第52話 少年の選ぶ道

 それは天海が日光での儀式を全て終え、久しぶりに喜多院へ戻った日のことだった。


 ようやく生身の体で黒須透夜との出会いを果たすと、彼からは当然のように元の時代へ戻るための相談を受けた。


「――結論から言おう。残念ながらこの坊主にもその手立てが分からない。せめて仏のご意志を聞く機会が得られれば良いのだが、未だにその機会も訪れてはいなくてのう」


 さぞや気落ちしてしまうだろうと。あるいは自暴自棄になってしまっても仕方はないと。そう覚悟した上で天海は告げたのだった。


 少年は唇を引き結び、目を伏せた。しかしわずかに黙考すると言ったのだった。


「なら方法を探します。それが見つかる時まで、どうかここに置いてはいただけませんか?」


 まだ十四の童。泣き虫であるとも聞いていた。しかし悲報を前にして彼は毅然と頭を下げたのだった。


 正直この反応には天海も驚いた。だからこそ愚かな問いを投げてしまったのだ。


「元の世に会いたい者もおろう。何故そのように心強くあれるのかな」


 黒目がちの瞳がきゅっと丸まる。少年は少し困ったように笑んだ。


「強くなんてないです。まだ会えないんだと思うと寂しいし、今も心配させているんだと思うと、すごく、すごく、辛い。……だけど、想像してみたんです。今の俺の状況を知ったら一体なんて言うんだろうって」


 すると彼がすっくとその場を立ち上がり、胸を大きく張った。

 片手を腰に添えれば、もう片方の手でこちらを指差して言ったのだった。


「過去を体験出来るなんてお前はなんてラッキーなヤツなんだ! いいかぁ? 有名人に会ったらちゃあんとサインをもらっておくんだぞ。家宝にするんだから。それでこっちに戻ってきたら歴史の真相を色々語ってくれよお?」


 声音を変えていたから誰かの真似をしていることは明らかだった。

 

 少年がふっと息を漏らして、懐かし気に笑む。


「……そんなふうに羨ましそうに言うんだろうなって。そう、思ったんです。そんな呑気な親がどこにいるんだって話ですけど。でもそういう人なんです。俺の……親父オヤジは」


 強がってもいただろう。けれど心からの言葉であることは十分に伝わってきた。


「そなたの心根が真っ直ぐであるのは、どうやらお父上のお蔭のようだ。透夜よ。大事に、大事に。育てられたねえ」


「……はい。危険な目に遭う度、この数珠が助けてくれました。そしてその時、あの聞き慣れた声も必ず聞こえてきたんです。離れていても背中を押してくれている。それを感じるから。だから俺、諦めません。自分の目でもっと色んなものを見て、そして考えます。どうしてまだここに自分がいるのか。……それに一人じゃないって。今はそう思わせてくれる人達もいるから」


 そう言って少年が後方に目配せすれば、障子戸の奥から複数の足音が漏れた。

 少年の今後の在り方を心配する仲間の緊張する様が透けて見えるようだった。


 天海は愉快とばかりに肩を揺らした。


「ほっほっほ! のう透夜。この坊主もちゃあんとその一人として勘定に入れておくれよ?」


「そう言ってもらえて嬉しいです。光栄です。ありがとうございます」


「もはや我らは家族も同然。そうかしこまらないでおくれ。……おお。そうだあ。この坊主のことは、これよりと。そう呼んでおくれ」


「はは! 天海大僧正をじいじなんて呼ぶ中学生は後にも先にも俺だけなんだろうなあ。すっごく魅力的な提案ですけど。でも俺、口きいてもらえなくなっちゃいそうだからなあ」


 はて誰に。訊ねるよりも早く障子戸が勢いよく開け放たれた。


「こらぁ、透夜! あんまり調子にのったらただじゃおかないからな!」


 荒ぶる蒼馬を羽交い絞めにする朱門と白夜が「申し訳ありません」と言うように愛想笑いを浮かべていた。

 

 天海は透夜と目を合わせると互いに噴き出した――。






 そんな愉快な思い出から目覚めるように天海は目蓋を開く。


 視界いっぱいに広がる青。

 雲一つないそこに無限の可能性が示されているようだった。


 そうだ。それはきっと天啓だったに違いない。


「眞海よ。ただ今ご検討いただいている上野うえのの件と併せ、彼らが敷いてくれた結界についても大樹に相談してみようと思うているのだが……そなたはどう思う?」


「それはけっこうでございますね。上野に鬼門避けの寺社を創建し、更には守人の加護を宿す各不動尊がご公儀より正式な名を頂戴し、人々から信仰を集めることが叶えば、江戸の守りはさらに盤石となりましょう。私も賛成にございます」


「そうかい。ならば我らにはまだまだやることがあるねえ。手伝ってくれるかな」


「もちろんにございます。いずれも叶えてみせましょう」


 そんな会話を経て数年の後。

 上野には寛永寺かんえいじという新たな寺院が創建されることとなる。

 そして守人が成した結界もまた『五眼不動』という名でもって各不動尊が整備されていくわけだが、それは次代将軍家光の功績として後世まで語り継がれることとなるのだった。

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