第11話 その愛らしき主人は

「姫様。皆様をお連れいたしました」


「――はい」

 

 泰葉の言葉に、りんと鈴の鳴るように高い声が返ってきた。

 戸が放たれると、えんにちょこんと座って庭を眺める少女の後ろ姿がとびこんだ。透夜たちを振り向くと、ぱあっと花が咲いたような顔で立ち上がった。


「朱門どの、蒼馬どのぉ!」


 着物の裾に足が捉まった。ビタンと勢いよく少女の体が床に貼りついた。


「まあまあ」


 侍女よりも先に透夜が部屋へ押し入って手を差し伸べる。「こらお前っ」と蒼馬が声を荒げて不作法を働いてしまったのだと気づくも、今更手を引っ込めるわけにもいかなかった。

 少女がむくりと起き上がる。伏せていた顔を上げた。


「だ、大丈夫?」


 敬語が抜け落ちてしまったのは、彼女があまりに幼くて愛らしい顔をしていたためだ。白くまろやかな頬。桃色のぷっくりとした唇。目の際にびっしりと埋まった睫毛。硝子玉のように透き通った瞳――。現代と通じる少女の愛らしさが目の前には確かにあった。


「あなた様はどなた?」


「俺は……」


 しゃらん、と。少女が小首を傾げたことで、頭にあった白い花のかんざしが床へ落ちた。


「あ。まずい」


「まあまあまあ!」


 蒼馬と泰葉の困惑した声が背後で上がる。するとかんざしを拾った透夜の手が勢いよく弾かれたのだった。透夜がぎょっとして見上げれば、振り払った本人はフウフウと仔猫が威嚇するように鼻息を荒げていた。その瞳は真っ赤に染まっている。


「透夜。下がるのだ」


 朱門が再び落ちたかんざしを大事そうに拾い上げて透夜を押し退けると、お姫様の側に腰を折る。


「姫様。何卒ご無礼をお許しくださいませ」


 奇声を上げて力の限りに暴れる少女を朱門が大事そうに懐に収める。器用に左手で安心を与えるように背中を擦り擦り、右手で九字を切った。


「ハッ!」


 まばゆい光が部屋の中で弾けた。朱門が脱力したお姫様の体を仰向ける。

 長い睫毛が立ち上がる。そおっと桃色の唇が花弁のごとく開かれる。


「……私ったら。またこの身をお貸ししてしまったのですね」


「お優しい姫様に縋りたい者はあの世にも多くいるということです」


 朱門が微笑みつつお姫様の頭にかんざしを挿す。彼女が面映おもはゆそうにうつむいた。


「手前がお側におりながら申し訳ございませんでした」


「違うのです、朱門どの。私が悪いのです」

 

 そう言って泰葉をかばうと、お姫様がしゅんとうなだれる。


「泰葉。ごめんなさい。お庭に鳥さんが遊びにきた声がして戸を開けてしまいましたの」


「さようにございましたか」


「その上、先ほど転んだせいでかんざしが外れてしまい……。皆様、ご迷惑をおかけいたしました」


「御身に大事がなく、なによりにございました」


 一方の透夜はというと、騒ぎに思考がついていかず未だに固まったままだった。するとお姫様がその様子に気づいて深々と頭を下げた。


「先ほどの非礼をどうかお許しくださいませ。せっかくお手を貸していただきましたのに」


「あ、ああ。気にしないで」


 またもや敬語を忘れて透夜が弾かれた方の手をぶんぶん振ると、


「まあ大変!」


 お姫様がその手を捉えて自分の目線に持っていった。


「お怪我を。先ほど私が払ったせいにございますね」


 その言葉を受けて透夜が視線を落とせば、手の甲に赤い線が走っていた。彼女の爪が掠めたのか、かすかに血が滲んでいた。


「まことに申し訳ございませんでした」


「こんなのすぐに治るし。本当に気にしないで」


「どうかその痛み、私にお分け下さいませ」


「え?」


 するとお姫様に掴まれたそこから温かな黄金色の光が生まれた。

 手当て。その言葉の意味を思い知らせるように、彼女が患部に手を当てれば痛みはすっと引いていった。それどころか、一作晩の牛鬼ぎゅうきとの戦いで負った体中の傷跡が綺麗さっぱり消えてしまったではないか。

