第54話 褒賞と代償と

 それは白夜が本多正純に会いに出羽国へ赴いた日より一週間ほど前のこと。

 透夜たちは喜多院を離れ、ある一家の引っ越しの道中を見守っていた。


「あの輿に乗っているのが宇都宮の新しい城主様か。俺とほとんど同い年なのに立派だよなぁ」


 小山宿へと続く林道の斜面から長い行列が見えていた。

 徒立かちだちの女子供から騎馬武者まで。大勢の人が列を成して眼前を流れていた。


「ああ。そしてその後ろに続いておられるのが加納の方だ」

 

 横に立つ朱門が説明してくれる。

 すると透夜の肩に乗っていたムジナが頭の先へとよじ登り、顎を垂れた。


「派手派手じゃのう。とても出家した尼さんが乗っている輿とは思えんわ」


「あの方は特別なんだよ。なんといっても先代様のご息女だ。将軍様だって頭が上らないんだから」


「こら蒼馬。めったなことを言うものじゃないぞ」


「だって本当のことでしょうが」


 背後の木に背を預け、蒼馬は面白くなさそうに唇を尖らせている。


「上野介様が出羽へ流されて、宇都宮には奥平家が戻って――。今回の騒ぎ、みんな苦い思いを味わった中、得だけしたのって結局この方々だけじゃない」


 いつもより毒づいて見える。

 透夜には彼の不機嫌な理由がいまいち分からなかった。


 するといつから話を聞いていたのだろう、そぞろが蒼馬の背後の木の陰からぬらりと現れた。


「まあお前さんが言いたいことも分かるさ、水の守人。あの女乗物おんなのりものから高笑いが聞こえてくるようだ。徳川家の為、本多家がせっせと修繕重ねて立派にした宇都宮城をやつらはタダで頂戴するんだ。宿敵を葬っての凱旋。さぞや喜んでいるだろうよ」


 そぞろの皮肉に肯定も否定もせず、蒼馬はただ行列をぼんやりと眺めている。


「……ずいぶんと遅い出発だったからな。今日はいいところ小山おやま辺りまでだろう」


「そうだろうね」

 

 朱門の推測に蒼馬が答えると、突然、透夜の頭がふわりと軽くなった。

 目の前で華麗に着地を決めたムジナが前のめりになって街道を熟視する。


「むむむ! あの影は……」


 ムジナが鼻をひくひく言わせたものだから、透夜も目を凝らす。

 すると行列の周りをうろちょろする集団を見つけた。


「おうい。透夜の兄貴い~」

 

 人波を上手い具合にすり抜けてこちらまで駆け上がって来たのは、あの元気印たちだった。


「やはりお前たちであったか。なんじゃ。なんじゃ。今日は連れがいっぱいおるのう」

 

 小鬼の兄弟にムジナが声をかける。

 三匹の後ろには同じ容貌の集団が連なっていた。彼らの仲間だ。


 透夜たちの前に横広がりになると、小鬼の集団は一斉に大きな頭を垂れた。


「兄貴たち。お勤めご苦労様でーす!」

 

 声を揃えてまるで任侠映画のようなセリフを吐くと、みんな体をもじもじ言わせる。


「透夜の兄貴。いつぞやの褒美を戴きに参上したんだもんよう」


 一つ角の小鬼が弾けたような笑顔で短い両の手を前に差し出す。


「んだんだ」


「オイラたち一族のおかげで江戸の危機は去ったんだもんナ。これ間違いない。そしたら今日、天海の大親分がこの辺りで兄貴たちを待っていれば褒美をくれるって。そう言っていたんだナ。これ間違いない」


「え。天海大僧正が?」


 んだんだ、と三匹が頷く。他の者たちも揃って頭を揺らす。

 というか、いつから天海大僧正は彼らの大親分になったのだ……。

 

 状況が呑み込めず、透夜は蒼馬と朱門に目配せをする。

 なにも聞いていないのは二人も同じらしい。頭を振っている。


「どういうことだろう」


 すると彼らは更に詰め寄るように一歩前に出て、「さあ頂戴」と目を輝かせる。

 

「ええっと……」


 たしかに江戸に結界を張る際、彼らの力をおおいに頼った。

 

 一族秘伝の「眠り砂」をありったけ江戸中にばら撒いて人々を眠りに就かせ、その間に自分たちは事に当たった。そういう理由わけだから彼らの功績は確かに大きい。三匹が「ばば様」と呼ぶ森の長に透夜が掛け合って協力を得たのだ。

 喜多院に集結した妖たちの足を総動員してやってのけたのだから、江戸の人々を恐怖から救ったのは真の意味では彼ら妖ということになる。


 けれど自分たちは今、彼らにこれといってあげられる褒美を持ち合わせてなどいなかった。


「天海大僧正はなんでそんなことを言ったんだろう」

 

 突然降って湧いた難問に三人が首を捻っていると、

 

「ひいっひっひっひ! やっぱりただの坊主じゃないねえ!」

 

 そぞろがその場で腹を抱えて笑い出した。


「なにが言いたい。そぞろ」


「水の守人の言う通りってことさ。今回、お前たちも含めてみいんな苦労を味わったんだ。ならばここは平等に痛み分けってことなんだろうよ」


「うぬぬ。どういうことじゃ?」


 ムジナがそぞろに嫌々にも声をかける。


 と、朱門と蒼馬が「あ」と真顔で一音こぼした。

 蒼馬が八重歯を零してにやつくと、朱門は眉間を指先でつまんで項垂れる。


「和尚。この坊主に見逃せとおっしゃるおつもりですか……」


「ふふっ。まあいいじゃない。全財産持ち出しているんだ。ちょっと失敬されたくらいじゃびくともしないよ。どうってことないない」


 二人がわけの分からない会話をしたかと思うと、蒼馬がしたり顔で三兄弟に近寄って耳打ちする。


 三匹の零れそうな瞳がさらに見開かれる。ぶんぶん頷く。


「わあい」


 三匹が斜面をコロコロと転がり出した。後ろの集団もそれに続く。

 

 そうして彼らがお得意の粉を撒いて突撃すれば、行列の最中にあった人々は眠気に襲われて一人、また一人とその場に沈んでしまった。爆睡を始めてしまう。驚異的な速さでそれが前後に広がれば、小鬼たちは荷駄を漁り、食い物やらお宝を物色し始めたのだった。


「なるほどのう!」


 ムジナもその恩恵にあずかろうと意気揚々と参加しに行ってしまう。

 彼らを止める隙を逃した透夜は、目の前で繰り広げられる奇妙な光景を前に「どうしたらいいの」と仲間の様子を窺う。


 いつもなら妖の悪戯を見つければ即方術で蹴散らしてしまう蒼馬はにやにやしながら傍観していたし、朱門は目も当てられないというように額を手で覆っていた。

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