第51話 天海の覚悟
そして梅雨も過ぎた。
銀色の日差しに各地の新緑は燃えていた。青空の下、耳を澄ませば、喜多院の境内からはすでに夏の虫声が響くようになっていた。
「千代田城は新たな天守の建設がお決まりになったそうで」
隣に座した弟子の
「再びのご普請により、江戸はさらに美しくなろうのう。ほほ。あの子たちが暴れてくれたお陰かな」
そう冗談めかしてみせたが、実際は事後処理に苦労した。
あの晩の記憶は誰もが曖昧で、悪天候を目にした者も誰一人としていなかったから、公儀からは「天守に甚大な損害を与えた落雷は実は妖のせいであったのでは」としつこく見解を求められたし、その度にすっとぼけるのは、なかなかに心苦しかった。
しかし大事なものを守ってくれた彼らを守るためだ。こればかりは仕方ない。
「しかしこ度の騒動。大久保家の遺児による仇討ち計画にしては、随分と周到であったように思われます。相手方はご公儀と我々の動きを完全に把握しておりました。それに」
「小田原の件だね」
「はい。天守に捨て置かれていた人型の
「正しくそのものであった、かな。ほほ。……土御門家かぁ。我々はとんでもなく厄介な方々を敵に回してしまったということだねえ」
土御門家といえば陰陽道に優れた一族だ。
一方で武家とも関わりが深く、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、時の権力者に上手く取り入り、確固たる地位を築いている。
先代家康に至っては陰陽道宗家と認め、将軍宣下の為に参内した際は一族を
そんな土御門家が陰で動いた。
となれば、その指示を出したのは間違いなく朝廷ということになる。
幕府が国政の実権を掌握してしまった今、天皇家はいわばお飾りの存在にすぎなくなっている。この状況を快く思わないのは道理だ。ならば今回御坊に力を貸した真の黒幕とは彼らかもしれなかった。
江戸の結界を弱らせ、城に攻め入り、将軍の後継を消して。そうして東が総崩れになったところを権力を奪還しに攻めかかる。
そんな筋書きのために御坊や幕閣、そして西国の妖たちさえも利用したのかもしれなかった。
「和尚。これは警告かもしれません。これ以上天皇家をないがしろにして徳川家が国を動かせば闇と手を結ぶことも辞さないと。相手方はそういった考えなのかもしれません」
「それは穏やかではないねえ」
「阿部家の面目の為、我々が一連の騒ぎをご公儀に報告出来ないことを見越した上で、あのように大胆な挑発行為に出たとも考えられます。……
「そんな彼らが耐え忍んで保ってきた均衡。それを我々の存在が脅かしたと」
「……そのように考えているのやもしれません。神仏の加護を得る五色の守人が江戸に在る今、これに対抗する
眞海の見解にふむふむと頷きつつ、天海はその場を立ち上がった。
欄干の手摺りに掴まると空を仰ぐ。
「しかしのう。もう遅いのだよ。大樹はすでに大納言(家光)様を後継者にお選びになられた。来年にはともに京へ御上洛なされよう」
「将軍宣下のためにございますか」
「むろん。つまり我々は自ら敵地に乗り込むようなもの。今より備えておかねばなるまい。あの子らにもまた苦労をかけることになるだろう」
そう苦々し気に説いてみせたが、しかし天海の覚悟はとうの昔に決まっていた。
徳川家を盛り立て、必ずや太平の世にしてみせる。
そのためであれば、純粋に自分を慕ってくれる子供たちであろうとも戦の道具として何度でも利用する。
坊主に有るまじき考えであると自覚はある。しかし民草が戦で血を流す時代へ逆行することはあってはならないのだ。絶対に。
「……さようでございますか」
師の背中を見上げて、その覚悟を悟ったのだろう。眞海はそれ以上深くは聞かず、話題を変えた。
「して彼らは今日はいずこへ?」
「おお。その御坊という者の墓を訪ねるといって出て行ったよ。あの子が言い出してねえ」
「……本当に優しい子です。先日は根来衆の骸を弔いに宇都宮や小田原にも出向いたとか」
「つくづく不思議な子だよ。……白夜がね、言うていたよ。あの子が自ら生み出した剣を振り下ろせば、天より裁きの雷を戴き、彼の者の因果を見事に断ち切ってみせたと。そしてその魂を無事天界まで送り届けたと」
「空の守人は守人の中でもとりわけ異質な存在ですね。未来より訪れし平和の申し子、か。……和尚。彼を今後どうなされるおつもりで?」
「こ度の危機が去れば無事に元の世へ戻れるものと信じておったようだ。しかしあの子はまだこの坊主の傍らにある。つまりお役目はまだ終わっていないということだろう。ならば後見としてひたすら見守るだけがこの坊主に出来ることよ」
「しかし帰る当ても外れてしまい。相当堪えているのではないですか?」
「うむ。私もそれを心配していたのだがねえ。他の者たちが支えとなってくれているようだ。寂しさは時折胸を締めるだろうが……大丈夫さ。あの子は、強い」
すると天海は目蓋を落とし、先月の少年とのやりとりを思い出すのだった。
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