第3話 夜に寄り道はするもんじゃない

 寿庵じゅあんを後にすると、最寄りのコンビニで頼まれていた荷物の受け取りを済ませた。後はいつもの帰り道を辿るだけだったが、ふと寄り道をしたい気持ちが芽生えて透夜とうやは踵を返した。

 

 立派な朱塗りの門が暖かな色の光を受けて闇の中に浮かび上がっている。仁王門におうもんの両端に配された風神と雷神の像が厳しい顔つきで迎えている。

 瀧泉寺りゅうせんじ。目黒不動という通称の方が有名なこのお寺は、昼間は参拝客で賑わっているが、夜も九時を回れば静謐せいひつに守られていた。ジョギングや犬の散歩をする人に出くわすかとも思ったが、石畳の参道に立っているのは今は透夜だけだ。

 

 仁王門の向こうに本堂に続く石段が見える。石段の前に柵が施されていて本堂には上れないようになっているが、そこまでは夜でも出入りが許されているようだ。透夜は吸い込まれるように門を潜った。


 開けた境内の左手側から微かに水の流れる音がある。《独鈷とっこの滝》と呼ばれる場所だ。小学校の遠足でこのお寺を訪れた際、湧き出る清水を大きな石像にかけて手を合わせた記憶がある。


(そうだ、あれもたしか不動明王の像だったっけ)


 そう思い出して、わずかな外灯の明りを頼りに近づけば、思いがけず複数の人影に出くわした。


「平成最後にやってみましたシリーズ!」

 

 一人が夜に相応しくない声量で吠えれば「イエェイ!」と面白そうに拍手をする二人。一人は司会役に携帯電話のライトを向けて、もう一人も動画撮影をするようにビデオカメラを構えていた。

 暗がりの中でもその声で嫌というほど分かった。クラスでよくつっかかってくる連中だ。滝の横の小さなお堂の前にはコンビニ袋やリュックやらが散乱している。


「……お前ら、なにをやってるんだよ」


 透夜が近づいて声をかける。振り向いた集団は一瞬驚いたように固まったが、それが苦手なクラスメイトだと分かるやいなや揃って舌打ちした。


黒須くろすかよ。お前こそなんでいんだよ」


「帰り道にたまたま寄っただけだ。騒がしい連中がいるなと思ったらお前らだったとは」


「俺ら今撮影中なんだわ。どっか行けや」


 リーダー格の鈴木が唾棄だきするように言うと、撮影役だった小林が妙案を思いついたというように「そうだ」と鈴木の肩を素早く叩いた。


「なあなあ。アレ、黒須にやってもらおうぜ」


「は?」


 話が読めず透夜が小林に説明を求めようとすると、「いいねえ」と鈴木が口元を歪ませた。撮影を中断していた広瀬も面白そうに頷いて、透夜の前にビデオカメラを突き出す。


「どういうことだよ」

 

 明かりが眩しくて視界を手で庇うと、三人がじりじりと距離をつめてくる。


「俺らYouTuberやってんのね。で、平成の終わりに面白い事やっておこうってコーナーを今やっててさあ。今日ここに来たってわけ。……なあ。やっぱ協力してくれよ」


「言っている意味がわからない」


「ああ、そうだよな! お前ケータイも持ってない貧乏人だもんなあ。でもこれで再生回数が伸びればお前もたちまち人気者になれるぜ。な、悪くないだろ?」

 

 にやけ顔で鈴木が言う。どうにも自分にこの堀の中に飛び込めと指示しているようだ。


(馬鹿馬鹿しい。というか、なんて罰当たりなやつらだ)


「……本当ろくでもない事ばっか思いつくな、お前ら。飛び込んだところでぐ足が着く場所だぞ。見れば分かるだろ。なにが面白いんだよ」


「最高に面白いじゃん。水溜まりみたいな池に正面からダイブかまして怪我するとか馬鹿の極みって感じで。こういうのがウケるって、なあんで分かんないかなあ」


 とうとう乗り出し防止のために設けられた鉄柵の前に追いつめられ、透夜はぞっとした。


「じゃあ黒須くん、行ってみましょっかあ」


「おい。ちょっと、やめろ」


 暗がりの中では分が悪い。三人の圧を受けて柵と柵の隙間から堀の縁へと押し出されてしまう。その反動で透夜の肩から竹刀袋が滑り落ちた。肩紐を掴もうと透夜が手を肩に回したその瞬間、鈴木が低い姿勢から腹目がけて張り手をしてきた。


 透夜は咄嗟に片手で柵を掴むと両足に踏ん張りを効かせた。身をよじった。するとバランスを欠いた鈴木の体が前のめりになって崩れ落ちた。

 わずかに水飛沫が上がって。清水の流れる音が空しくその場を支配する。


「……まさかの鈴木が落ちた。やばい。ウケる」


 小林がくつくつと笑いを漏らす。思いがけず面白いものが撮れたと、広瀬も腹を抱えてその場にしゃがみ込む。


「おい。大丈夫か」

 

 透夜は鈴木に手を伸ばした。

 と、その手首に巻かれた数珠が一瞬カッと熱くなった。電流が走ったような痛みに透夜は反射的に手を引っ込めそうになる。


「……こ、この野郎……っ!」


 呆けていた鈴木が怒りを思い出したように立ち上がる。透夜の胸倉を掴みにかかる。するとそんな彼の怒りに地面が呼応したのかと思った。


「なんだあ、地震か?」


 小林と広瀬が辺りを見渡す。地面の揺れはますます大きくなる。すると目の前の水面が意思を持ったようになみなみと隆起し始めたではないか。

 先ほどとは比較にならないくらいに大きな水飛沫みずしぶきが透夜たちに襲い掛かった。


「うわあああぁあ!」


 小林の尋常ならざる叫び声に、透夜は頬に張り付いた髪を払って前を見た。

 背を向けて鈴木が水面に尻をついている。声もなく、カタカタと震えながらなにかをしきりに見上げている。透夜はその視線を追った。

 

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