第28話 護法童子

「これは驚いたね。本当にまったく人が出歩いてないや」


 蒼馬は真っ直ぐに伸びた道の先を見据える。


「家の者が近隣の寺社と協力をして辻固つじがためを行っております。国境くにざかいの至る地点に番所を設けており、ただ今は府内より出ることも、また入ることも叶わぬ状態にございます」


 そう苦々しげに話すのは、かっちりと武装を決め込んだ壮年の男だった。案内役を任された阿部家の家士だ。後ろにも鎧をまとった男たちが続く。


 蒼馬と眞海しんかいは無事、山王口さんのうぐちより小田原府内へと到達していた。

 四月十九日。申の刻(午後四時)あたり。

 喜多院を発ってから二日と半日ほどが経っていた。道中少しばかり騒動に出くわしたりもしたが、心配するほどひどい事にはなっていなかった。道程は順調なものだったといえる。やはり災いはこの国に突如もたらされた限定的なもののようだ。


「長旅でお疲れのこととは存じますが、どうかこの騒ぎ、一刻も早くお鎮めいただきたい」


「はい。先ほどは若君様直々にお迎えいただき身に余る光栄にございました。それとともに事態の深刻さをこの身に感じ、悪鬼討伐の決意を改めさせられた次第でございます」


「……殿より留守を仰せつかった矢先にこの事態。若君も責任を感じておいでです。なんとしてもこの事態を早急に解決いたしたく、その旨、直にお伝えしたいとわざわざ我らとともにお待ち申し上げておりました」


 男は藩主、阿部正次あべまさつぐの嫡男の側近だった。後ろを囲む男たちとは違い、その顔に緊張の色はさほど滲んではいない。歩調もしっかりしている。この異様な事態にあって、せめて自分だけはしっかりしなければと落ち着き払っているのだろうか。


 一行は宮前町みやのまえちょうの通り路を進んでいた。しかし旅籠屋の窓から往来を見下ろす人影もなければ、窓も戸口も堅く閉ざされている。雨に煙ったように町中は白くにごり、名物である箱根連山の頂きを遠く望むことは出来ない。


「それで、ただ今のお城の守備は」


「数日前まで各門に番を置いていたのですが、次々不調を訴えまして。そこで近隣の寺の住職が門にことごとく魔封じの結界とやらを施し、以降は誰も近づいてはいない状態でございます。情けのない話でございますが」


「賢明なご判断です。では城仕えの方々はすでに」


「はい。城下に避難を終えました。若君も先ほど別の者たちと住職の寺へ向かわれました」


 蒼馬たちに先行して藩の使いが天海の指示を持ち帰っていたため、準備はあらかた整っていた。眞海は「それはけっこう」と頷く。


 すると男が立ち止まって二人を振り返った。


「しかし先ほどはお見事にございました。さすがわざわざ殿がお呼びしたお坊様だけある」

 

 男の視線は狐の面を被った蒼馬に注がれている。


「城下を案内するため酒匂さかわ川の岸部にてお待ち申し上げておりましたが、ここ数日、川は雨も降らずと大荒れで。とても舟を渡せる状態ではございませんでした。御府内(城下町)にすらお入れすること叶わぬのではと、正直肝を冷やしていたところです。それがこの金色髪の童子が手を合わせるやいなや、川は行く手を示すように二つに割れた! ああ、あの時の胸の高鳴りといったらございません! 若君もそれは驚いておいででした」


 後ろの家来たちもうっとりとした目つきで蒼馬を見やる。


「これが噂に聞く護法童子ごほうどうじでございますか。ううむ。素晴らしい。その煌びやかな装束に御髪おぐしの色艶、御面の下より滲む気品。まさにこの世のものにあらず」


 そうでしょう。そうでしょう。そう言うように眞海は微笑んでばかりいる。その袖を少し引いて蒼馬は耳打ちする。


「……ねえ。色んな意味で息苦しいんだけど。いつまでこの人達付いてくるのさ」


「もうちょっと辛抱しておくれ。方々も直に引き払う予定だから」


 眞海は極めて小さな声で言った。

 

 蒼馬は濃淡のついた紅紫のくくり袴に白地の水干を入れ込んでいる。おくみや袖の縫い目には大きな菊綴きくとじがついていて、いつも着ているものよりてんで立派だ。手前の宿場で着替えさせられたのだ。絹で出来ているから着心地も最高である。


