第26話 現場体験

 切り上げた槍の穂先が月明かりを吸い、閃きを放った。


「きりがないな」


 朱門は雨にしとど濡れる柄を握り直すと、穂先を伝う滴を切るように宙に払う。そして今にも襲いかからんとする次の一匹の腹を捉え、


「――廸火じゃっか


 一息に突く。

 貫かれた肢体は短い悲鳴とともに橙の炎に包まれた。これを松明よろしく振り回し、別の連中を蹴散らす。しかし相手方も怯まず続く。


「まったくどうしちまったのか。こいつらこんな真似するのなんて初めてじゃねえかい」


「いずれにせよここで食い止めねば陣屋にまで被害が及ぶ。そぞろ。乗れ」


「まったくよお。妖使いが荒いったらありゃしねえ」


 朱門の指示に不満を垂れながらも、そぞろは差し出された柄へと軽快に跳び移る。すると体が槍の中へ溶けていき完全に馴染んだ。

 その具合を確かめるように朱門は槍を振り回す。雨の波紋がいく重にも広がる横の川面にちらちらと妖しげな光が跳ねる。そうして片足を前に朱門は新たな型を構える。 

 

 なにをするのだろう。獣たちが身を寄せ合い緊張する。


 すると朱門はやつらの正面へと踊り込んだ。自ら退路を断って辺りを囲ませれば、これはもう食らってくれと言うようなもの。怯んだのも束の間、やつらが一斉に跳びかかる。

 間合いに入るやいなや朱門は両足に距離を取った。片足を軸に体を翻す。十字の穂先が弧を描き、するとそこから出でた毛髪が残さず標的を絡め取った。向かいの山肌に背中を叩きつけられて、やつらの意識はすでに無いにも等しい。


「今楽にしてやるからな」


 やつらの体に巻きついた毛髪が鉄線のごとく引き締まる。きつい締めつけにある者は掠れた声を上げ、ある者はよだれを地に注ぐ。朱門は静かに祈った。


迦桜羅炎かるらえんよ。この者たちを光満ちる天上界へと誘いたまえ」


 目の覚めるような深紅の炎がそぞろの髪を伝って燃え広がる。雨の勢いなど物ともせずやつらを包む。やがて炎は淡い燐光へと姿を変え、ぬかるむ地面にきらめきを注ぐ。苦しむことなく魂は一斉に旅立った。空が闇に戻るのと並行してそぞろの髪が槍の中へと巻き戻る。


「終わったかねえ」

 

 柄からぬらりと出てきた彼女は腰を労わるように擦り擦り、辺りを見回す。朱門は「ああ」と頷いた。提灯の明かり代わりにと炎を片手に生み出すと、後ろの木立に向かって声を投げた。


「――さて。こんなものだろうか。どうであった」


 木立の中からガサガサと音があって、黒い毛玉が勢いよく飛び出してきた。


「あぁああんなの、わあにだってででで出来るわい!」


 ムジナは朱門の肩に飛び乗ると耳元で忙しなく吠えたてる。


「これが使妖と連携した戦い……。すごい。息ぴったりだった……」


 透夜はすっかり呆けた様子で、足元の水溜りも避けず朱門たちの元へとやって来る。


「はん。しかしまあこんな畜生を相棒にするとは。空の守人、お前変わっているねえ」


「あべべべべ! なんじゃとうっ」


「煮て食った方がまだ役に立つってもんだろうが」


 ムジナの宣言通りそぞろとの相性は最悪のようで、その場で罵り合いが始まった。その様子を朱門はいつものことだと見守りつつも透夜に声をかけた。


「まあこんなではあるが。互いを理解し力を合わせれば戦術は大いに広がるというものだ」


「うんうん。本当にすごかった!」


「参考になることがあればよかったが」


「もちろんだよ。ありがとう、朱門」


 笠から顔がきちんと見えるように顎を突き出して透夜が微笑む。


「……そなた。少し雰囲気が変わったか」


「え、そうかな。あ。馴れ馴れしかったかな?」


「いや。それはまったくかまわないのだが」


 すると「ああ」と得心がいったように朱門は視線を透夜の奥へと向けた。


「あの者のおかげかな」


 噂の人物が川の上流より戻ってきた。「兄者!」と嬉しそうに声を上げて透夜が駆け寄る。


「見回ってきたぜえ」


 イヅナが眠たそうに欠伸をかます。すると白夜が川の先を指差して報告した。


「幸いにも落としたのはこの先にかかっていた橋一つだった。掘割ほりわりのためにこしらえられた手頃な橋だ。これならこの雨で災いにかかったとでも言い訳がきくだろう」


「そうか。ご苦労であったな」

 

