第48話 迦楼羅炎舞

 雷鳴が唸り、吹き荒れる風が終焉を歌っている。

 

 篠突く雨に打たれて、御坊おぼうの焼けただれた肉体は熱を逃がすように外へ外へと蒸気を放っていた。それはまるで彼自身の煮えたぎる闘志を空に表すようだった。


 同胞はみな果てた。けれど終わったわけではない。

 この胸に憎しみのある限り、復讐は続くのだ。


 彼の肉体は江戸城の遥か上空で粛々と再生を始めていた。

 これよりこの姿を目撃した人々の恐怖が更に彼に力を与えることになるだろう。当初の目論見は外れたが、何も問題はない。


 だからこそ彼はその瞬間を待った。

 眼下に広がる町中を人々が逃げ惑う様を今か今かと待ち望んだ。

 

 しかし奇妙な事に、この嵐の中にあって誰一人として外へ様子を見に起きてはこなかった。

 

 番衆がこの状況に声を上げないわけがない。

 そもそも眼下に明かりが一つもちらついていないのは何故だ。


 苛立ちを募らせた御坊は、自分という存在を示すように咆哮をかまそうとする。

 

 

「そこまでです」


 激しい風雨の中にあって、その声は警鐘のごとくはっきりと響いた。

 後ろを向き直る。

 

 雲を蹴散らし現れたのは、必死に翼をはためかせる巨大な鳥――と、その背に跨った黒髪の少年だった。


「残念ですが江戸の人たちはみんな深い眠りに就いています」


 いつの間に現れたのだろう。少年の横にも宙を漂う存在がある。凶暴そうな窮奇きゅうきを従えてこちらを牽制する若武者。


(あの者は徳川の……)


「ケケケケ。人間の恐怖を食らい丸々肥えようったって、そうは問屋が卸さねえってな」


 現れた彼らから湧き上がるそれは、一方は静かに燃える白妙しろたえの炎。もう一方は禍々しいほどに燃え盛る赤黒き炎だ。


 それだけで目の前に現れた彼らが何者であるかを理解するには十分だった。


「五色の守人か。ここまで追ってくるとは。見上げた執念じゃのう」


「それはお互い様だろう」


叢骨そうこつの気配が我の中から消えた時、仕留め損なったことは理解したが。よもや新たな結界を施してこようとはのう。……どこまでも邪魔をしてくれおって。我の宿願が果たされるまであと一息というところであったのに。ええい、こざかしい童どもめ!」


 激昂から一転、御坊は愉快げに口の端を歪める。


「そうじゃ。お前達の上等な肉体と魂。取り込めば常人の幾倍にも力が湧きそうではないか。……我のため、その身を捧げてもらおうかの」


 黒髪の少年が頬にかかる雨雫を無造作に拭うと両手を広げる。

 首をわずかに傾げた。


「はい、どうぞ。……なんて、そんな風に命を安売り出来ると思いますか?」


 雷が少年の背後に閃く。


 少年の輪郭が閃いたその瞬間、確かに少年の背後に別の者の気配を見た。

 霊魂よりもよほどはっきりとした存在感を示し、しかし決して触れることの出来ない尊い者の気配を。憤怒した顔がたしかにこちらを睨んでいた。

 

 それにだ。彼が従えるあの奇怪な鳥妖。

 主人と同化したように禍々しい炎を全身に纏っているが、その姿はさながら伝説の霊鳥、金翅鳥こんじちょうのようだ。

 いや。この少年が仏の使いだというならば、この鳥は正しく本物の――。


迦楼羅天かるらてん……」


 認めたくはない。けれどこの身が震えてしまう。

 こんな童に臆しているというのか。


「あぁああああああぁ!」


 御坊はその可能性を全力で否定するようにして、その身に生やした大きな腕を振り回す。

 

 黒髪の少年を乗せた霊鳥が「あべべべ」と奇声を発し、急旋回すると攻撃をひらりと交わす。


「おおお、おっかないのう。本当に本当に大丈夫なんじゃろうなあ」

 

 再び雷鳴。今度はよほど近い。

 黒髪の少年が霊鳥の背に立ち上がる。右手を広げた。

 

 その手には少年が扱うには少々大きめな剣が握られている。


「安心してください。この剣があなたの苦しみを断ち切ります」

 

 どこから出したというのだろう。少年が剣を斜に構える。

 すると黒髪の少年の華奢な体が炎に揺らめいた。

 

 剣の重みによろけたのかと思った。

 しかし次の瞬間、少年の気配が完全にそこから消えてしまった。

 

 御坊は急ぎ周囲を見渡す。

 風の守人と使いの窮寄もその場からいなくなっているではないか。

 どこへ行った。左右に少年たちの気配はない。

 

 それであればと上空を仰ぐ。

 と、視界を艶やかな朱色が走った。

 

 気づいた時には左腕がほぼ断ち切られていた。反射的にのけ反ったため一刀両断されることはなかったが、傷口からすでに炎の浸食する気配がある。


 黒髪の少年が己の背を軽やかに踏みしだき、宙へと翻る。その大きな剣を構えれば真っ直ぐに振り下ろす。

 

