第12話 夢告

「ではやはり目黒の地で暴れていたあやかしがいたのですね」


「はい。無事に掃討いたしました。またこの者との邂逅も果たすことが出来、我々にとっては大きな戦果でございました」


「そうでしたか。皆様がご無事でなによりでございました」


 沙羅姫はそう言うと膝に置いた手をぎゅっと握り締めた。


わたくしも皆様と夜を駆けることが出来たのであれば。少しは皆様のご負担を減らせるでしょうに……申し訳ございません。どうにかお役に立ちたいのに、こんな調子ですからかえってご迷惑になってばかりで」


「そんなことはございません! 姫様には夢告むこくというお力でもっていつもお助けいただいているではありませんか。お蔭で僕たちは次にいつどこに妖が現れるか、それを察することが出来るのです。また手傷を負えば地大の気をもって癒してくださり。これ以上のお力添えがありましょうか」


 ねえ、と蒼馬が同意を促すように朱門を見た。朱門が「その者の言う通りにございます」と力強く言ったから、透夜もそれにならうように「その通り」と続いた。

 

 夢告。それはたしかに凄い能力だった。

 沙羅姫は眠っている間、未来を予知するような夢をよく見るらしい。特に守人のさがなのか、江戸のどこそこで妖が暴れているという光景は鮮明に浮かび上がるらしかった。

 決してすべての災厄を予知出来るわけではない。それでも立派に役立っていることに違いはない。瀧泉寺りゅうせんじの件だって、これを夢で見た沙羅姫が跳び起きて泰葉に伝え、それを泰葉が彼らに伝えたお蔭で退治が叶った。自分たちが出会うきっかけにもなった。


「それに」と蒼馬が挑戦的な視線を透夜へ向ける。


「これよりこの透夜が懸命に励んで僕らを助けてくれるそうなので。ですから姫様はこちらで常に吉報をお待ちくださいませ」


 突然の無茶振りに透夜は助けを求めて朱門を見た。すると朱門が「その者の言う通りにございます」とまたしても力強く言ったから、なんだか裏切られた気分だった。彼女を安心させるためとはいえ、ひどい。


「まあ。それは心強いこと。……しかし透夜どの。あなた様は一昨晩にこの世へとお渡りになり、目覚めたのも今朝方ぶりとお聞きいたしました」


「どうやらそうみたいです」


「励んでいただくにもまずはお体に元気がなくては。腹が減ってはなんとやらですわ」

 

 沙羅姫はそう言うと手を軽く叩いて侍女を呼んだ。


「はい姫様。食事の支度はすでに整っております」


「ではこちらへ運んでください。難しいお話はまた後ほどいたしましょう」


「こちらでとは。姫様、我々はご一緒にはいただけません」


「朱門どの。これは守人の仲を深めるための宴にございますの」


「なんとっ……いや、しかし」


「いつも一人でいただく食事は味気ないものです。せっかく透夜どのにもお会いが出来たのです。私、楽しくお話しながら皆様といただきたいです」

 

 別に一緒でいいじゃないかと透夜は思ったが、そうだ、この時代には身分相応の振る舞いが求められていた。お姫様には侍女がつきっきりで食事の面倒を見ていただろうし、男女で一緒に食事をする感覚なんて普通はなかったのかもしれない。妖に育てられているせいか、生来せいらいの天真爛漫さゆえか、沙羅姫は普通のお姫様とは少々違うらしかった。


