第9話 時を超える縁

 舗装もままならない道をもの凄い速さで駆ける牛車が一台。引き手もいなければ牽引けんいんする牛そのものもいない、こんなデタラメな乗り物を目にした人がいたら、その場で腰を抜かすに違いない。あるいは残像に目を擦り、「幻を見たか」とまずはその目を疑うはずだ。

 けれどそれはきちんと存在している。この目で確かめて、その乗り心地さえ絶賛味わっている最中の自分が言うのだから間違いない。


「すごい速さだ。自動車にも引けを取らないぞ。それにまったく揺れていない。一体どうなっているんだ? これが朧車おぼろぐるま水木みずきしげるの『妖怪大図鑑』で見たのと本当にそっくりだ。あ、でも朧月夜の晩でなくても走れるんだな。これは驚きだよなぁ」


「舌に油でも塗っているのかってくらいよく回る口だね。乗り込む時にヤツと目があって泡吹きそうになっていたのは誰だったのやら」


 物見窓から外の景色を見つめていた透夜だったが、その言葉にむっとして振り返る。


「女の人の顔がでかでかと乗り口にくっついていたらそりゃあ誰でも驚くよ。図鑑で初めて見た時もけっこうなインパクトだったけど実物はその比じゃないんだからな。すっごい怖かったんだからな!」


「なんで僕に当たるのさ。というか、、ってなにさ」


「ほほほ。新たな守人もりと様も元気の宜しいお方のようで。結構にございますなあ」

 

 狐面の男がからからと笑う。透夜の隣に座した朱門がわざとらしく咳払いする。


「それで透夜よ。我々の話も少しは理解してくれたかな」


 そうだ。お屋敷に向かうまでの時間が惜しいからと、この時代のことをレクチャーされている途中だった。

 透夜は窓から手を放す。慣れない着物だが、せめて皺を作らないように丁寧にその場に座り込んだ。


「うん。今は将軍様の一行が日光に向けて江戸を出たところで、その理由は先代家康公の七回忌があるから。それでその法事を頼まれたお坊さんていうのが、さっきいたお寺の住職さんで二人のご主人様。そういうことで合っている?」


「ああ、その通りだ」


 日光東照宮にっこうとうしょうぐう。小学生の時に修学旅行で訪れたことがある。なんといってもあの徳川家康のお墓だ。自分を馬鹿にするクラスの連中だってその名前は全員が知っているし、その功績も日本史において重要なものだと理解しているはずだ。

 そんな大物の法事を任されるなんて、二人のご主人様ときたらもの凄い人物だ。けれどなにか引っかかる。生前、徳川家康の信頼を得ていたお坊さん。死後もその息子の秀忠から絶大な信頼を寄せられているお坊さん……。


「あのさ。二人ともそのご主人様の事をって呼んでいるけれど、それって天台宗てんだいしゅうのお坊さんの呼び方だよね」


「うむ。そうであるが」


 かつてまことから教わった事だった。和尚の読み方は宗派によって違う。和尚おしょうさん、なんてテレビなんかでよく使われるが、それは禅宗や浄土宗のお坊さんに限って本当は言うもので、宗派にはそれぞれ独自の呼び方が存在する。


「呼び方が気になるかな」


 朱門が穏やかな声で訊ねる。透夜は言いづらそうにも思ったことを伝えてみた。


「将軍家の法事を仕切るくらいだから凄い人なんだと思うけど。和尚って親しそうに二人が呼んでいるから、その……実際はどんな位の人なのかなあって思って」

 

「なるほど。そういうことか」


 得心とくしんがいったように朱門が頷けば、従者の男が面越しにふっと息を漏らした。向かい側で口を尖らせていた蒼馬もその口元には穏やかな笑みを浮かべていた。


「本来は大僧正だいそうじょうってお呼びしなければならないんだけどさ。嫌がるんだよ、あの人。僕たちは孫みたいな存在だからって。『じいじと呼んでおくれ』なんて何度もお願いをされたくらいさ」


