第7話 少年、目覚める。

「……ここは……?」


 布団から上体を起こした少年は室内を用心深く見渡す。


「無事に目覚めてなによりだ。一昨晩の事は覚えているか」


 少年の側に座した朱門しゅもんは優しい声音で訊ねた。

 俯いた少年は記憶を掘り起こすように目を細め、こめかみの辺りを指先で小突く。


「えっと。たしかお寺の境内でクラスの連中にあって、馬鹿な事しようとしていたから注意して、それで……そうだっ、でっかい化け物が突然現れて! あいつら逃げられたよな」


 そうであってほしいと祈るような声音。その瞳は畳とも宙ともつかない場所を彷徨さまよっている。


「我々が駆けつけた際、見つけたのはそなた一人。他に人影はなかったように思うが」


「そっか。それならよかった」


「そもそも何故あの場にいた。あの地一帯は将軍家の御用地ごようち。勝手に侵入したとあらばとがまぬがれないぞ」


 そう前置きを入れてから朱門は一思いに核心へと迫った。


「――そなた。託宣に従いあの地に参った者ではないか?」


 自分たちと出会うべく仏に導かれた存在。五人目の平和の使徒。

 しかし少年は、


「……たくせん。それってお告げってことですか?」


 いぶかしげにこちらを見るのだった。


「俺は帰りついでにあのお寺に寄っただけですよ。というか将軍家って。ふふ、みたいな言い回しだなあ」


 ぼんやりとした口調で謎の言葉をはさみ、さも当然とばかりに言った。


「それにあのお寺は誰だってお参り出来るでしょう? まあ夜は本堂の前までしか入っちゃいけないわけですけど」


 誰でも参拝出来る。いな、そんなはずはない。

 目黒の地は放鷹ほうように適しているとして、今は公儀こうぎの支配にある。勝手な人の出入りは固く禁じられている。そもそも数年前に災いを受けてあの寺は本堂をはじめ伽藍がらんのほとんどを失っている。参拝の仕様がないのだ。それがまるでありのまま存在しているかのような口ぶりに違和感しかなかった。


 託宣に従いあの地に参ったわけではない。しかし嘘をついている様子もない。が、ふらりと家路の途中で寄ったような口ぶりはどういうことだ。あの近くの集落の者だろうか。

 

 あの瞬間、少年はたしかに不動明王の姿をその身に宿していた。背後に立ち上っていた禍々しいまでの赤黒い炎。あれこそがおそらく空大くうだいの気であり、その変容したさまだった。目を凝らせば、今も微かだが少年の皮膚の上を滑るように尊い気配が流れている。間違いなくこの少年も加護を授かる者だ。四大しだいの力をそれぞれ与えられた自分たちだったが、やはりここにきて新たな力が加わったということ――。


 空間の一切いっさいを司る。四大が万物を構成する要素であれば、空大とはそれらが無に帰す世界を意味する。時空の狭間。創造と虚無の境地。その実体を論じることは難しく、文字通り掴みどころのない力だ。しかしこの空大を加えて五大となって初めて宇宙は菩薩ぼさつの意志によって運行されるのだ。


「というか。ここはその瀧泉寺りゅうせんじじゃないんですか。俺はてっきりお坊さんの宿舎にでも運ばれたんだとばかり」


「ああ。ここは一昨晩いた場所ではない。先ほど申した通りの事情から、介抱は場を改めさせてもらったのだ。ここは我が師が住職を務める寺、喜多院きたいんである」


「喜多院……。聞いた事があるような無いような。あのお寺からは遠いんですか?」


「まあ武蔵国むさしのくに川越かわごえであるからな。江戸より十里はゆうに離れているか」


 少年は思いがけない様子だった。しばらく沈黙すると、射干玉ぬばたまのように艶やかな髪を両手でわしわしと掻き始める。


「いやいや。色々とツッコミ所はあるけれど。まずは川越ってあの川越ですか。埼玉県の。……うっそだろ。なんでそんな遠くまで運ばれたんだよ、俺……。そうだ。連絡しなきゃ。今頃心配しているだろうなあ」


 早口で一人ごちると、少年の上半身が朱門へと迫る。


「すみません。電話をお借りできますか。恥ずかしながらって持たせてもらえていなくて。でも家族にとりあえず無事だってことを連絡しないと」


「でんわ、とな」


 先程から度々少年は聞き慣れない言葉を口にする。その言葉の意味は分からなかったが言いたい事はなんとなく理解が出来た。


「家の者に無事を伝えたいなら文を届けよう。そなた生まれはどこだ」


「どこってこの前いたところの近所に住んでいますけど」


「やはりあの近くの集落の者であったか。どういった経緯でそなたが選ばれたかは分からぬが大変な思いをしたな」

 

 すると少年は朱門の言葉を噛み締めるように目を閉じた。ぽそりと口にした。


「たくさんの化け物が暴れていたのって、やっぱり夢じゃなかったんですね。……あの。こんな遠くまで避難させられたってことは、地元ひどい有り様なんですか? 政府とか自衛隊とか動いているんですか? さっきは俺、みんな逃げられたんだとばかり思って安心しちゃったけど。もし、もし連絡もつかないようなひどい事態になっているんだったら。俺だけ運よく助けられただけとかだったらっ!」


「落ち着きなよ」


狼狽ろうばいする少年を一蹴いっしゅうするように蒼馬そうまが口を開いた。


「暴れ回っていたは全て始末した。結界のほうも修繕して清めたからあの辺りは今は穏やかなものさ」


 戸に背を預けて腕組みをする蒼馬はずいぶんとつまらなそうな表情だ。


「だいたい群れの先導者を葬ったのはお前じゃないか」


「先導者って。あのでっかい牛みたいな蜘蛛みたいな化け物のこと?」

 

 蒼馬が答えない代わりにそうだと朱門は頷く。蒼馬は続ける。


「駆け付けた時、ちょうどヤツを一刀両断するところを見たよ。まあそれで力を使い果たして倒れちゃったお前に代わって残りの雑魚ザコを一掃したのは僕たちなわけだけど」


「俺が、そいつを……倒した?」


 少年にはその実感がないようで「本当に?」と言いたげに朱門と蒼馬を交互に見やる。


「その力、生まれた時より使えたわけじゃないよね。もしそうなら和尚かしょうがすでにお前を探し出しているはずだ。であれば授かった加護が発動したのは最近のことってわけだ。一体いつから連中を相手していたのさ。あの体捌き。力を使ったのは一昨晩が初めてってわけじゃあないんでしょう?」


「ちょ、ちょっと待ってくれよ。力って? 授かったって一体誰に、なにを」


「決まっているでしょう。だよ。さっきは違うような事を言っていたけれど、お告げを授かって、だから僕らの前に現れた。そういうことなんでしょう?」


 蒼馬はそうに違いないとばかりに鋭い視線を少年に向けている。

 しかし当の本人はやはり記憶にないようで、しきりに目を瞬いている。


「……ちょっと。どういうことさ朱門。本当に自覚がなさそうだよ。僕らと全っ然違う。変な言葉は使うし、恰好だって奇天烈きてれつだし。それに体から剣を出すわ、その記憶は曖昧だわで。まったくどうなっているんだい」


「拙僧に聞かれても困るな。すべては仏のご意志だろう」


 これはらちが明かないなと朱門は思った。蒼馬もおそらくそう思ったのだろう、それ以上少年に突っかかることは止めて溜息を放つ。


「訊ねたいことが多くあるようだな。だがそれはこちらも同じこと。……ふむ。まずは互いに名乗ろうではないか」


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