第23話 死闘の果てに

 キリキリと。鋭利な切っ先が喉元の皮膚を裂かんと音を上げる。しかし赤黒い炎を宿した鋼の意思も相当なもので、それを押し返すように相手の喉元へと迫る。


「ケケケ。面白え。しかしまたどういったカラクリだあ? その念珠が光ったと思ったらが俺様の刃を受け止めやがった。おい。どっから出した」


「それはこっちが聞きたいね」


「ん、お前の意思で出し入れしているわけじゃねえのかい? たしか力に目覚めたのはつい最近だって話だったか。すると……ああ、あれだ。ってやつだろ」

 

 鎌鼬は馬鹿にしたように「ケケケケ」と独特の引きつった笑いを上げる。


「そうかもしれない。で、お前こそ熱くはないのかよ。炎に食われているんだぞ」

 

 激しい押し合いの中、互いの正体を探る。たしかに自分が剣を握っているこの状況も理解に苦しむが、鋼を伝う炎に体を呑まれても平然としている相手の状況も理解が出来ない。牛鬼という妖はこの炎にひどく苦しんだというのに。


「何故燃えねえって顔しているなあ。不思議かい?」


「そりゃそうだろう」


「じゃあどうしてか考えてみてくれや。俺様が何者だか知りたいんだろう?」


 余裕綽々しゃくしゃくの鎌鼬。その体の上を黒炎が行き場を失くしたように流動する。


「ほう。これが空大の気か。たしかに得体が知れねえなあ。方術としてモノに出来たなら、さぞやあらゆる可能性を秘めているんだろうよ。が、よりにもよってこんな平和ボケした小僧ガキに渡っちまうとは。世も末だねえって、世も末だからお前が遣わされたんだっけえ?」


「……残念だけど言葉遊びしている余裕はないんだ……俺にはねっ!」

 

 輝く数珠から力が湧き出るようだった。この手に現れた瞬間は剣の意思で一撃を防いでくれたようだが、今は確かにそこに自分の意識が重なっている。それを感じる。

 透夜は柄を強く握り直すと、渾身の力で相手を薙ぎ払った。後方へ弾き飛ばされた鎌鼬が木にぶつかるすんでで体勢を整え、地面に着地する。


「あぶねえ、あぶねえ。……へえ、やるじゃねえの」

 

 火が点いたとでもいうように円らな瞳が烈火に染まる。その場から消え去ると縦横無尽に辺りを飛び交う。


「まぁた防戦一方になってんぞお」

 

 時折しかけられる攻撃を受け止めることに必死で、こちらから切りかかる隙がない。「ほれこっちよ」とか「そうら、次はこっちだ」などとおちょくる声が四方八方から飛んでくる。本体が剛速球のような暴力の塊なのに、その上ヤツのまとう風も容赦なく皮膚を裂いていくからたまらない。


「前回とはてんで動きが鈍いじゃねえの。これこそがお前の真の実力ってわけかい。なるほど。てめえを鍛えろってことだなあ!」


 鎌鼬が高笑いを連れてようやく地面に舞い戻る。一頻ひとしきり笑うと、


「ふう。しかし俺様そろそろ飽きてきたぜえ。ここらで仕舞いとするかねえ」


 再び低い声に戻って告げる。不吉な気配を感じて透夜は剣を正眼せいがんに構え直す。

 鎌鼬がその場で宙を蹴るようにして旋回する。すると回転力はいや増して螺旋状の風を生んだ。最初の旋風など比較にならないほどの猛威。辺りの木々が悲鳴を上げて身をしならせる。


「おい、冗談だろ」


 あれに呑まれたらどうなる。粉々に切り刻まれるに違いない。怖い。逃げなくては。でもこいつが悪い妖だとして、ここで逃げてしまったら次はお寺がめちゃくちゃにされる。けれどお寺には朱門さんがいる。大丈夫。それにもしかしたら異変に気付いてすでにこちらに駆けつけている最中かもしれない。ああ、けれど、もしもそうじゃなかったら……。