 ここ本郷ほんごうの地は開発の最中にあり、秀忠の命を受けた伊達政宗公を中心に仙台藩が二年ほど前より掘削工事を行っている。高さ七丈(約30m)ほどの神田山はすでに大半を切り崩され、新たな川の流路はほぼ出来上がっている。しかし最終的な完成にはまだまだ時間がかかる。


「ここは毎晩見回っている場所なんだよね。それだけ重要な土地ってこと?」


「さよう。ここに堀を作るのは千代田城の近くまで迫っていた洪水を解消する名目の他、台地を裁断することにより城を攻め落とさんとする賊の隘路あいろを成すためでもある。ならば人間だけでなく妖の侵入にも気を張らねばなるまい?」


「そっか」


「だけど本当おかしなもんさ。さっきの連中、この辺り一帯の古参の守番さ。それが急に暴れ出すなんてよう」


 ムジナとの口論に飽きたのか、そぞろが朱門の隣にやってきて会話に混じる。


「姫様の夢告通りであったな。どうもここ数日やつらの動きがおかしい。これまで比較的我らに協力的だった者たちまで暴れ始めるとは。それに西国の妖までもが江戸へ押し寄せるようになった。その上、霊地を蹂躙じゅうりんしようとは……」


「目黒の森に現れた牛鬼か」


「ああ。どうにも嫌な予感がするのだ」


 朱門がそう感じるには実はもう一つ理由がある。沙羅姫の新たな夢告だった。


『――江戸の町が赤々と燃えておりました。往来には多くの人々が横たわり、その上を妖たちが百鬼夜行を行っておりました。それは、それは、恐ろしい光景にございました』


 数刻前、大牧の屋敷で面会した彼女は震える声でそう語った。今回ばかりは具体性を欠いており、それが不吉さをいっそう印象づけたのだった。


「小田原のことも気になる。蒼馬はうまくやっているだろうか」


「そらこれだ。おめえ、その心配癖どうにかなんねえのかい。見ていてイライラすんだよ」


「そなたはもう少し感情の機微というものを学ぶべきだがな」


「はあ? オラは妖だ。そんなもの望むだけ無駄ってもんだろうよ」

 

 そぞろは主人から顔を反らすと耳の穴に細い指をねじ込んだ。ねんごろにほじくる様子を見て、それもそうだなと朱門は妙に納得させられてしまう。


「……うぬぬぬぬ。透夜あ、わあにもなんか力を寄越さんかあぁ!」


 ムジナが透夜の肩によじ登って地団太を踏む。やはりそぞろとの口喧嘩で盛大に言い負かされたようだ。


「俺だって勉強中の身なんだ。無茶言うなって、あ、そこ気持ちいい」


「ケケケケ。お前、按摩あんまが得意なら立派に主人の役に立ってんじゃねえの」


「あべべべべ!」


 イヅナにまでおちょくられる始末だ。なんだか哀れに思えきて朱門は声をかけた。


「透夜よ。この者に加護を授けてみるのはどうだ」


「え。使妖じゃなくてもそんなこと出来るの?」


 透夜が驚いたように目を見開けば白夜が頷いた。


「調伏によって加護を授けることも出来るが、他者に己の気を分け与える形で授けることも可能だ。しかし加護は無尽蔵ではない。己の生命力に直結している。与える者はよくよく選ばなければならないがな」


「ならやっぱこんな畜生に与えるのは勿体ないだろうが」


 そぞろが止めの一撃を繰り出せば、「ぐんがあぁ」とこれまた独特の悲鳴を上げてムジナは透夜の肩に突っ伏した。雨の寒さも相まってぷるぷる震えている。こうなるといよいよ仮の主人も不憫に思ったようで、その背中の毛を撫でながら場を執り成す。


「こいつには一度命を助けてもらっているし。本当の主人じゃないにしても一緒にいる間は面倒はきちんと見たいからさ。だからそのやり方、教えてほしいな」


 その言葉にムジナはバッと面を上げて、「透夜ああ」と彼の顔面に貼りつく。

 この奇妙な主従関係を微笑ましく思えば心も和んだが、しかし朱門の予感はすぐにも的中してしまうのだった。


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