第6話 五色の守人
黄金にたわわに実る時期に思いを馳せて
隣を歩く少年がゆるりとあくびを噛む。
「ああもう。眠いったらありゃしない」
「夜通し始末が続いたせいで肌ぼろぼろ。昨晩こそゆっくり眠れると思ったのに」
「まあそう言うな、
「ふん。そんなことを言ったって僕は繊細なんだ。みんなが働き始める時間に寝入っても物音一つで目が覚めちゃう。そうこうしているうちにまた夜だよ? 難儀なものさ」
たしかに疲労はここ数日溜まっていた。けれど彼がそこまで容姿を気遣う理由については今一つ理解がいかない。ひょっとすると、彼の中に流れるもう一つの血がそういった問題を許さないのだろうか。
蒼馬は混血児だ。生まれは
「土地が静かになるとやはりやつらも
「そうかもしれぬな。昨晩のを入れて何匹目であったか」
「さあね。いちいち覚えちゃいないよ。とにかくまだまだ気が抜けないってことだね。妖と、というよりは眠気と闘う日々が続くわけだ。ふぁあぁ」
「であるなあ」
この国には未だ
やつらは様々なものを人間に要求する。怒りや哀しみ、恐怖といった形のないものから血肉に至るまで。その程度は
これらが悪さをすれば、あれよという間にこらしめて、足元に跪かせてしまう。
そんな事が並みの人間に出来るはずがなかった。しかしそれを平然とやってのける人物こそが朱門たちの主人であり養い親だ。齢はすでに八十七。各地を駆ける体力も残されていなければ本職があまりに忙しく、文字通り自由の効かない体だった。そこで主人に代わり朱門たちが夜な夜なその役目を果たしているというわけである。そうだ。すべては人々を等しく守り、この国に安寧をもたらすために――。
「いよいよ祭礼も四日後か。
「近頃は
「だといいけど」
十四の少年らしく頬をぷくっと膨らませると、蒼馬が頭の後ろで手を組む。
「あーあ。早くお戻りにならないかなあ」
「こちらの寺ばかりでなく
「そんなこと言ってさぁ。本当はついて行って手伝いたかったんじゃないのお?」
「ふふ。そう思うか」
「だって朱門は和尚の
「よかったもなにも、それが今の自分に課せられたお役目だからな。それに江戸の平穏を守ることは本来宿命でもある。そのために選ばれた我々だ。そうであろう?」
「まあそうなんだけどさあ」
蒼馬は気のない返事をすると遠くの小山をまんじりと望む。
山肌をなぞって吹き下りる風が自分たちの形をそっと探る。水際から運ばれたセリの香りが鼻の中をつんと抜けていく。
「《
「その名があまねく知れ渡り、畏怖なる対象と真に認められればよいのだがな。それには我らまだまだ及ばぬということ。日々これ精進であるな」
「はいはい」
和尚
(これより戦の無い世を実現するため
そうして和尚は仏道を究めるとともに、その託宣に従って不動明王の化身たる五人の子供を各地より探し出す使命を負った。そうして集められたのが朱門たちだった。
朱門は火を、蒼馬は水の加護を授かっている。他にもすでに風と地の加護を授かる者が和尚の庇護下にある。そしてそれぞれが与えられた力を正しく使い、江戸をあらゆる魔から守っているのだ。
五色の守人。五大を色になぞらえ、それぞれの加護でもって妖たちを仕置く自分たちを一部の人間がそう呼ぶようになって。それがいつしか妖たちにも
「なあ蒼馬よ。一昨晩保護したあの者をどう思う」
「どう思うって」
「なにか感じることはないか」
「そりゃあるよ。おかしな恰好しているし、見た事もない道具は持っているし。なんでムジナのやつと一緒にいたかも分からない。とにかく分からない事だらけでさ」
「であるな。特筆すべきは纏っていたあの黒き炎か」
「うん。ひょっとすると……いや、そんなわけないだろうけど」
「己の
蒼馬は答えない。しかしどこか悔しそうに唇を
「……
「でも天界から召されたにしちゃ粗末でへんてこな格好だと思わない? それに、そもそもだよ。不動明王様が和尚にお与えになった試練は、使者を自ら探し出せってことだったはずだよ。それが使者自ら召喚に応じるなんて……おかしくない?」
「であるな。だがあるいは試練をお与えになるほどの
「え。なにそれ。不吉なこと言わないでくれる」
「すまぬ。だが和尚が日光山にご出立なされる直前、我らを召して告げたことがどうにも心にひっかかっていてな」
「……またお告げを受けたって話ね」
そうなのだ。和尚は久方ぶりに枕元に不動明王様に立たれたのだと言う。そしてこう告げられたのだそうだ。
(時が大きくうねり出す。各々が生き残りをかけた真の戦が始まろうとしている。もはや一刻の猶予も残されてはいまい。最後の使者に現世来世にわたる加護を託さん)
「現世来世にわたる加護、ねえ。どうにも僕たちとは異なる存在なのか」
「ああ。だが目覚めてもらわないことにはなにも分かるまいな」
蒼馬はそうだねと頷くと眉根をぐっと寄せる。
「でもさ、各々の生き残りをかけた戦っていうのは妖と人を指してのことだよね。戦国期を過ぎた今、やつらにそんな大戦をしかける力なんて残されていないと思うんだけどなあ」
「そうとも考えられるし、あるいは別の対立を表すのかもしれぬ。人間同士の争いもまた闇を生む。その闇に巣食う魔がこの国をいつ脅かすとも分からぬからな」
「ええー。大坂の合戦で
「
「平和が訪れたと安心しきっている今が最大の隙ってことね。まあ人が連中と手を結ぶとかなり厄介ではあるね。浄化は骨が折れるからなあ。……あ。そういえばさ、ムジナのやつを
「相変わらず容赦のない扱いをするな……」
「だってあの地を荒らしたのってあいつかも分からないじゃない。
「デタラメ?」
「そう。あまりに突拍子もないこと言うからさ。こいつ、まだ寝ぼけているのかって思ったね」
「それは一体どういう――」
朱門が詳細を訊ねようとしたその時だ。
正面に見えていた山門から
「お二人とも、お帰りなさいませえ。例の童が目を覚ましましたよぉ」
朱門と蒼馬は立ち止まると顔を合わせた。頷くと坊主への挨拶もそこそこに門をくぐった。
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