第24話 兄者

「それにしても驚きました。この鎌鼬は白夜さんの使妖だったんですね」


「いかにも! 俺様こそが天下に名だたる大妖怪。あ、イヅナ様よお!」


 鎌鼬は切り株の上に人間のように後ろ足で立つと、歌舞伎役者のように見得を切る。その姿が愛らしくてたまらない。先ほどまでの凶暴さが嘘のようだ。


「ムジナに泰葉にそぞろにイヅナに……。はは。使妖って個性強すぎませんか」


「ああ」


 地面にヌイグルミのように手足をだらりと伸ばして座り込んだ透夜。その体に浮かぶ無数の切り傷には今、白夜が丁寧に軟膏を塗ってくれている。


「すまなかった」


「え?」


「傷を負わせてしまった。いく度か止めに入ろうとしたのだが、俺もまたお前の力を推し量ろうとして躊躇ってしまい。だから、すまなかった」

 

 緋色の瞳が真っ直ぐに透夜を捉える。思わずドキリとした。


「いえ、いいんです。むしろこんなふうに手当てしてもらって。こちらこそすみません」


「介抱は当然だろう。沙羅姫様のようにはいかないが、これもこいつ手製の薬だ。治りは早い。これで勘弁してほしい」


「まったく。てめえで切りつけて、てめえで治すんじゃあ世話ねえよなあ。俺様はこのイカれた因習に異を唱えるべく人里を荒らしまくっていたってのによお」


「そこを白夜さんに調伏されちゃったんだね」


「まあなあ」


 イヅナは軟膏の入った小壺に前足を器用に突っ込んでは肉球で塗り塗り、透夜の体に擦りつける。その一連の動作の癒しも相まって傷はみるみる塞がっていく。出血こそなかったものの、どこもひどい裂傷だったのに。さすがだ。


「……あれ。でも俺の知る伝承では鎌鼬っていうのは三匹で一セットな妖なんだけど。一匹目が人を転がして、二匹目が切りつけて、そして三匹目が薬を塗って去っていく。イヅナは単独行動なの?」


 その問いにイヅナの動きが止まった。主人が代わりに答えた。


「俺が調伏したのはこいつだけだ」


「そうなんですね。だから一匹三役の活躍をこなしているのか」


「これは本来の姿とは異なる。元はさらに強大で凶悪な妖だ。こちらがぎょするのが難しいほどに。ゆえに大幅に力を封じ、このような姿に留めてある。真の姿を解き放つのはよほどの非常時と決めている」


「そうなんですね。まあこの姿のほうが可愛いし、みんな油断しちゃいそうだしなあ」


「現にお前もそうだったしなあ」


「はは。返す言葉もないや」


 イヅナの正体を知ると、透夜には確かめておきたいことがいくつかできた。


「すると俺の炎に呑まれなかったのはイヅナが白夜さんの使妖だったからなの?」


「そういうわけだな。俺様はこいつの使妖に下ったその時より風大の加護を受けている。そんなわけで他の守人から攻撃を食らってもたいして支障はねえのよ。まあ契約が解かれちまえばこの限りじゃねえけどなあ」


「そういう仕組みだったのか。俺はまだまだ知らないことばっかりだ」


 そろそろ背中の軟膏が乾いてきた頃合だろう。透夜は脱ぎ捨てていた長袖Tシャツを着込む。


「そのもやけに丈が短いし、そいつもまた珍妙な衣だよなあ。こんなんが来世では着物の代わりになってんのかよ。斬新だねえ」


「イヅナのおかげでもっと斬新でパンクな感じになったよ」


「おう。礼には及ばねえぜ!」


 ダメージが入りすぎて左の乳首などは完全に露出してしまっている。これはもう普通には着られないだろう。ダルダルに伸ばされて切り刻まれて。今日はこのシャツにとって厄日である。

 透夜は悲しい気持ちを振り切るように話題を変えた。


「そういえば朱門さんには会いましたか?」


「ああ。先ほど話をしてきた。蒼馬が不在である理由もすでに承知している」


「そうでしたか。なんだか大変なことになっちゃったみたいで」


「ああ」


「あの。白夜さんもそういう調べ事を普段は任されているんですよね。それで今は将軍様の日光社参の警護についているって聞いていたんですけど。明日が法事の当日なんですよね。ここにいて大丈夫なんですか?」