 あらゆる想像が頭を過る。弱気な自分を叱咤するように左手に巻いた数珠がカッと熱くなった。


「ああ。逃げるなって言ってるんだよな。俺だってこいつを止めて……生き残りたいよ」


 泣き言じみたあまりに惨めな独り言。すると、



『――それでいいんだよ』



 まことの声が聞こえた気がした。

 

 勢いよく前進してくる風の塊。数珠から全身を伝う黒い炎が正面からの圧を受けていっそう燃え上がる。刹那、透夜の体を強烈な浮遊感が襲った。

 直後なにが起こったのか理解できなかった。しかしそこがなににも縛られない自由な世界であることを知れば、考えている暇はなかった。すぐさま脇を締めて剣を構える。はるか上空より渦中へと勢いよく落ちていく。

 目まぐるしい風の回転。土埃が舞い視界は最悪。しかし相手に纏わりついた黒い炎がたしかにその位置を知らせるように凝らした視界に尾を引いていた。


「そこだああっ!」


 互いの刃がぶつかる。その衝撃に剣が手元を離れて宙を舞う。風が掻き消えた。

 ほんの一瞬。けれどたしかに気を取られた鎌鼬。透夜は両手を相手の脇へと差し入れてその後ろ足を払った。炎もろとも相手を抱くようにして地面へと身を投げる。「ぐえぇっ」と可愛げのない悲鳴が上がる。透夜は即座に馬乗りになって凶悪な前足を拘束する。


「……なにが起こった……?」


 目をぱちぱちさせて鎌鼬が訊ねる。

 透夜は肩で息を整えつつ拘束する手に一際力を込めた。声を出そうとして唾を飲む。ひどく興奮していた。そんな様子をじっと見つめていた鎌鼬がへらりと舌を垂らした。


「自分でもよく分からねえって感じか。ケケケケ。こりゃあ苦労しそうだなあ。まあ俺様からすればその異能についてよりも、姿を現してから仕掛けられたこの妙竹林みょうちくりんな体術のほうが気になるわけだが」


「……柔術だよ」


「へえ。まあ剣振り回すだけが芸じゃねえってわけだ。こりゃあ俺様も油断が過ぎたかねえ」


 そう言うなり、前足から生える鎌がみるみる小さくなり可愛い桜色の爪へと変化する。


「お前、鎌鼬って妖だよな」


「まあそう呼ばれるなあ。窮奇キュウキと呼ばれることもあるが」


「こんなでかいんだ……じゃなくて。どうして俺を知っている。なんで襲った」


「別に襲っちゃねえだろうが。かまってやったんだよ。鎌だけに。ケケケケ」


「嘘つけ! 『殺るか?』って殺す気満々だったじゃないか!」


「そりゃあまあ空の守人の実力を知りたかったからなあ。俺様の相棒が今後の参考にするためにもなあ」


「相棒?」


 鎌鼬は愉快そうに後ろ足をジタバタさせる。「ケケケケ」と得意の笑い声を上げる。


「あいつときたらさ、お前のことが気になって仕方ねえのよ。それであの晩以来ようやく暇が出来て会いにきてみりゃあ、いざ話しかけようにも適当な言葉が見つからねえ。途方に暮れちまってなあ。挙句、俺様に先陣を切らせる始末よ。笑えるよなあ。ケケケケ」


「お前は使妖なんだな。そして目黒で俺を一度見かけている。ということは、もしかしてお前の主人ていうのは――」


 ふわり。透夜の前髪がわずかな風に持ち上げられる。

 見上げれば、あの晩に見た美しい仏様が目の前に降臨していた。


「……しゃべり過ぎだ。イヅナ」

 

 気まずそうに視線を外して、仏様はそう吐き捨てた。

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