孫なので、口には出さないでおく。


「ねー爺ちゃん、渦からゾンビ出てくると思う? いや、出てくるよね、ゾンビ!」

「それより、まず、シェルターに避難だろ。本当にゾンビが出てきたら困るからな」


 祖父の呼び声に、のんびりと両親が入り、ビクビク怯える妹の萌が続く。

 すぐにちゃきちゃきと祖父が降り、家族の猫である5匹の猫たちが地下のシェルターへ飛び込んだのを見下ろす華に、


「早くしろ」


 呼ばれた華だが、祖父の声を無視し、2階へと舞い戻った。

 部屋に飛び込み、机の奥に押し込んだフォトフレームを胸に抱える。


「婆ちゃんも逃げなきゃ……」


 部屋を出ようと体を回したとき、開いたカーテンの先で、何かが動いた。


 華は動いたものを見つめる。

 向かいの家と家の隙間に、人影が見えたのだ。

 日陰の中のため、顔も何も見えにくいが、お隣のおじさんなのは間違いないだろう。


 堅物で有名なタダシおじさんでも、これは野次馬しちゃうのね。わかるけど。


 などと、華が思ったそのとき、ちょうど朝日が当たった。


「……頭が、魚……? え?」


 あまりの光景に、足が一瞬すくむ。

 人と同じシルエットなのに、頭が魚なのだ。

 よく見る、半魚人、そのまま──


 恐怖が華に一瞬、触れた。

 だが、一瞬、だ。

 すぐに恐怖を興味へ変換した華は、再び階段を駆け降りると、シェルター内にいる祖父に叫んだ。


「爺ちゃん、外に、魚頭がいるっ!」


 外を指差し、今にも飛び出しそうな勢いの華に、祖父は怒鳴りつけた。


「早く入れ、華!」


 あまりの怒声に驚くが、外に出るのを許させる空気ではない。

 華は不貞腐れながらも、大きくため息ついて、ハシゴを滑りおりた。

 入れ替わりで父がハッチをきつく閉めたとき、地鳴りが轟く。

 慌ててつけたテレビには、緊急速報テロップと共に、見慣れた場所が広がる。


 音呉村の映像だ──


 ヘリで映し出された村の様子だが、少しおかしい。

 さらに東の山側にカメラが移動する。

 記者が叫ぶ。


『渦に続き、怪物まで……これは現実なのでしょうか……!』


 大きな大きな怪人だ。

 横に並ぶ家と同じ大きさに見える。

 さらに魚頭で、鎧をまとっているのだから、映画の特撮です、と言われた方が納得もしやすいが、そうではないらしい。


「ねーちゃん、なにあれ……」

「見たのと、違うなぁ」


 華が見たのは、人ぐらいの大きさの魚頭だった。

 何もかも規格外の大きさに、華は首を捻る。


 怪人は、持っていた斬馬刀で無人家を簡単に薙ぎ倒すと、奇声を発した。

 声に文様が浮かび、そこから二足歩行の魚が落ちてくる。

 怪人と比べると小型に見えるが、車と並ぶと2メートルは軽くある。その魚頭の群れに、華は指をさした。


「あ、見たの、これだ! アイツが呼び出したヤツだったんだ」

「え? もうこんなのそこら辺にいるの? キモくない?」


 萌が華にぴったりとくっついて言うが、華は嬉しそうにコクコクと首を振る。


「ただの魚頭の人だと思ってたんだけど、全身も鱗はキモいな」


 華は、画面がアナウンサーに切り替わったのを機に、少し離れた角に移動した。

 抱えていた写真を置き、その周りを数個のクッションで囲いだす。


「ここ、あたしの陣地ー」

「えー! ねーちゃん、もっと向こういってよー」


 5匹の猫たちと娘2人は、楽しそうに狭いシェルターで騒いでいる。

 カーテンで仕切られた半畳程度の物品庫には、お菓子やジュースもあるため、2人は断りもなく食べ出した。

 祖父が「大事に食べろ」そう言うものの、華と萌は我関せずだ。


「どうにかなるっしょ?」


 寝転がりながらポッキーを食べる華に、父はあぐらをかいながら、腕を組んで言い切った。


「華、ホラー映画だと、こっからが本番だぞ? 葵さんもそう思うでしょ?」

「章司さん、そんな怖い事言わないで〜。華ちゃんも、萌ちゃんも、しばらくはここで生活になるかもだから、食べ物はちょっと考えて食べようか〜」


 父と母のやりとりは、どこか緊迫感が感じられない。

 華がサクサクサクサクと前歯でポッキーを縮めたとき、サイレンが遠くに聞こえてきた。


『……避難を………住人のみな……』


 テレビ中継と連動して、わかる。

 避難勧告が始まったようだ。

 さらに役場の車が拡声器を使って、叫んでいる。


 映像を見る限りでは、今のところ、人への被害はないようだが、いつ襲ってきてもおかしくはない。

 理由は、目の前にあるものを壊す習性があるからだ。


 ただ、動いていても、目の前にいなければ反応はない。だから大声で呼びかけても問題ないし、壊している間は集中タイムのようで周りにも気づかない。その隙に車にでも乗り込めば逃げることは簡単だ。


