第35話 水の守人

 蒼馬は耳を塞ぐのを止めると視線を四方に巡らせる。漆喰しっくいの壁の隅っこでびくびくと丸まる使妖の姿があった。


「……一旦収まったようだね」


 又兵衛またべえは先ほど立て続けに起こった砲撃音にすっかり怖がってしまっている。

 今はその砲撃こそ収まったが、結界の向こう側から妖どもの怨嗟えんさの声が幾重にも響いてきていた。この馬屋に逃げ込んで早々に結界を張ったはいいものの、奴らはなんとか屋内に侵入しようと体当たりを続けているようだ。


「これはこれは。入城した途端えらく歓迎されたものだねえ」


 眞海が低い姿勢を保ちつつ潜戸くぐりどの隙間から外を観察する。


「どうやら敵は多数の人間まで引き入れているようだ」


 蒼馬は散らばった飼葉を踏みつけて眞海の隣へ着く。重厚な梁組がなされた立派なうまやだが肝心の馬は一頭たりとも見当たらない。幸い主人たちとともにすでに出払っていたようだ。

 

「鉄砲玉か。から一斉に狙ってきている。どうやら敵はすでにこの城を我が物にした気でいるらしいね。人間まで駒として配置しているとは」


 眞海の見つめる方向には門の渡りやぐらがある。あそこから射ているようだ。


「彼らはすでに人としての理性を失くしているね。厄介だ」


「バンバンしてくる人たち、つつっ、憑かれているですかあ?」


 又兵衛が涙目で問う。蒼馬が頷いた。


「お城の各門には僕らが来るよりも前に魔封じの結界が施されていた。つまり城内は妖気が充満していた。こんな空間にあって未だ正気を保っている人間、いるわけないだろうよ」


「それにしても扱いを熟知しているね。感覚も鋭い。この薄暗さの中、あの距離から確実に狙ってきている。ひょっとしたら神隠しに遭った人たちが、とも思ったが違うようだ。あの連射の間からいってそれ以上の人数があそこにはいるだろう」


 すると眞海は決心したように懐から式符を取り出した。


「では蒼馬。私が式で我々の囮を作る。あのお堀の際まで妖たちを誘導しよう。君はそれまでに水大の気を練っておいておくれ」


「双方水浸しにしてもいいんだね?」


「ああ。彼らをもれなく清めてあげてほしい」


「了解」

 

 蒼馬は手を合わせると目を瞑り集中を始める。その体から青い靄が立ち上る。水大の気だ。

 

 蒼馬の集中力を欠かないように眞海も心の中で詠唱を始める。そして自分たちの姿そっくりの式を作ると、戸の隙間から結界の外へと放った。

 

 狙い通り、辺りをうろついていた妖たちが式を追って移動を始めた。同時に銃声が再び響き始めた。


「――よし」

 

 カッと目を見開いて、蒼馬が数珠をからめた手で九字を切る。それを合図に、櫓の下を巡る堀の中から水が迫り上がり、巨大な壁を生み出した。


「災いことごとく押し流せ――水蛇みずへび!」


 水壁が二股にしなり、鎌首をもたげる蛇のように先を垂れた。土塀と、そして堀の際に留まっていた有象無象うぞうむぞうを怒涛の勢いで呑み込む。


「又兵衛。行くよ」


「ははははいですうっ」

 

 蒼馬と眞海は又兵衛の背にまたがった。二人が手綱のごとく丸ぐけをしかと握りしめれば外へと弾き出る。

 

 湿った地面を避けるように又兵衛は器用に跳ねる。跳ねる。橋を越え、櫓の瓦を伝い、そして二の丸の正面に構える正門の屋根へと跳び移った。

 

 辺りを漂っていた妖たちは瀑布ばくふに呑まれ、すでに跡形もなく消え去っていた。眼下に四角く仕切られた広場には、今は坊主頭の屈強な男たちがそこかしこに横たわる姿だけが残されている。


「すごいですう、ご主人たまあ!」


「僕の気を練り合わせた手製の清水をぶつけたんだ。護摩符ごまふで浄化したも同じこと。この人たちの憑き物は落ちたはずだ」


「で、でもっ!」


「どうしたんだい又兵衛」

 

 又兵衛が頭を低くしてお尻をもじもじ動かす。


「なんだかぴくぴく動いている音がするようにゃ?」

 

 そんなはずはと蒼馬と眞海が目を凝らせば、男たちは一人、また一人とゆらりと起き上がり腰に帯びた刀を抜いたのだった。


「嘘でしょ。なんでっ」


 清められたはずの彼らの肉体から再び黒い靄が湧いている。


「ただの憑き物じゃなかったということだね。となるとあれは――」


傀儡くぐつ術か」

 

