第6話 五色の守人

 代掻しろかきを終えた水田に朝焼けが映り込んでいる。もう何日かすれば視界一面に苗が植えられることだろう。今年は無事に収穫されるまでに至るだろうか。

 

 黄金にたわわに実る時期に思いを馳せて朱門しゅもんは空を仰ぐ。笠のつばが視界を退いて、うっすらと色づき出した空の雲間に生まれたての朝日を見た。

 隣を歩く少年がゆるりとあくびを噛む。


「ああもう。眠いったらありゃしない」


 頭巾ずきんの隙間からこぼれる頬を白い手でかばい、この世の終わりのような顔で嘆く。


「夜通し始末が続いたせいで肌ぼろぼろ。昨晩こそゆっくり眠れると思ったのに」


「まあそう言うな、蒼馬そうまよ。それだけ我らが立派にお役目を果たしているという証ではないか」


「ふん。そんなことを言ったって僕は繊細なんだ。みんなが働き始める時間に寝入っても物音一つで目が覚めちゃう。そうこうしているうちにまた夜だよ? 難儀なものさ」


 たしかに疲労はここ数日溜まっていた。けれど彼がそこまで容姿を気遣う理由については今一つ理解がいかない。ひょっとすると、彼の中に流れるもう一つの血がそういった問題を許さないのだろうか。


 蒼馬は混血児だ。生まれは対馬国つしまのくにで、母親は異国の商人を相手に商売をする遊女だった。そうして彼が生まれた。どういう経緯でこの地へ流れ着いたかは詳しくは聞いていない。けれど今は課せられた使命の下、こうして肩を並べる同志だ。


「土地が静かになるとやはり羽目ハメを外したくなるものかな」


「そうかもしれぬな。昨晩のを入れて何匹目であったか」


「さあね。いちいち覚えちゃいないよ。とにかくまだまだ気が抜けないってことだね。妖と、というよりは眠気と闘う日々が続くわけだ。ふぁあぁ」


「であるなあ」


 この国には未だ魑魅魍魎ちみもうりょうが潜んでいる。悪意ある者もそうでない者も、それぞれが住処すみかを得て、人の世にうまく溶け込んで暮らしている。

 やつらは様々なものを人間に要求する。怒りや哀しみ、恐怖といった形のないものから血肉に至るまで。その程度はあやかしによって異なるが、厄介な存在であることに変わりはない。しかも常人の目には見えないときているからタチが悪い。


 これらが悪さをすれば、あれよという間にこらしめて、足元に跪かせてしまう。

 そんな事が並みの人間に出来るはずがなかった。しかしそれを平然とやってのける人物こそが朱門たちの主人であり養い親だ。齢はすでに八十七。各地を駆ける体力も残されていなければ本職があまりに忙しく、文字通り自由の効かない体だった。そこで主人に代わり朱門たちが夜な夜なその役目を果たしているというわけである。そうだ。すべては人々を等しく守り、この国に安寧をもたらすために――。


「いよいよ祭礼も四日後か。和尚かしょう、息災かな」


「近頃はしきも飛んでこぬからな。ご様子は分からぬが、それだけ準備に余念がないということであろう。お変わりなく励んでいるさ」


「だといいけど」


 十四の少年らしく頬をぷくっと膨らませると、蒼馬が頭の後ろで手を組む。


「あーあ。早くお戻りにならないかなあ」


「こちらの寺ばかりでなく日光山にっこうさんの管理も任されていらっしゃる身だ。あと一月ばかりは難しいであろうな。今はただ儀式がつつがなく終わることを祈るばかりだ」


「そんなこと言ってさぁ。本当はついて行って手伝いたかったんじゃないのお?」


「ふふ。そう思うか」


「だって朱門は和尚の直弟子じきでしでもあるじゃない。後見うしろみになっていただいているだけの自分とは立場が違う。この度も和尚が導師のお役目を将軍家よりたまわって、お寺としても最高の栄誉だ。現地に行って儀式に携わりたいって、坊主ならみんな夢見るでしょう。それが留守番だよ? よかったの」


「よかったもなにも、それが今の自分に課せられたお役目だからな。それに江戸の平穏を守ることは本来宿命でもある。そのために選ばれた我々だ。そうであろう?」


「まあそうなんだけどさあ」


 蒼馬は気のない返事をすると遠くの小山をまんじりと望む。


 山肌をなぞって吹き下りる風が自分たちの形をそっと探る。水際から運ばれたセリの香りが鼻の中をつんと抜けていく。 


「《五色ごしき守人もりと》か。からそう呼ばれるようになって久しいけれど、まだまだなめた連中が多くて困ったものだよ」


「その名があまねく知れ渡り、畏怖なる対象と真に認められればよいのだがな。それには我らまだまだ及ばぬということ。日々これ精進であるな」


「はいはい」


 和尚いわく――。かつて不動明王様が枕元に立たれて和尚に託宣たくせんをお与えになられたそうだ。


(これより戦の無い世を実現するためおのが化身を使者として遣わさん。人の子として生れ落ちるもその力は人のものにあらず。それぞれが五大ごだいの力を宿し、この世に生を受けるであろう。彼らを探し出し、真に平和を築きたまえ)