「母さん、うちらも逃げる?」


 華の質問に、笑顔で横に首を振る。


「まだ大丈夫じゃないかしら〜?」


 そんな会話をしているうちに、住人の避難は完了と放送が流れた。村民は大人子ども合わせて、634名しかいないのもある。


「はい、三条ですが、……あ、役場の、はい」


 父のスマホに、役場から生存確認の電話が鳴った。役場職員からは、『三条さんのとこは、シェルターありますもんね』で終了していた。村民は、情報共有が発達しているのだ。


「萌、なに見る? イヤホン、半分こして見よ」


 テレビはニュースとし、華と萌がパソコンでアニメを見始めたとき、母がぼやいた。


「魚頭ちゃん、畑、荒らしてるわね〜」


 収穫を終えた畑だったが、踏み荒らされるのは見ていて気分が良くない。

 だが、華はもっと気分が良くない。

 イヤホンが片方あいているため、不機嫌なまま、母親の声に反応した。


「それならマジ、ゾンビが良かった。まだ、畑の肥やしになりそうじゃん」

「萌もそーおもうー。お魚は、くさそうだもん」


 隣町から警察が到着したと、音と共にテロップが流れる。

 だが、彼らはバリケードをつくり、魚頭たちが村の外に出ないようにするために来たらしい。


 確かに音呉村は、山にぐるりと囲われた、変わった地形だ。

 出入り口も1つしかない。隣町とを繋ぐ橋のみ。

 その橋の端をしっかりと守り固めた警察だが、徘徊している魚頭を減らせてはいない。


「お昼ご飯は、カップ麺かなぁ」


 父は、会社とのやりとりを終えたようで、物品庫をあさりだす。


「まだ電気が使えるから、いいわよね〜」


 ケトルで水を沸かし始めた母に、祖父は胸を張った。


「このシェルターは24時間換気を取り入れているし、発電機も備えてあるから安心しろ」


 4人でカップ麺をすすり、猫たちにはカリカリフードを与えたお昼過ぎ。

 怪人たちの動きは活発になりつつあった。


 村民が籠城している会館は、怪人たちが発生した場所から一番遠くにあるのだが、このままだと間違いなく到達することになる。

 さらに保存食など、1週間分しかない状況だと、しつこくテレビで流れている。


 今、家族で篭っているシェルターの食料も、1週間ほどなのは、祖父からの説明でわかっていたが、華は楽観的だ。

 いざとなれば、バット片手に取りに行けばいい。

 とすら、思っていた。


 だが、まだ萌には刺激が強かったようだ。

 繰り返される煽るような報道に、萌が急に泣きだした。


「ねーちゃん、わだじたち、ここでじぬの?」


 萌を慰めようと猫がわらわらとやってくるが、華は萌にデコピンする。


「まだ焦るときじゃねーって」


 8回目のテロップが流れる。

 政府の対策室が発足されたことが発表されたのだ。

 だが、今までにないことすぎて、話が全く進んでいないと記者が叫んでいる。


「へぇー……シン・ゴジラ、真似すればいいのに」

「やっぱり、現実は難しいんだろうなぁ」


 華のつぶやきに、父がしみじみと返すが、進展は3時間後、ようやく音呉村に自衛隊が派遣されることが決定した。

 それは渦が現れてから10時間経った頃となる。

 これから自衛隊がやってくる現実に、 


「遅すぎじゃろ……」


 祖父の声が床に落ちた。


 霧雨が降りだした音呉村に魚頭の集団の姿は、奇妙であり、現実味がない。

 だが、テレビ画面は延々と怪人たちが物を壊す画像を見せてくる。


 いつ自分の家もそうなるかわからない──


 祖父の声の後ろにつくだろう言葉を思い浮かべ、華はぎゅっと目をつむる。


 大丈夫。

 そう思い込んで目を開けると、テレビ画面が真っ白に染まった。

 すぐにカメラが調整され、光源が映し出される。


 ──渦だ。

 渦が光ったのだ。


 それこそカメラのフラッシュのように村一面を青白く照らす渦。

 その光のなかに浮かぶ人影を、カメラが捉えた。

 華はその映像に釘づけになる──


「……婆ちゃんが大好きだった、魔法少女女の子だ……」


 萌は近くの黒猫を抱きあげ、その小さな手で拍手をする。


「スターフレッシュのブルーみたい! かわいいー! かっこいいー!」


 渦から飛び出した彼女は、ワイヤーアクションで浮いているかのように、空中を自在に飛び回る。

 水色のツインテールを揺らし、腰から青いリボンを流しながら、腹部、顎、後頭部と、白いニーハイブーツの蹴りが炸裂!

 地面に伏した怪人の背に浮かび上がると、氷砂糖のようなステッキを掲げ、彼女は何かを唱えた。

 灰色の雲が空に集まった瞬間、氷の矢が怪人へと降り注ぐ。

 泡が弾かれるように散り散りに霧散した大きな怪人。

 その後を追うように、召喚された怪人たちもバタバタと砂となって崩れていく。


 すべて消滅したのを確認したのか、彼女は満足そうに頷き、可愛らしい笑顔を浮かべ、渦へと戻っていった──

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