第41話 悲劇の一族

「おおくらはちろうえもん? うん? 誰じゃそいつは」


 透夜の膝上でムジナが小首を傾げる。長生きしているヤツでもその名前はピンとこないらしい。もとより人間の歴史に泰葉ほど興味があったかは疑問だが。

 

「大蔵、大蔵……待て。それはたしか大久保石見守いわみのかみ様の旧姓ではなかったか?」


 朱門が思い出したように問い質す。

 

 泰葉は白夜の手中にある面にゆっくりと視線を移した。


「はい。その面に残された金箔。それはおそらく、かつて彼が支配した金山のいずれかで採れたもの。当時強大な力を保持していたことを示す逸品にございましょう」


「ではやはりっ」


 そうして泰葉はその男の生涯を語るのだった。

 

 

 大久保長安ながやす

 彼は猿楽師(能役者)の息子だったが、武田家に仕えることになると大蔵の姓を与えられ、侍へと成り上がった。そうして長らく甲斐国の金山発掘に従事した。

 

 けれど天正十年(1582)、武田が滅びる。

 すると武田の家臣たちは全国の大名の下へと散った。そして彼もまたその才能を買われ、徳川へと下ったのだった。


 彼の秀でた財政感覚に以前から目をつけていた家康は彼を取り立てるにあたり、腹心の部下であった大久保忠隣ただちかと彼を引き合わせている。当時、絶大な権力を持っていた大久保家に彼を取り込むことで、その後ろ盾を作るのが目的だったようだ。


 そうして彼が大久保長安を名乗る頃にはその才能はあますことなく発揮され、徳川の財を支える立派な頭脳となっていた――。



「慶長八年。家康公は宿望の将軍宣下を受けました。そしてこの年、彼もまた関が原の戦功や鉱山採掘の功績をもって石見守に任じられたのでございます」


「一介の猿楽師がとうとうお大名にまで上りつめたってわけだ。ケケケケ。大した出世じゃねえの。いいねえ」


 イヅナは庭で大人しく伏せたまま、面白そうに耳をそばだてている。


「武田家にお仕えしていた当時、彼がその面を使い信玄公に舞いを披露なされたことがございました。私が目撃した時はただの木目の能面にすぎませんでしたが、翁の表情がとても特徴的でしたから見覚えがあったのです」


「そうか」


 白夜は得心いったように面を見下ろす。


「後にその能面を黄金で飾り立てて。これは猿楽師から大名へと華麗に転じた己の栄達を誇るために作らせたものだったのか。石見守様の生涯の証そのものだったわけだな」


「しかしそやつはとうに亡くなっているんじゃろ。あべべべ、まさか怨霊が!」


「いや。これは自身は人の情念により作り出されたと言っていた。生きた人間が裏で手を引いていることはまず間違いない」


 白夜の言葉に泰葉も頷く。


「たしかにそれは長安殿の私物ですが、彼の私物は九年前のある事件によりご公儀にそのほとんどが没収されております」


「あ、あの。それってさ、もしかして財宝横領事件のことかな」


 とうとう透夜が会話に転がり込む。それは単純な答え合わせのためだった。


「まあまあ。透夜殿はそれもご存じなのでございますか」


「最初、大蔵なんちゃらって言われた時は誰のことか分からなかったんだけどね。鉱山経営を任されていたって泰葉の話を聞いて、ああ、大久保長安のことかってピンときたんだ」


 そして透夜はこれまで出会った本から仕入れた情報を披露した。


「大久保長安は鉱山経営で得た財産を私的に蓄えていた。それが本当かどうかは分からないけど、その疑いから病気で亡くなった直後にも関わらず遺体を掘り起こされて晒し首にされてしまった。……この話はさ、今でも歴史好きには有名なんだ。だってこれだけでも残酷な話なのに、その上彼の息子も全員処刑されて、大久保家に関わった多くの人たちが連帯責任で処分を受けたって話だからね」


「そうだったのですね。それは、とても、とても、痛ましい出来事だったのでしょう」


 沙羅姫は事件のことは初めて聞いたようで、まるで自分のことのように悲しい顔をしていた。


「はい。長安殿の男子七名が処刑され、縁者がことごとく所領を召し上げられたことを考えれば、家康公のお怒りが当時どれほどのものであったかは明白です。しかしそんな彼の私物がこのように人目に晒されている。ならば、彼の縁者が密かに持ち出したとしか考えられません。そしてその人物にこの狐は心当たりがあるのです」


「泰葉。それは一体誰なのですか」


 侍女の言葉をみんな静かに待った。

 そしてその人物の名がいよいよ明らかとなった。


「長安殿にはご息女が三名ほどおりました。いずれもすでに名家に嫁がれており、当時は難を逃れました。しかし江戸にて就縛され、後に釈放された女児が一人いたと。そんな話を耳にしたことがございます。名をたしか御坊おぼう様と。そう申されたはずです」


「その女性が事件の黒幕ってこと?」


「しかし当時十歳ほどの幼子。単身江戸に在ったのは不自然です。しかも女児であるにも関わらず一度は就縛と相成った。これらから推測するに、この方は長安殿の後継たり得る庶子であったのではと密かに語る者もいたのです」


「それじゃあ、事件を哀れに思った誰かが大久保家への情けとして、その子供を女子と偽り釈放した……そういうこと?」


「あくまで噂の域を出ませんが」


「しかしそれは見逃した側も相当な覚悟があったはずだな」


「バレたら大目玉じゃもんな」


「ふむ。石見守様の忘れ形見か。男子にせよ女子にせよ、その者が首魁しゅかいであることは間違いなさそうだな。……たしかに本多家に最も因縁を抱いているのは大久保家であろうな。これまでにいく度となく両家は争っていた」


「ああ、なんということでしょう!」


 沙羅姫は顔を袖で隠して俯いた。同じ年頃の子供が運命を弄ばれてしまったことに深く傷ついている様子だ。膝に置かれた手がカタカタと震えている。


 沙羅姫の背中を擦りながら侍女が言葉を継いだ。


「小田原が妖の巣窟となっているとの話でしたね。長安殿の一件により、当時大久保家の筆頭人であった大久保忠隣殿も改易の処分を受けました。彼が直前まで治めていた地がこの小田原でございました。そして当時、彼の元に預けられた長安殿の男子が実際この城にて切腹を命じられております」


「因縁深き土地ということか」と白夜。


「なるほど。しかし考えてみれば瀧泉寺同様、千代田城の未申(裏鬼門)の方角に構えられた城だ。結界を破壊するにも、一族復興のための橋頭保きょうとうほとするにも恰好の土地であることは間違いないな」


「復興、か。しかしこの付喪神は主の一族を復活させるのだと、そう言っていた」


「なんだと。そんなこと出来るわけもなかろう」


 白夜の言葉に朱門がすぐさま反論したが、白夜の強い眼差しに閉口した。


「黄泉より魂を呼び寄せる秘術、《魂呼たまよばい》。噂には聞いたことがあるが、真実まことなのか。だが真実であったとして、そのような儀式をやってのける者などこの国には限られていよう。いや待て。そのようなこと考えたくもないが。だが、だが、そういうことなのか……?」


 朱門の顔色がみるみる悪くなっていくようだった。


「並みの人間と面の付喪神だけでこの周到な謀を練れたとは思えない。協力者があったはずだ。だがそれが誰かはこの際あまり関係はない。とにかく相手の目的が判明した今、俺たちに出来る事は情けをかけることではなく、その哀れな行いを止めてやることだ」


 白夜の揺るがぬ決意に呼応するように、


「はん。その通りだろうよ」


 その声は地の底から湧くように響いた。

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