 そうして和尚は仏道を究めるとともに、その託宣に従って不動明王の化身たる五人の子供を各地より探し出す使命を負った。そうして集められたのが朱門たちだった。


 朱門は火を、蒼馬は水の加護を授かっている。他にもすでに風と地の加護を授かる者が和尚の庇護下にある。そしてそれぞれが与えられた力を正しく使い、江戸をあらゆる魔から守っているのだ。

 

 五色の守人。五大を色になぞらえ、それぞれの加護でもって妖たちを仕置く自分たちを一部の人間がそう呼ぶようになって。それがいつしか妖たちにも伝播でんぱして。未だ一色いっしき欠けてはいるが、すでにその名は江戸を住処とする者はおろか全国各地の妖の噂の種になっている。自分たちを狩る存在――。それはそれは恐ろしいに違いない。そして最後の一色が集う時、それは国の大事だいじであるとともに、自分たち守人の真の存在意義が問われる時なのだ。


「なあ蒼馬よ。一昨晩保護したあの者をどう思う」


「どう思うって」


「なにか感じることはないか」


「そりゃあるよ。おかしな恰好しているし、見た事もない道具は持っているし。なんでのやつと一緒にいたかも分からない。とにかく分からない事だらけでさ」


「であるな。特筆すべきは纏っていたあの黒き炎か」


「うん。ひょっとすると……いや、そんなわけないだろうけど」


「己の火大かだいの気が呼応したように感じた。そなたはどうであった?」


 蒼馬は答えない。しかしどこか悔しそうに唇をんでいる。やはり彼も感じたのだ。これまで出会ったことのなかった圧倒的な力の気配を。


「……拙僧せっそうはこう考えている。これは仏のお導きではないかと。あの者は和尚のように託宣を授かり我らの前に現れた者ではないか、とな」


「でも天界から召されたにしちゃ粗末でへんてこな格好だと思わない? それに、そもそもだよ。不動明王様が和尚にお与えになった試練は、使者を自ら探し出せってことだったはずだよ。それが使者自ら召喚に応じるなんて……おかしくない?」


「であるな。だがあるいは試練をお与えになるほどのときが我々には残されていない、ということなのかもしれない」


「え。なにそれ。不吉なこと言わないでくれる」


「すまぬ。だが和尚が日光山にご出立なされる直前、我らを召して告げたことがどうにも心にひっかかっていてな」


「……またお告げを受けたって話ね」


 そうなのだ。和尚は久方ぶりに枕元に不動明王様に立たれたのだと言う。そしてこう告げられたのだそうだ。


(時が大きくうねり出す。各々が生き残りをかけた真の戦が始まろうとしている。もはや一刻の猶予も残されてはいまい。最後の使者に現世来世にわたる加護を託さん)


「現世来世にわたる加護、ねえ。どうにも僕たちとは異なる存在なのか」


「ああ。だが目覚めてもらわないことにはなにも分かるまいな」


 蒼馬はそうだねと頷くと眉根をぐっと寄せる。


「でもさ、各々の生き残りをかけた戦っていうのは妖と人を指してのことだよね。戦国期を過ぎた今、やつらにそんな大戦をしかける力なんて残されていないと思うんだけどなあ」


「そうとも考えられるし、あるいは別の対立を表すのかもしれぬ。人間同士の争いもまた闇を生む。その闇に巣食う魔がこの国をいつ脅かすとも分からぬからな」


「ええー。大坂の合戦で豊臣とよとみが滅びてようやく戦のない時代を迎えると思ったのにい?」


杞憂きゆうであればよい。だが元和偃武げんなえんぶうたってはいるが、この国は今の場で均衡を保っている。我々の存在がそれを物語っていよう」


「平和が訪れたと安心しきっている今が最大の隙ってことね。まあ人が連中と手を結ぶとかなり厄介ではあるね。浄化は骨が折れるからなあ。……あ。そういえばさ、ムジナのやつを呪符じゅふ貼りつけて境内の木に吊るしてやったんだけど」


「相変わらず容赦のない扱いをするな……」


「だってあの地を荒らしたのってあいつかも分からないじゃない。牛鬼ぎゅうきと結託していた可能性がある。でもさ、目覚めたやつったらデタラメなことばっかり抜かすんだよね」


「デタラメ?」


「そう。あまりに突拍子もないこと言うからさ。こいつ、まだ寝ぼけているのかって思ったね」


「それは一体どういう――」


 朱門が詳細を訊ねようとしたその時だ。

 正面に見えていた山門から納所なっしょ坊主の一人が駆け出してきた。


「お二人とも、お帰りなさいませえ。の童が目を覚ましましたよぉ」


 朱門と蒼馬は立ち止まると顔を合わせた。頷くと坊主への挨拶もそこそこに門をくぐった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る