 目の前で起きた奇跡に透夜が言葉を失くしていると、


「姫様に直接癒していただくなんて。ほんっと贅沢なやつ」


 蒼馬が気に食わなそうに呟いた。


「……ありがとうございます」

 

 透夜は一先ずお礼を告げた。お姫様が首をわずかに傾けて微笑んだ。どういたしましてと言うように。その一連の優美な所作に透夜はどきりとした。


「君って本当に十二歳なの?」


 素直にそう質問したいところだったが、それこそ蒼馬に蹴り倒されそうだなあと冷静になって別の感想を告げる。


「素敵なかんざしですね。その花、お姫様の雰囲気にぴったりです」


 女性を褒めるなんて、これまで寿庵じゅあんの女将さんとか金物屋の奥さんとか商店街のご婦人くらいのものだった。正直に言ってどれもこれもがお世辞混じりのものだったが、このお姫様に関しては心からそう思った。

 お姫様の瞳がきらきらと輝く。透夜に顔を近づけると誇らしげに言った。


「まことにございますか。とっても、とっても、嬉しいです。このお花は私ですから!」

 

 どういうことだろうか。透夜が詳しく聞こうとすると、


「そのかんざしに施された意匠いしょう夏椿なつつばき沙羅双樹さらそうじゅより咲く、儚くも可憐な花にございます」


「お母君の形見の品さ」


 泰葉と蒼馬が説明してくれた。


「さっき見たように姫様はとにかく霊媒体質でさ。あらゆる魂が姫様の情けを求め集まってきちゃうんだよ。かんざしは元来魔除けの道具。そこで和尚が一度そちらを預からせていただいて、強力な魔除けの印を施して再び姫様に贈られたんだ」


「そうだったのか。だからさっき髪から外れて憑かれちゃったってわけか」

 

 突如として凶暴になったから何事かと焦った。もう色々とこの身に起こっているせいで耐性はだいぶついていたけれど、それでも驚いた。


「お恥ずかしい限りにございます」


「でもさ。そもそも敷地に入ってこられないようには出来ないの? ほら、結界とかでさ」


「妖なら僕らのそれも効果はあるけど、霊魂は別にそれ自体が悪ってわけじゃないからね」


「つまり効果の範囲外ってことか」


 ということは、見えていないだけで今も辺りにはお化けがあちこち漂っているかもしれないということだ。妖と違って見えなくてよかった。彼らにはそれも見えているのかもしれないが、この落ち着きぶりはもはや空気のような扱いになっているのだろうか……。


「し、しかし私がドジを踏まない限り母君と天海様はいつだって私を見守って下さっているのです。それは、とっても、とっても、心強いことなのです!」


 お姫様が必死に訴える。その仕草がまた健気で。


(ああ。天使ってこういう女の子を指す言葉なのかもしれないぞ)


 透夜がそんな方向違いな感想を抱いていると、


「と、まあ色々とあってご紹介が遅れてしまったが。透夜。このお方が地の守人、沙羅姫さらひめ様である。我らのもう一人の尊き主である。そして姫様。この者は我らの新しき仲間にございます。名を透夜と申します」


「漂う気配からもしやと感じておりましたが。やはり空の守人様でございましたね。透夜どの。ずっと、ずっと。お会いしたいと願っておりました。ようやくお目にかかることが出来ました。私、とっても、とっても、嬉しいです」


 空の守人。そう呼ばれても実感がないが、みんなの真剣な眼差しを前にして「それ本当なんですかね」なんて空気の読めない発言は今更出来ないなと思った。


「初めまして、沙羅姫様。黒須透夜です」


「ふふ。そうかしこまらないでくださいな。どうかこれから仲良くしてくださいね」


「それはもちろんっ」


「こらぁ、お前! 調子にのるんじゃないぞ!」


 結局、蒼馬から蹴り倒される未来は約束されていたらしい。


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