第36話 目覚めの息吹

「いよいよ心得たらどうか。そのようなことをしても無駄、無駄」


 冷やかしの雨は一向に止む気配がない。

 複数の攻撃をかわしつつ別の作業をこなすのはまったく骨の折れることだ。それでもここで諦めるわけにはいかない。

 

 白夜は根来衆に向けてひたすら護摩符を放つ。

 ある者にはその手で直に、またある者には右手から生み出した風の矢をもって。

 けれど彼らの体から放たれる邪気に阻まれてしまい、ただの一枚も効果は発揮されてはいなかった。


「守人が聞いて呆れる。いや待て。仏道に従わざる者を無理矢理にも救済するのが不動明王であったか。ならばその諦めの悪さも宿命かな」


 絡新婦じょろうぐもの放った毒霧に風をぶつける。

 霧散して明らかとなった戦場に再び標的を見た。叢骨そうこつは器用に枝の上に腰を下ろし、盛んにさえずるからすのような風情である。


「相方が言ったはずだ。お前と問答する気はない。そろそろ仕留めさせてもらう」


「これはまたずいぶんと強気なことよ」


「お前は俺たちをはめたつもりでいるらしい。しかしそれは愚かな誤りだ」


「ほう?」


「お前は決定的な過ちを犯した。それこそこの哀れな企みに興じたその瞬間にな」


 白夜は叢骨を睨み上げた。威圧が風の障壁を生む。背後から攻めようとする絡新婦と根来衆の前に大きく立ち塞がった。


「俺がそうであるように、あの方々にとっても俺は殺せない」


「……なに?」


 白夜は懐に手を忍ばせる。同時に障壁を解除した。


「ほほほ! やはり虚勢ではないか。芸のない。何度試そうが同じことよ」


 身を翻した白夜は手にした札を素早く根来衆へと放った。

 

 絡新婦が前足をふるい、砕かれた地面が札を拒む。さらに再び吐かれた猛毒に今度は成す術もない。それでも目を凝らし、唇に挟ませた最後の一枚に息を吹きかける。

 

 息吹は風の嚆矢こうしとなり紙札を貫く。淀んだ空気中を駆け抜ける。

 

 感知した根来衆が真上へと跳び去った。

 矢は札を連れたまま速度はそのままに下降する。やがて――、


「馬鹿め、手前の使妖に当たったぞ!」

 

 木の下敷きになっていたイヅナの額に命中した。


 イヅナが低くうめいた。意識を失いかけていたところに追い打ちかと思われたが、そっと目蓋が開かれる。するとその瞳は黒曜こくようではなく、主と同じ烈火に染まっていた。

 

 はしゃいでいた叢骨が閉口する。

 余裕そのものだった表情がみるみる崩れていく。


「なんだ、これは」

 

 激しい振動に振り落とされぬように目の前に垂れた枝に手をかける。

 イヅナの体がみるみるうちに膨らみ、すると体を封じていた巨木を押し退けた。


「まさか」


 そして叢骨は悟ったのだった。


「先ほどの符……か!」

 

 気付くも時すでに遅し。

 

 覚醒した白亜の獣は強靭な鎌爪で地面を駆り、絡新婦に食ってかかった。肢体を噛み切り顎をしゃくれば、獲物の足数本を容易くもぎ取った。

 

 味わう間もなく前足で張り手をするようにして今度は叢骨の宿る木をなぎ倒す。空中に舞った叢骨を爪の間に挟むと素早く叩き落とす。


「ぐぬぅうっ!」


「異物が混じったおかげでかえって血の巡りが良くなった気がするぜえ。ありがとよお」


 剥き出しとなった牙の逞しさが今や格の違いを見せつけていた。体が巨大化したことで毒の濃度もすっかり薄まったようだ。

 

 久しぶりに本来の姿を解き放たれてイヅナは興奮したように血にまみれた涎を垂らす。それを顔面に受け止めた叢骨は瞬きすら忘れて目の前の獣を見つめる。


 が、やがて腑に落ちたように唇を解いた。


「そうか。解放符と悟られぬよう、我を油断させるためにわざと護摩符を多用していたか」


「……方々を浄化するため俺が護摩符を用いていると思ったようだが、それが通用しないことを初めに明かしたのはお前だ。しかしお前はそれを俺の諦めの悪さと認め、疑おうともしなかった。おかげでこちらは速やかにイヅナを解放する手筈を整えられたというわけだ」


 白夜はイヅナの横に立つと叢骨を見下ろす。あれほど自信に満ちた態度にあった叢骨も、今や羽をもがれ小さく丸まるだけの老鳥にすぎなかった。


「イヅナ。もういいぞ」


「ああん? まだなんにも質しちゃいねえぞ。いいのかよ」


「かまわない」


 主が「よし」と言えば目の前の餌をためらう必要はない。イヅナは顔面から食らいついた。


「うげえ。やっぱ不味いな。格好に見合って妖気もすっかり枯れちまってらあ」


 眉間に皺を寄せながらもイヅナはクチャクチャと頬張る。


「……違うな。それにはもともと妖気などなかったのだ。それは傀儡。絡新婦と同じくヤツの都合の良い依り代となった妖の成れの果てに過ぎないのだからな」


「ああん? どういうことよ」

 

 白夜は突如事切れたようにその場に崩れ落ちた坊主たちの側に寄る。

 そして一人の坊主の前で歩みを止めると、その襟元を掴んで引き上げた。


 と、その坊主の体が反射した。白夜の足を払うと林の中へ紛れようとする。しかし身を持ち直した白夜が先回りして立ち塞がる。


「おいおい。こりゃあ一体どうなってんだよ、相棒」


 イヅナは目を点にしている。


「……ほほ。さすがは風の守人といったところか。いつから気づいておった」


「イヅナが伏された後だ。俺との戦いに加わった新たな集団に一人、どうも他の方々とは違う動きをする者がいた」


「それが我であったというわけか」


「殺意を露わにし、しかしこちらが符をちらつかせれば即座に退く。しかもその逃げ足ときたら音もなく滑らか。……方々の足さばきも無駄がないが、お前の足捌きはそれに輪をかけて丁寧だ。おそらく傀儡舞に用いる足捌きなのだろう。お前自身、舞い手であったというわけだ」


 その足捌きはどこか自分と似ていると戦闘中白夜は感じていた。


 新陰流しんかげりゅうから伝えられるのは刀の用い方ばかりではない。いかなる経験も心技体を育む糧となることを悟った柳生石舟斎やぎゅうせきしゅうさいは、あらゆる要素を新陰流に採り入れていった。

 

 その一つに舞いがある。

 

 石舟斎は伊賀に生まれた能楽の祖、観阿弥かんあみの編み出した舞いの型が武術にも用いられることを確信し、その体運びをいち早く剣術に実践した。

 よってこれを学ぶ者の日頃の所作には自然と舞いの気配が滲む。

 石舟斎ばかりでなく、過去多くの武人が舞いを好んだのもこうした理由だ。


「お褒めに与り至極光栄。ほほ。やはり気品とは滲むものかな。やつらに交じったところでその性質を完全に真似ることは出来なんだか」


「その通りだ。そしてだからこそお前を見つけることが出来た、叢骨。その器の内に巣食う魂こそがお前の本体だな」


 ざわり。

 白夜の気迫が一陣の風となり林道を渡る。

 

 ひらひらと弄ばれた木の葉が舞い散る。

 その様をどこか寂し気に眺めていた叢骨だったが、


「そうよ」


 やがて観念したように目蓋を落とした。

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