第55話 踏み出す一歩

 そしてその日の夕刻。

 目覚めた奥平家の行列は無事小山宿につき、翌日には宇都宮へと入った。

 

 荷が軽くなっていれば野盗に襲われたかと一家は恐怖したが、その記憶は誰もが曖昧だったから首を捻るしかなかった。しかし加納の方の「かまいやせん」との鶴の一声がかかれば、家士たちはほっと肩を撫で下ろしたのだった。

 悲願の宇都宮復帰を果たせば、加納の方にとって家財道具や食糧が多少盗まれたくらいは瑣末事さまつじだったようだ。

 

 そうして宇都宮城では何日も何日も宴が続き、城下も奥平家の出戻りを喜ぶ町民たちで芋を洗うような混雑が続いた。

 

 また罪を許された堀利重ほりとししげだ。

 彼は幕府より新たに常陸国ひたちのくにに一万石を賜っていた。しかし、


「ぜひとも孫(忠昌ただまさ)の後見に」


 そう加納の方に懇願されていれば幕府から正式な命が下り、若き宇都宮藩主の補佐役として今後も奥平家の下に留まることが決まったのだった。



 そうして活気に溢れたのは宇都宮ばかりではなかった。

 小田原もまた城下町としての機能をすっかり取り戻していた。

 不気味な現象が立ち消えた今、大路には商人が復帰し、街道をゆく旅人の往来で賑やかな声が絶えず空に響いているという。

 

 ただし元気になったのは元よりそこに暮らしていた人々であって、国を仕切る肝心の阿部家はというと、反対に日に日に神経を擦り減らしていた。


 蒼馬と眞海の働きによって騒ぎが静まったのはいい。けれど実際何人もの家臣が城内で謎の失踪を遂げてしまっていたのだから、これは城仕えする者にとっては怖くて仕方がない。

 土地神が復帰して戦いの傷跡が癒えた領地であったが、祭礼を終えて日光から戻った藩主阿部正次あべまさつぐにとって、以前のような居心地の良さはさすがに感じられなくなっていた。


「小田原は荷が重すぎる。別の地に移る機会はないものか」


 今回の件で気後れした正次が常々ぼやいていれば、翌年の五月、幸運にも武蔵国岩槻への移動の話が舞い込んだ。正次はもちろんこの機会に飛び付くこととなる。

 阿部家はわずか四年で小田原の地を去り、小田原城はといえば、再び城主のいない番城ばんじょう時代へと突入するのだった。

 

 しかし運命の悪戯か。はたまた御坊の願いを仏が聞き届けたのか。

 その後、七十余年の歳月を経て赦免しゃめんされた大久保家の子孫が幕府よりこの地に封されると、藩の団結はさらに増し、その統治は明治維新まで続くこととなるのだった。




 そうして様々なことが移ろいゆく中で、五色の守人はといえば相も変わらず夜な夜な江戸の町を見回っている。

 

 あの騒動で一度は大人しくなった妖たちだったが、再び人々を困らせる者もいれば、妖同士で小競り合いを起こすこともよくあった。沙羅姫の夢告を受けて、江戸の各所へと繰り出す仲間の後を透夜も必ずついて回った。


 もう腹を決めていた。


(この時代に留まる以上は得られるものは全部得る。そして元の時代に戻る方法を必ず見つけてみせる)

 

 そう意気込んでいた。


「俺さ。みんなに聞いてみたいことがあったんだ」


 透夜がふと切り出せば、前を行く三つの頼もしい背中が振り返った。


「俺が未来から来たってことをみんなは直ぐに信じてくれたけど。でもその未来につ

いては誰も訊ねてこないでしょう? この後どんな事が起こったのかとか、未来はど

うなっているんだとか。みんなはそういうのって気にならないの?」


 訊かれたところで馬鹿正直に答えることも出来ないくせに、気になってしまうのだから人間とは厄介な生き物だ。


 すると朱門と蒼馬と白夜が顔を見合わるなり軽やかに笑んだ。


「我々がそなたになにも訊ねないのは簡単な理由だ」


「ええっと?」


「そなたを見ていれば訊ねずとも分かるからだ」


 なにを。そう聞き返すより早く、朱門の視線が透夜の足元から頭の先に向かって這い上がる。


「すらりと伸びた手足。飢えを知らぬ健やかな体。なにを憚るでもなく堂々と己の意見を放つ口。心の底から笑い、怒り、涙するそなたが――、そなたのような童が、この先の世に在るのだと分かれば多くを訊ねる必要などない」


「ま、僕や白夜の姿を見ても怖がったり侮蔑の目を向けることも無かったしね」


「ああ。きっと来世はどこまでも自由であるのだと。透夜。お前を見ているとそう感じる。それが俺たちにとってどれだけ救いであるか。これを伝えるのは中々に難しいことだな」


「兄者……」


「さて。そろそろやつらの陣地だ。気張れよ」


「今日もビシバシ鍛えてやるからね!」


 そう言って彼らはさっさと駆け出していってしまう。

 

 こんなふうに置いて行かれないようにすることで今は精一杯だ。


(だけど。だけどいつかは――)


「俺もまともに役立てるようにならなくちゃだよな」


「うむ! よい心がけじゃぞって、ほれ。手柄を横取りされる前に行くぞ!」


「いや競争じゃないんだけど……」


 ムジナがいつもの定位置から飛び降りて、透夜をキッと睨んだ。


「よいか透夜。お前がまだここにおるのは真の役目を果たしていないからじゃ。それを忘れるな」


 的を射た発言を突然してきたものだから透夜は驚いた。


「ムジナ」


「よいか。わあにかかった忌々しい封印を解くために真名を奪った人間を探すこと。これこそがお前の真の役目じゃ。せいぜい頑張って探し出すんじゃぞ!」


「……それは絶対違うと思う」


 そういえばそんな事も言っていたなと透夜は思い出したが、直ぐにも関心事の範疇から消えてしまう。


 ただ、ここに自分がいる意味を考える。

 

 きっとこれから彼らと紡ぐ日々の先にその答えがあるのだろう。

 ならば、今はひたすらこの足を前に進めるだけだ。たっつけ袴に履き慣れたスニーカーを合わせたこのちぐはぐな格好で、この時代を駆けるしかないのだ。


「まあいいや。それじゃあ行くぞ。ムジナ」


 その手にある数珠を一撫でして、透夜はムジナとともに仲間の背中を追った。



(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

五色の守人 御田義人 @mitayomitayo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