第37話 不穏な幕引き

「見抜いていたならさっさと俺様にも知らせろってんだ。ったく。底意地のわりいご主人様だぜえ」


 主人に一杯食わされたイヅナが嘆息を漏らす。怒っているというよりは呆れた様子で首をぐるりと一巡りさせつつ大きく口を開ける。

 

 イヅナの豪快な欠伸を目にした叢骨は目の前の人物へと視線を戻す。


「風の守人よ。先ほどお前さんは、こやつらに自分は殺せない――そう言ったな。それもまた戯言ざれごとでなく確信あってのものか?」


 その問いに、白夜は叢骨の肩越しに横たわる集団へと視線を投げる。


「お前が手を下したこの方々は熱心な密教の修行者でおありだ」


「ほう。この荒くれ者どもがか。しかしそれがなんだという」


「……方々は戦いを通じ、感じたのだ。俺の内にあるをな」


 その言葉にいよいよ叢骨は理解が追いついた。


「そうか。不動明王。やつらの信仰とはずばりそれであったか」


 古来より山を渡り歩く修行者や密教僧にとって、その信仰の対象とは大日如来だいにちにょらいであり、その化身とされる不動明王だ。

 

 荒くれ者の僧兵軍団。

 そう恐れられ、悪行を重ねてきた根来衆彼らにも信仰する仏はあったのだ。

 なぜならば、地獄にある者たちでさえも救済しようとする慈悲深い仏、それこそが不動明王なのだから――。


「魂を引き剥がされようとも。肉体は畏れ敬うものの記憶を裏切りはしない。肌に染みついた鍛錬の記憶。それはまた信仰の記憶でもある。いくらお前が命じたところで俺を殺すことに絶えず躊躇ためらいは生じ、それが救いを求める者の魂の叫びであると、どうして気づかないことがあるだろうか」


「それが迷える者を救う不動明王の意思を継ぐ五色の守人、その役目であるからと」


「そうだ」


 白夜の肌から白い靄が湧いた。

 叢骨も感じることが出来ただろう。それこそが五大の気が一つ、風大の気。

 悪鬼羅刹あっきらせつを葬り、人々を救いへと導こうとする不動明王の意思だ。


「人間が何よりも尊ぶもの……信仰の心か。そんなものによもや我の術が敗れるとはのう」


「人を傀儡とするならば、その《人》についてお前はもっと知るべきだった」


「端から勝敗が見えていたわけか。恐れ入ったわ。……だが、もう遅い」


「回りくどいぜ。さっさとゲロっちまいなあ」


 二人の問答に付き合っていたイヅナが待ちきれない様子で凄む。


「たとえ我がお前さんをここで討ち果たせずとも、我が主の望みが果たされるまでそう時はかからぬぞ」


「お前を生み出した者とは何者だ。その目的は。今こそすべてを明かせ」


 すると叢骨は自らがこさえた器を巧みに操り、晴れやかな笑みを浮かべた。


「我は生み出された。主の手により。その憎しみにより。……ほほ。今頃幕閣は大慌てであろうのう。この期を狙い本多家が将軍の寝首を掻くとの噂に惑い、真実まことを見極めようと躍起になっておる。そんな折、肝心の将軍が一家に預けられていた者どもにこうして襲われたのだ。これが露見すればさらに大事よなあ」


上野介こうずけのすけ様が謀反のおそれだと? それもお前たちが流した虚言か」


「あれは周りに敵が多すぎるのがいけない。忠誠も度が過ぎれば敵を生む。妬み。嫉み。憎しみ。悲しみ。これらにほんの一滴、我らが油を注いでやれば、たちまち戦の火なぞ燃え上がるのよ」


「人々の心を巧みに利用し、あのお方を失脚に追い込む腹積もりか。ならばお前の主もまた本多家に恨みを持つ者というわけだな」


「……人間とは実に愚かな生き物よ。因縁に縛られ、その鎖を断ち切るどころか自ら絡まっていくばかり。連綿と続くその流れこそがやつらの歴史であり、これを学ぶ者もたちまち絡め取られる。果てのないことよ。もはや残らず消えゆくまでその鎖は断ち切れまい」