「それは……」


「先代様より《人中じんちゅうの仏》と言わしめたお方にそれはいくらなんでもと、みなで必死に説き伏せてな。せめてもと、親しみを込めて和尚とお呼びする事でご容赦いただいているのだ」


「な、なるほど。ずいぶんと茶目っ気のある人なんだね」


「まことにな」


「畑仕事も得意だし、普段はぽやぽやしているからどこぞの翁みたいな風情なんだけどね。あらゆる物事に精通していて。とにかく凄いお人だよ」


 誇らしげに語る蒼馬を見て透夜も嬉しくなった。

 大好きなものを語る時、人は誰もが無邪気に輝いて見える。それまで「絶対友達になれないタイプだ」と苦手意識が働いていたが、ひねくれ者なだけで根はいいやつのようだ。頭に被った布の合間から見える鼻筋はすっと通っていて、どこか日本人離れしている。打ち解けたら彼も自身のことを色々と話してくれるのだろうか。


 今、自分にとって圧倒的に足りないものは情報だ。

 透夜はそれを痛感していた。とにかくあらゆる情報を集めて、そして考えなくちゃいけない。無事に元の時代に戻るために。


 己の目で見て、考え、行動する。その大切さをさとしてくれた真の、あのふざけた笑顔がすでに懐かしい。今、彼はどうしているだろう。いつまでも戻らない自分を必死に探してくれているんじゃないだろうか。


「透夜。どうした」


「あっと。ごめんなさい。二人にとってすごく大事な人なんだなって、それが伝わって。そしたらなんか自分もそんな人のことを思い出しちゃってさ」


「透夜……」


「分かっているよ。くさくさしていても始まらないってこと。大丈夫。ちゃんと話を聞くよ。聞かせてほしい」


 きちんと顔を上げて二人に告げる。透夜の意思を受けて蒼馬が話を継いだ。


「大僧正は天台の僧位においての最上位。その位をいただく和尚はご公儀こうぎからの信頼も厚い。だから僕たちはどこの支配にも置かれず、和尚の命の下独自に活動が出来る。もっとも守人の存在自体がお国の重要機密。ご公儀の中でも一部の方々しか僕たちの事は知らないんだ」


「まあ妖退治の集団など、言ったところで眉唾物まゆつばものだと信じない者がほとんどだしな」


「でも妖はこうして存在しているよ。中には人を殺そうって凶悪なやつもいる」


「そうだ。そして今、大樹ご一行の不在にともない江戸の守りが手薄であるゆえ、やつらも夜な夜な活発に悪さを働いている。そこで我らも十分に警戒をしているというわけだ」


 すると次の朱門の発言によって、透夜の気になっていた事柄に一つ決着がついたのだった。


「和尚の進言によって江戸は方位除けを徹底している。千代田ちよだのお城を守るように各地の寺社が結界として機能しているのだ。だが近頃これを侵そうとするやからがいてな。そなたに出会ったのも、その結界を置く霊地の一つである瀧泉寺りゅうせんじに妖始末に向かった矢先の出来事であった」


 やはり。背中を羽でなぞられたように透夜はぶるりと身震いした。

 これまでも大物の名前は挙がっていたけれど、その人物はことさら謎めいていて、そして心惹かれる存在だった。もはや都市伝説のようにも思っていた。けれどその人はきちんと実在していたのだ。