 蒼馬は盛大に舌打ちする。


「でもこの人たちから生気をまったく感じないっていうのはどういうわけだろう。ただ操られているだけなら」


「うむ。たしかに四肢の自由を奪うだけの術もある。けれどこの人たちはすでに魂と肉体を完全に引き剥がされている。いずれも支配されているようだ」


 眞海は注意深く彼らを観察する。


「聞いたことがある。傀儡とは本来、人形に術者の呪いを仕込むことで生まれる操具。あるいは術具や己の生命力を用いて対象を操ること。その術の中には肉体より臓物を取り除き、そこに呪いを仕込むことで強制的に器を支配する禁じ手があるとね」


「なるほど。それで不死身の操り人形の出来上がりってわけね」


「きええ! 悪趣味ですうっ。じゃあこの人たち、もう元には戻れないですかあ?」


 又兵衛が涙ぐんで訊ねる。主人はやや沈黙した後、


「姫様の地大の気をもってしてもそれは無理だろうね。一度失った命を蘇らせるなんて真似は誰にも出来ない」


 そう苦渋に満ちた声で言った。


「そんにゃあ……」


「大丈夫かい。蒼馬」

 

 これはきっと悲しい戦いになる。だからこそ眞海は彼の覚悟を問う。


「透夜たちに江戸は任せてきちゃったからね。僕は僕の役目を全うするだけだよ。……術者を仕留める。魂は送る。それが守人の役目だ」

 

 蒼馬の体を伝う水大の気が静かな闘志のように青く燃え上がる。

 眞海は首肯する。


「そうだね。しかし術者は離れた場所に待機している可能性が高いよ。さてどうするか」


「わざわざ前に出てきて自分を危険に晒すなんて真似はしないか」


「そういうことだよ」

 

 しかし悩んでいる時間もなかった。

 すでに新たな刺客が解き放たれていたのだった。


 二の丸側を向けば妖が無尽蔵にまた湧いていた。

 中でも厄介なのは城壁の向こう側からぬっと顔を出した巨大な髑髏どくろだ。足元にいる仲間など気にも留めず踏みつけて、目の前まで迫っていた。その反動で大地が揺れに揺れる。けれど後ろに退避するわけにもいかない。そうすれば操られた彼らの刀の餌食になるだろう。


 巨大髑髏が顎をかくかくと揺らす。雪崩れ込むようにしてその体を前に傾ければ、口を大きく開いた。


「まさか私たちを食らう気か!」


「望むところさ」


 まさかの発言に眞海も又兵衛も驚いたように蒼馬の顔を見やる。窮地を前にやけになってしまったかと思ったが、その顔はやる気に満ちていた。


「又兵衛、そのままヤツの眼窩がんかへ跳び移れ!」

 

 とにかくご主人様に従おうと、「はいですう!」と又兵衛が踏み張って高らかに跳躍した。真っ暗な窪みの片方に吸い込まれるようにして二人と一匹は身を投げた。


 忽然と姿を消した獲物を探すように頭を左右に振る巨大髑髏。その揺れに振り回されつつ、なんとかして足場の安定を図る。


「悪趣味だからやったことはなかったけど。こちらも同じ術使わせてもらおうじゃない」


「蒼馬、なにをっ」


 蒼馬は着物に忍ばせていた短刀を抜くと自らの腕をわずかに切りつけた。滲んだ鮮血をすくい取り、目の前の壁に塗り当てる。描かれた五芒星ごぼうせいを前に手の平を合わせて印を結ぶ。


 巨大髑髏の動きが止まった。


 ギギギギと骨の大きく軋む音があって、すると巨大髑髏が本丸のある方角へゆっくりと向き直った。赤子が地面を這うようなひどく緩慢な動きだが前進を始める。


「ふええ。地面があんなに遠いですう」

 

 又兵衛が尻尾を振り振り、眼窩からひょっこりと顔を出して下を見下ろす。

 

 たしかにその大きさだ、一歩一歩が相当な距離を稼ぎ移動していた。巨大髑髏が突如寝返ったように引き返したものだから、他の妖どもが困惑している。


 眞海は十以上も年の離れた少年の咄嗟の行動にただただ呆気に取られていた。


「これが傀儡の術。これが――」

 

 水の守人。

 状況に応じて柔軟に変化する思考。方術ばかりでなく陰陽術までもなんなく使いこなす術の達者。多くの知識は吸収され、その体にとくと馴染んでいるのだろう。  

 それになんという集中力だろうか。歯を食いしばって蒼馬は全身で踏み張っている。やはりこれだけ大きなものを操っているのだ。相当な力を費やしているに違いない。


 蒼馬の息が上っていく様を見つめてばかりいた眞海だったが、又兵衛の尻が横から衝突してきたことで我に返った。


 空からも小物どもが攻めてきていた。


「こんにゃろ! 食らえですう!」


 又兵衛がご主人様の邪魔はさせまいと前足や尻尾でバシバシ連中を叩き落としていた。


「……坊主こそが一番に呆けているとは。すまなかったね」


 己の未熟さを痛感すれば、眞海はすぐさま髑髏の眼窩に結界を張った。そうすればいよいよそこは鉄壁の歩く要塞となり、彼らは黒雲渦巻く天守のある方角を目指すのだった――。

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