「そこまで悟っていてなぜこのような馬鹿げた真似をする!」


「もう引き返せぬのよ。……歴史に残る汚名を本多家に着せ、意趣返しを果たす。その上で一家を長年に渡り重用し続けた将軍家にも相応の制裁を加える。そうして我が主が一族を復活させること叶えば、この国はまた新たな形を成そう」


 そう言うと叢骨の全身からどす黒い靄が起こった。


 危険を察して白夜は後ろへ退いた。

 坊主男の皮膚を穿って黒い塊が飛び出した。

 白夜は即座に抜刀し刀身に風大の気を纏わせる。塊の中心を見定める。

 

 貫いた。

 飛沫も断末魔も上がりはしなかった。

 代わりになにかが欠ける音があった。


「門は直に開かれよう。災厄はみるみる江戸に溢れるぞ。果たして止められるかな。お前さんが戻ったところで二色が欠ける今、なにも……出来まい……」


 辺りを覆っていた邪気が退いていく。

 意味深な言葉を残し、叢骨は去った。


「これは――能面」


 縁の欠けた翁の面が足元に落ちている。白夜は拾い上げると土を払った。ずいぶんと年季の入った面だ。


「傀儡子を名乗っていたが。正体は面の付喪神つくもがみだったか」


「道具ってもんは後生大事にされれば福を招く神へと生まれ変わる代物。だが持ち主の長年の憎しみを見れば性悪な妖にもなっちまうってもんよ」


 いまだ不味い餌を舌の上に転がしているようにイヅナの表情は苦い。


「んで? 結局核心には触れられなかったぜえ。どうするつもりだい」


「二色が欠ける今、か。透夜の存在はやつらにはまだ知れ渡っていない。だとして残るもう一色は……蒼馬が江戸不在であることは承知だったわけか。小田原の件、関係があったか」


 なにかが掴めそうで掴めない。


 叢骨が根来衆を用いたのは本多正純まさずみをはめるばかりでなく、自分をここに足止めする時間稼ぎの目論見もあったのだろう。

 なにかが動いているのだ。今この瞬間にも。

 混乱に乗じてなにをしようとしている。


「幕閣を混乱に陥れ、その罪をすべて本多正純に被せるとは。そのために邪魔な守人を分散させて遠ざけるたあ、相手さんもなかなか用意周到じゃねえの」


「上野介様によって幕閣の座を追われた者は多い。これはそうした一族の怨恨なのか……?」


 七年前に秀忠が布いた『武家諸法度』は違反者を容赦なく罰するものだ。

 この法に定められた条目の解釈を様々に引っ張り出しては、危険視される大名をことごとく条目違反者として改易へと追いやっているのが本多正純だ。

 

 しかし他にも気がかりなことはあった。叢骨が放ったいくつかの言葉だ。


「一族のではなくと。まるで亡き者を黄泉より呼び寄せるような口ぶりだった。それに『門が開き災厄が溢れる』とは……。なにかの暗示かとも思ったが、もしも言葉通りであるならば」


 白夜は喉元を冷たいものが過ぎるのを感じた。膝からスッと力が抜ける。


「ちょっ、おい! どうした」


 必死に呼びかける相棒の声も遠く、視界はたちまち霞んでいく。


「お前……やっぱさっき絡新婦の毒霧を直に浴びたのが相当堪えているんだろ。まったくよお! 油断させるためとはいえ、あんな捨て身の行動。信じらんねえぜ!」


 イヅナの説教はありがたいことに半分と耳に入ってこない。

 白夜は痺れる指を懐に忍ばせると新たな札を取り出した。

 息をかければ、札は人型の雛へと変化した。それを額へと押し当てた。


「和尚に伝えてくれ」

 

 額から離し、宙へと放つ。風にのって紙雛は消えた。

 白夜は手甲で汗を払うと立ち上がる。


「大牧に向かうか? ちび姫なら直ぐにも治してくれるだろ」


だ。なに、姫様のお手を煩わせるまでもない。これしきの痛み直ぐにも抑え込める。……向かうのは喜多院だ。朱門と透夜に急ぎ確かめなければならないことができた。もしもこの予測が当たっていたら」


「いたら?」


 白夜は弾む息を殺すようにして唾を喉奥へと押し込めた。


「江戸が落ちる」


 主人の言葉にイヅナは面食らったような顔をして、そしてだらりと長い舌を垂らした。


「こりゃあ今晩も残業かあ?」

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