「それに朱門どの。本日はあなた様に是非に精をつけていただきたいと、わざわざ厨の助人にいらっしゃった方もいるのですよ。ふふふ」


「はい?」


「姫様のおっしゃる通りにございます。ご助力賜り、手前どもも大変助かりましたわ」


 泰葉が共犯めいた笑みで言うと、彼女の背後にぬらりと黒い影が降り立った。


「呼んだかあぁ」


 それは井戸の底より響いたかと思うような不吉な声だった。

 灰を被ったようにすすけた長い髪。乾ききって皺だらけの肌。つぎはぎだらけの着物。いかにもみすぼらしい姿の老婆が立っていた。

 すると老婆の瞳に狂気が宿った。泰葉を前へ蹴り倒した。


「おめえ、またオラの悪口さ叩いていたろ!」


「まあまあ。そのようなこと、私、いたしておりませんわ」


 足蹴にされているというのに泰葉はさほど気にする様子でもない。その態度がさらに老婆の激情を煽る。「狐の言うことなんて信じられるか」とさらに蹴るわ、蹴るわ。「止めるのだ」と朱門が止めに入っても老姥の熱は引くところを知らない。

 

「ちょっとお婆さん。暴力は駄目ですって」


 透夜も止めに入る。袖を掴んだ老婆といよいよ目が合った。怒りが飛び火した。


「誰だおめえは!」


「いや、あなたがね!」


「……あらあら。ふふふ。しかし泰葉も見上げたものですね。どんな仕打ちにもあのように涼しげに耐えて。ああ、これが世にいう嫁姑よめしゅうとめ合戦というものなのでしょうか」


「いえ違いますね」


 蒼馬が沙羅姫の天然発言をさばいて、そして苦悩したように頭を抱える。


「あぁ、もう! だから、どおして、みんなやつらを放し飼いにしておくんだよお!」


 騒動の後、紹介された。彼女は山姥やまんばのそぞろ。朱門の使妖しようだった。


「まったく。白夜びゃくやといい朱門しゅもんといい。変わり種ばかり連れちゃってさ。使妖は念珠ねんじゅにでも封じ込めて用がある時にだけ呼び出す。それが決まりでしょうが」


「すまぬな。ああした気性ゆえ、なかなか一所に留まってはくれなんだ」


 蒼馬が自分の手に巻いた数珠を指して朱門にくどくど説教している。

 数珠にはそんな使い道もあるのかと、後で詳しく聞かせてもらおうと思ったその時だ。そういえば瀧泉寺で化け物と遭遇した際、自分の数珠が熱くなり、不思議な光を放ったことを思い出した。


「なあ蒼馬――」


「そういえば白夜どのはいらっしゃらないのですね」


 沙羅姫がきょろきょろと辺りを見渡す。


「はい。あいつはただ今別のお役目についておりまして」


「そうですか。このような楽しいお席にご一緒することが出来ず、残念です」


 沙羅姫が本当に残念そうに眉根を寄せる。その表情を受けて朱門も蒼馬もだんまりを決め込んでしまう。泰葉が仕方なさげに笑んだ。


「あのお方は格別お忙しい身にございます。姫様。次にお会いできるその日を楽しみにお待ちいたしましょう。しかし皆様のお心にかように隙間風を吹かせるとは……うふふ。実にあのお方の仕業らしいですわ」


 朱門は火の守人。蒼馬は水の守人。沙羅姫は地の守人。そして自分が空の守人らしいから、その白夜という人は残る風の守人なのだろう。透夜はあの晩の記憶を掘り起こす。


「あのさ。その人って頭の天辺で長い髪を結わえた人?」


「そうか。あの時はあれも駆けつけてくれたからな。透夜も覚えていたか」


「うっすらとだけどね。そっか。やっぱりあの人、仏様じゃなくて人間だったんだ」


「ほう。そなたにはそのように見えたか。まあそう思うのも無理はなかろうな。風の守人、白夜。さて今はどこを吹き渡っているやら」


 朱門につられるように蒼馬も沙羅姫もそっと目を伏せる。

 束の間に降りた沈黙は優しくて、そしてほんの少し湿り気を帯びていた。


「さあさ、おめえら。なあに感傷に浸ってやがる。今宵も役目があんだろうが。さっさと食って少し休みなあ。じゃねえとオラがおめえら喰っちまうぞ!」


 唯一その場に馴染まない老婆の、物騒なのか優しいのかよく分からない発言でしんみりした空気が一瞬で掻き消された。やがて賑やかな食事が始まった。

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