 すると白夜は道具箱に蓋をしてその場を立ち上がった。


「やめてくれないか」


 突然の否定に透夜は「え」と小さく漏らした。なにか気を悪くすることを言ってしまっただろうか。すると白夜が片手を突き出して言った。


「いや、違うんだ。かしこまったその呼ばれ方がどうにも慣れず」


「あ、ああ。そういうことですか。でも、じゃあなんて呼べばいいですか?」


「白夜と普通に呼べばいい。あるいは」


「あるいは?」


 透夜がオウム返しすると、彼は沈黙を連れてそっぽを向いてしまった。「あの」と追い打ちをかければようやく声が返ってくる。


「とにかく。俺たちは志を同じくする仲間だ。他人行儀な話し方はやめるんだ」


「敬語をやめろってことですか」


 そうだというように白夜の頭が上下する。すると主人の顔を正面から見上げていた使妖が「ケケケケ」と腹を抱えて透夜のもとへとやって来た。ぺしぺしと膝を叩かれる。


「お前はひよっこだからな。こいつを兄ちゃんくらいに思って素直に甘えりゃあいいのよ」


「兄ちゃん」


「そうだぜえ。透夜、お前兄弟はいるのかい」


「ううん。俺は一人っ子だから」


「ならちょうどいいじゃねえか。ここで生き残っていくためにゃあ、どうしたって守人のいろはを学ばなきゃならねえ。なら他の連中をいっそ兄と仰いで鍛えてもらいなあ」


「兄か。先輩でも師匠でもなく。ああでも、白夜と透夜ってたしかに兄弟みたいな響きだよな。なんか……嬉しいな」


 あの晩、夜空を裂くようにして目の前に現れた白夜。その特別な佇まいを前にして正しく救世主が現れたのだと思った。そんな彼を兄と慕えるならこんなに嬉しいことはない。


 透夜が妄想を膨らませていると、くだんの人物がこちらを振り返った。あの晩のように赤い瞳が値踏みするように透夜を見つめる。


「和尚も同じようなことをおっしゃっていらした。するとこれはそういった定めなのかもしれないな」


 そう言うと、白夜が目の前までやって来る。


「俺には別のお役目があるため、他の者と比べればそう多くの時を共には出来ないだろう。しかし、お前が望むなら力にはなりたいと思っている。仲間として。兄者として」


「あにじゃ」


 現代では聞き慣れないその言葉。口にしてみるとやっぱり可笑しな感じがあった。けれど真面目そのものの表情で彼が言ってくれれば、境遇も、血も、時すらも越えて二人を結ぶ特別な魔法のように甘い余韻をもたらした。

 するとどういうわけだろう。緊張の糸までも爪弾かれてしまったのだった。

 

「俺、怖いんだ。突然知らない所に連れてこられて。そしたら過去の世界だっていうし、空の守人だって言われて。だから恐ろしい妖と戦わなくちゃいけないって言われて。……必死でその意味を考えたよ。俺じゃなきゃだめな理由。でも、やっぱり分からないんだ。……そもそも俺はこんなこと望んじゃいなかった! 俺の意思じゃないのに、どうしてこんなことになっちゃうんだよ。早く、早く戻りたいよ。あの人にもちゃんとまだ伝えていないんだ。ありがとうって。なのにこんなところで俺は死ぬの? いやだ。死にたくない。怖いよ。帰りたい。俺は、俺は……っ! なんて弱いんだろう……っ」


 透夜はとめどなく溢れる涙を肘で押さえ、泣きっ面を隠すように下を向いた。すっかり熱を失い冷え切った数珠が鼻筋にごつごつと当たる。

 そっと。肩に手を置かれた感触があった。


「お前の苦しみを容易く理解したように、もっともらしい言葉をかけることは俺には出来ない。それはお前のこれまでの歩みを、歴史を侮る行為だ。だが一つ訂正はさせろ。――透夜。お前は決して弱くなどない」


「え」

 

 透夜は鼻をすすり涙を拭うと前を見た。白夜がじっと自分を見つめていた。


「俺はこれまで多くの人の末路を見てきた。お家のため、お国のためにと命を賭した人もいれば、己の栄達のため闇に手を染めた人もいた。そこに善悪の区別をつければ人一人の価値など容易に決まる。だが、なにかを守る、という点においては誰もが同じであったはずだ。結局のところ、守りたいなにか――その尊さこそが、その人間の価値を決めるんだ」


 さわさわと春風が林道を渡っていく。彼の白髪が優しくなびく。


「お前は誰かのを守るため、決して逃げずに困難に立ち向かう。今回イヅナと戦うことになった際も寺に助けを求めず、己の力で食い止めようとその命を張った。弱い人間に出来る行いでは決してない。だから胸を張れ。五色の守人は真に人々の命を守るための存在だ。お前は誰に教えてもらうでもなく、すでにそれを肌で理解している。不動明王様が来世の誰でもなくお前を選んだ理由が俺には分かる」


 なんて力強い言葉だろうか。ますます透夜の涙腺が弱まる。

 すると背後から負ぶさってきたイヅナがその毛を擦りつけて水気を拭ってくれる。


「まあその泣き虫は早急になんとかしないといけねえがなあ。ケケケケ」


「己の弱さを知ることは大事だ。泣き言も時にはかまわない。だが闇には決して呑まれるな。俺たちがそこに堕ちればすべてが終わる」


「でも、ど、どうすればいいっ」


「周りを見ろ。そして頼れ。お前は一人じゃない」


 今まで自分の価値をこんなふうに認めてもらったことなんてなかった。自分のことなんてほとんどなにも知らないくせに。自分だって彼らのことなどほとんどなにも知らないくせに。なのに、なのにどうしてこんなにも安心する。流す涙が温かい。


「あ、ありがとう。白夜さん」


「おいおい。さっそく違うだろう?」


 イヅナがからかうように耳打ちしてくる。透夜は気恥ずかしいが言い直してみた。


「ありがとう……兄者」


 上目使いに彼を覗けば、その双眸は大きく見開かれていた。

 肩にあった手が離れる。白い手の平は蝶々のように宙を揺蕩い、やがて頭上へと憩う。


「朱門も気安く呼んでやれ。そのほうが本人も喜ぶ」


 ぎこちない動作で頭を撫でられてまことのことを思い出す。ずいぶんと心地が良くて透夜は昼下がりの猫のように目を細めた。


「うん」

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