第33話 菊子
──真辺菊子は、
長男次男と続き、長女、三男、次女、三女、そして、四女が菊子だ。
終戦後の、ようやく畑にトラクターが入ってきた、そんな時代である。
菊子の家は、農業をしながらも不動産業を立ち上げたりと、父親に商才があった。
手広く仕事をはじめたことで、菊子が物心ついた頃には、大変、裕福な家庭となっていた。
今ならそれほど目立たない話なのだが、農家以外の仕事でお金を稼ぐというのが、奇異な目で見られた、いや、村の常識として『常識がない』と思われていた。
実際、菊子の父、
だが、金を払えばいいんだろうと、金で無理やり解決、さらには従わせ、それに助長して傲慢な振る舞いに、皆、辟易していたのもある。
もう少し立ち回り方を変えていれば、村人に好かれる村長にもなれただろうが、政男にはその才はなかった。
だからか、菊子は幼少のころから、1人の時間が多かった。
上の兄たち、姉たちは、それぞれ仕事に就いていたり、結婚して家を出ていたし、一番年が近かく、面倒をみてくれた三女も、菊子が小学1年の春に隣町の銀行員のお偉いお家に嫁いで行った。
もう少し早くに生まれていれば、「あの人の子だなんて……」と、同情もされたかもしれない。
だが、すでに父親は嫌われ者、母親は父の言いなり、さらに、お金という権力があったため、菊子のまわりには、誰も近寄らなかった。
そのせいもあり、同世代の子どもたちから無視をされるのはもちろん、持ち物が少しでも小洒落ていれば、常にからかわれた。だからといって、みんなに合わせたことをすれば、馬鹿にしているのかと罵られる。
大人たちは、『真辺の子』だからと、腫れ物に触るように扱うばかりで、むしろ、子どもがからかう様子を楽しんでいた節すらあった。
もう、ひとり泣いて帰ることすらしなくなった13歳の秋、菊子は、ひとりの女性に出会う──
「菊子ちゃん、よね? これ、わたしの櫛、もらってくれない? あなたに似合うと思うの」
唐突な会話だったが、菊子にとってはその声音が優しく、そっと撫でられた頭の気持ちよさ、心から声をかけてくれている温もりに、身を寄せずにはいられなかった。
心の底から、一瞬で、その女性に、虜になったのだ。
菊子が「お姉さん」と呼んだ彼女は、次の日から、公民館横の桜の木の下で、菊子をそっと待つようになる。
誰にも優しくされてこなかった菊子にとって、お姉さんが、育ての母のように、肉親の姉のように、見る間に大きな存在になっていった。
なんでも話せた。むしろ、生まれて初めて甘えたとも思う。
今までの苦労を、辛さを、憎しみを、殺意すら抱いた村人への気持ちを、毎日、毎日、毎日、語った。
話すたびに、憎悪が増していくのを感じたが、それは自分の感情が正常になったからだと、菊子は思う。
これほどに『怒り』が自分のなかで巣食っていたことなど気づいていなかった、と。
すでに冬になったある日──
『菊子ちゃん、この石と、あなたの猫を、雨の日の埋めてお願い事をしてごらん。あなたの猫が、友だちを連れてきてくれるから』
お姉さんは、帰り際になって、黒い半透明の石を菊子の手の中に包んだ。
ひんやりとした石は、手の熱を奪うことなく、じっと冷えている。
お姉さんの手も冷たかったが、そのままお姉さんは手を振り、帰っていった。
翌日、菊子は石を返そうと思って、桜の木の横でお姉さんを待っていた。
もうお姉さんがいるから、いらないと言おうと思ったのだ。
だが、いくら待っても、その日は来なかった。
次の日も、次の日も、菊子は同じ場所で待った。
だが、お姉さんは現れなかった。
手元には、小さな丸い石と、もらった櫛が残る。
思えばお姉さんの名前も、帰った家も、何も知らないことに気づいた。
菊子は泣いた。
毎日、泣いた。
今まで泣かずにいた時間を埋めるように、わんわんと泣き喚いた。
何かしたのかと毎日悩んだし、村中を探しもした。
もちろん、聞いても回った。
だが、誰も、お姉さんを知る人はいなかった──
絶望で迎えた春、あの桜の木に、いつものように花が咲く。薄紅色の花弁がわっと木を覆っている。
ただ、春の雨がその花を落としてしまうのは間違いなかった。
降り出した雨が、頬に強かに当たっていたからだ。
雨のなか、咲いただ桜を見上げ、菊子は、決意する。
「お姉さんを、取り戻そう……」
その夜、菊子はお姉さんの言ったとおりにした。
泣き喚く猫を、寄り添ってくれた猫を、泣きながら石といっしょに生き埋めにした。
ごめんね。ごめんね。ごめんね。よしこ。ごめんね………
何百回、謝っただろう。
謝ったその最後に、菊子は心からお願いをした。
『わたしに、お姉さんを、友だちを、ください』────
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