天海てんかい大僧正」


 その名を口にすると、朱門と蒼馬が弾かれたように透夜を見た。


「透夜。その名を口にするとは。もしや知っているのか、の方を」


「そういえば僕たち和尚としか呼んでなかったよね?」


 驚いたような、それでいて期待に揺れる眼差しにきっちりと「うん」と返す。


「ほほほ。後の世の若人わこうどにまで語り継がれるとは。さすが天海様にございますなあ」


「……そっか。うん。うん。そりゃそうだよ。だって和尚だもんっ」


 蒼馬の声は喜びにかすかに震えている。


「でも深くは知らないんだ。ちょうど小説なんかを読んで勉強していた最中だったからさ。だから俺自身もすごく驚いているよ。なんだろう。こういうのを運命って言うのかな」


「まさしく不動明王様が結んだご縁だろうね」


「我らと同じくな」


 不動明王。瀧泉寺でその石像に救われたと思ったら、こんな時代にまで連れてこられてしまった。五色の守人。その集団の一人に選ばれたからという理由で。でも何故自分なのだろうか。なにか理由があるのか。それともただの偶然か。ただ目黒不動の事で頭がいっぱいになっていたところにこの事態だ。その仏様と自分にもなにか因縁めいたものを感じるのは確かだ。これについても、これから会うその人はなにか知っているのだろうか。


「あの。今向かっているのはその天海大僧正のところなんだよね」


「本来は直ぐにもお目にかけたいところなのだがな。今は国を挙げての祭祀さいし只中ただなか。それは難しいのだ」


「え。でも直ぐに知らせるって。それってこれから実際に会いに行くからってことだと俺は思っていたんだけど」


「和尚にはを飛ばしたゆえ、そなたのことは本日中にも知るところとなろう」


「式?」と首を傾げるも「あ」と透夜は口を開いた。思い当たる節があった。

 この衣装を着せてくれた後、朱門は懐から人型の和紙を取り出すと部屋の角に置かれた文机に向かってさらさらと筆でなにかを書きつけていた。あれのことだろうか。


「お寺で朱門さんが外に放ったあの動く不思議な紙。あれがもしかして式ってやつ?」


「そうだ。式神しきがみとも言うな」


「それなら聞いた事がある。陰陽師おんみょうじが使うやつだ。守人ってそんなことも出来るのか」


「守人が、というよりも天台密教の僧はみな天文や陰陽道の知識も身に付けるのでな」


「みんな使えるってこと?」


「人には得手不得手があるため一概にそうとは言えぬが、高位の僧であれば大抵はな」


「言っておくけど。守人はみいんな和尚直々にお教えいただいているからね。そこらの坊主よりずうっと扱えるんだから」


「うむ。中でも蒼馬は守人一術の扱いに長けているからな。拙僧せっそうも見習わねばならぬなあ」


「ふふん」


 変にプライドの高いやつだなと透夜は苦笑してしまう。それでもどこか憎めないのは、本当に天海大僧正や仲間のことが大好きなのだということが言葉の端々から伝わってくるからだ。そして朱門もまた兄のような眼差しで彼を見守っているのが分かる。


(ああ。いいな。まるで家族みたいだ)


 果たして自分もその輪に入れるのかという不安と、そしてほんの少しの期待が透夜の胸をくすぐる。


「そっか。じゃあさっきの式神が俺のことを知らせにいったってことだね。それじゃあ今は一体誰のところに向かっているの」


 透夜の疑問に朱門が答える前に、


「皆様、間もなく到着にございます」


 後ろに控えていた狐面の男が告げた。一行は外へ出た。

 

 目の前に入母屋いりもや造りの立派なお屋敷が構えている。お屋敷を囲うように伸びた竹林がわずかな風にさらさらと小気味よい音を奏でている。


「それで、ここはどこなの?」


大牧村おおまきむらだ。喜多院より東に位置する足立郡あだちのこおりの小さな村だ。ここはその村の端にある見性院けんしょういん様のお屋敷である」


「見性院さん」


「うむ。ただ今は病に伏されていてな。千代田城内の御殿にて養生されておいでなのだ。そこで見性院様に代わりこの屋敷を差配さはいしているのが、訳あって和尚の使妖しようでな。そしてその者がここで密かにお守りしているお方こそが、我らのもう一人の仕えるべき主にして守人のお一人である」


「ええっと……ごめんなさい。情報多すぎて全然頭に入ってこないや」


「はは。そうであろうな。まあ口で説明するよりもお会いするのが早かろう。参ろうか」


 すでに蒼馬は勝手知ったる屋敷とばかりに一人玄関口へ進んでいた。その背中を追うように透夜と朱門は続いた。

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