 であれば、見切るのはそう難しいことではなかった。大剣だ。間合いが長い。


「こわっぱがあぁあああっ!」


 御坊はこの時すでに一つの選択をしていた。


はくれてやるっ)


 残りの肉片を断たれて左腕が宙に浚われた。その隙に半身を捻る。残された腕で少年の細腕を捕らえた。


「透夜!」


 握り潰せばキシキシと骨の軋む感触。

 黒髪の少年の血反吐が御坊の手元を染めた。


 風の守人が窮寄の背を蹴るとともに抜刀する。こちらに切りかかろうとする。

 御坊は黒髪の少年を掴む手を力の限り振り回す。


「……くそ!」


 口惜しそうにも風の守人が後方へ退く。仲間を盾に取られてしまえばそれも仕方がない。それこそが人間の《弱さ》なのだ。


「ハハハハハ! 成す術なしじゃなあ」


 高笑いしながら風の守人を見下ろす。

 すると、


「そんなこともないですよ」

 

 慌てて視線を移した。

 残された肩の先になんと黒髪の少年が立っていた。


「馬鹿な!」


 この手に握っていたはずの童がなぜ自分の肩にある。

 黒髪の少年は口内に溜まった血を吐き捨てると、目を細めて乱暴に口元を拭った。よろめきながらも剣を再び構える。


(たしかに捕えていたのだ。この手に。なぜ消えた)


「幻を捕らえていたとでもいうのか……」


 しかし少年はたしかに傷を負っている。

 けれど今見えているそれすらも幻かもしれない。

 彼の中で夢幻の境が曖昧になっていく。

 

 すると風の守人が至極当たり前といった表情で告げたのだった。


「それがだ」


「……なんじゃと」


 理解が追いつかない。けれど考えている暇はない。切り裂かれた部位から妖気が漏れていた。それに釣り合ってこの身を食らう忌々しい炎が勢いを増していく。




ヤメロ。ヤメロ。

キエル。キエテシマウ。




「あああぁああっ」


 御坊は身悶える。

 剣を構えた黒髪の少年がもう片方の手を刀身に沿わせる。


「闇、一切を食らえ。黒龍」


 少年の手にある念珠が光れば、その光を吸うようにして刀身を這う龍が少年の腕に巻き付く。そして少年は再び目の前から呆気なく消えてしまった。


 閃いた雷を合図に唐突に始まった演舞。

 それは剣舞。相手に一分の隙も与えず刃を散らす勇壮なる舞い。

 雨風を囃子はやしに、雷鳴をつづみに、少年は踊る。

 炎をその身に纏って。


 御坊は圧倒されたようにじりじりと後ろへと押しやられた。

 そこへ待ち構えていたように窮寄が控えていた。

 

 窮寄は牙を剥くと、低く唸り、尾っぽを全力で前へと放った。

 

 そして再び少年の舞台上へと戻されようとしていた。

 けれどそこになびいていたのは射干玉ぬばたまの髪ではなく、白髪。

 

 間近に見る青年の瞳のなんと冷たく研ぎ澄まされていることだろう。

 けれどその両手はいまだ腰の辺りをだらりと垂れている。

 宙を漂う無防備な体は雲さながら風任せ。


「……馬鹿めっ」


 ともすれば形勢逆転の兆しだった。


 御坊は勝機を見出すと体勢を変化させた。残る妖気を振り絞り、突出した背骨の周りに力を入れる。皮膚が千切れそうに伸ばされて、再び醜い翼が広がった。

 窮寄より得た速度をもって白髪の少年へと迫る。

 残された右腕を振り被った。


「……斬釘截鉄ざんていせってつ


 空中で身を深く沈めていた風の守人。その刃が左側より素早く回り込んだ。

 切り付けられた痛みはない。しかし右腕に白い炎が螺旋状に絡みついていた。


「ええい、離れろ!」


 右腕を這う忌々しいそれを消すように翼をはためかせようとしたが、薄い皮膜はすでに赤黒い炎に呑まれていた。

 

 二色の炎が己を競うように食む。

 直下より突如吹き荒れた風に突き上げられるようにして、御坊の燃える肢体は打ち上がった。さらに上へ、上へと上り詰める。


 するとそこは正しく彼の目指していた境地だった。

 誰にも縛られない、虐げられない世界。

 けれどそこは文字通り「空」だった。

 茫漠たる闇が広がるだけの、伽藍がらんとした世界。

 孤独の極地。


 修羅となって初めて気が付く。

 溢れ出す感情の実に人間らしいこと。

 解放感。そしてその後に押し寄せる圧倒的な空しさ。寂しさ。

 それが彼がまだただ一人の人間であった頃の記憶を呼び覚ます。


「ああ……」


 真実を暴かれて、しかし引き返すことなど到底出来はしなかった。


「皮肉じゃなあ」


 さらに高みから、霊鳥に跨る黒髪の少年がこちらをじっと見下ろしていた。

 他愛もない様子でふわりとその背から飛び降りて、自分目がけて落ちてくる。


 少年が剣をかざした瞬間、刃先が雷をいただき、目を焼くような光が爆ぜた。

 

 脳天を痺れるような痛みが襲って。

 そこで彼の意識は途切れたのだった。

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