「君は今回、私の使役する護法童子ということになっている。いかにも仙界より召された童子らしく麗しくあってもらわねば真実味がないからね」


「まさかこんなものまで用意されていたとはね」


「よく似合っているよ」


「やっぱり和尚ってば用意周到だよ」


 蒼馬は感心したように面を揺すった。


 僧の連れる子供を護法童子とする考えがある。護法童子とは修験者や僧の使役する霊のことだ。普段は目に見えないが、現実に姿を現す場合、大抵が動物や人間の子供の形をとる。陰陽道でいうところの式神だ。

 

 天海は天台衆に伝わる密教に特に力を注いでいるため陰陽道にも造詣が深い。その上、妖を相手にすることも多ければ「江戸の陰陽師」などと呼ばれることも度々だった。そうなれば弟子である眞海も当然その道の達者ということになる。これを利用し、蒼馬をあくまでも眞海の護法童子とすることで守人の秘密を守ろうというわけだ。あらかじめ天海から出されていた指示の一つだった。


 その通り阿部家の者たちは蒼馬を護法童子と信じきっていた。

 美しく着飾った彼はその方術でもって荒ぶる川を鎮めてみせた。その上、川底までさらって平然と渡河してみせたのだ。信じるに足る十分な奇跡を演出してみせたのだから、信じないほうがおかしかった。


「実を申しますと、こ度の騒動にどこか実感が湧かずにありました。しかしあのような光景を目の当たりにしては。これはもうすべて受け入れるしかございませんなあ」


 そう言って振り返った男は「ハハハ」と歯をこぼす。その仕草は虚勢のためでなく、真実この騒ぎが解決することを確信してのものらしかった。


「川をお護りになっていた川神(龍神)様の苦しみを一時的に鎮めたに過ぎません。この地は水に囲まれております。他所でもきっと同じような始末なのでしょう」


「そう報告を受けております」


「すべてはこの地を統べる土地神様の身に異変が起きているためです。ならば、まずは土地神様のご様子をうかがってみないことには始まりません」


「やはりまずは松原まつばら明神に向かわれますか」


「ええ」


 騒ぎが広まると、小田原の総鎮守そうちんじゅである松原明神において多くの関係者が祈祷を行った。けれどいずれも城下を覆う不穏な空気を払うことは出来なかった。未だ空は重たい雲を広げており、城下の至る所を妖がうろついている。それと気づかず見回りの彼らは意気揚々と歩いているのだった。


「知らぬが仏とはこのことだね」


 蒼馬はぽつりとお面の下で呟く。


「それで境内では具体的になにを行うのでございますか」


反閇へんばいです。未踏の地に入る際に行う儀式なのです。特殊な舞いにより土地神様にご挨拶申し上げ、ご加護を得るのですよ」


「ほほう。それはまた素晴らしい光景なのでございましょうなあ」


「城下を取り巻く不穏な空気もひょっとすると清めることが出来るかもしれません」


「それは重畳ちょうじょう。……お坊様。やはり我らもお供してはなりませんか。相手がたとえ異形のものであろうとも決して怯みはいたしませぬ」


「いえ。これよりは極めて繊細な作業です。どなたも今晩は家にこもって決して外にお出でにならぬようお願い申し上げます。ゆめゆめ、お城に近づこうなどとなさいませんよう」


「し、しかし国の留守を任された者として、成り行きを見守ってばかりいるのはどうにも歯がゆく。どのようなことでもお手伝いいたしますから」


「心中お察しいたします。しかしこれよりは私どもの領分。お任せいただきたい」


 眞海の真面目な声音に説き伏せられた男は、堪えるように口をぐっと引き結んだ。


「失礼をいたしました。その通りだ。あなた様にお任せするのが一番。お坊様。阿部家の命運がかかっております。この騒ぎ、何卒お治めくださいませ」


「悪鬼はこの一晩で必ずや払ってみせましょう」


 眞海が固く誓うと、けっこうと男は頷いて「では我らが案内できるのはそこまでのようです」と前方を指さした。


「もうじき右手側に見えてまいります小路が松原明神への入口にございます」


「案内いただき、ありがとうございました」

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